ご褒美のおねだり 続き



※名前変換ありません



 燭台切光忠くんに、任務達成のご褒美と称して頬にキスをねだられてから一週間ほどたった。あれから私は見事に光忠くんを意識してしまって、なるべく顔を合わせないように彼を避けている。彼の姿を見ただけでも、いや声を聞いただけでも顔に血が上っていくのがわかる。刀剣男士たちとみんな一緒にご飯を食べる時は、なるべく彼の近くには座らないようにしている。戦場へ出陣する部隊にも遠征部隊にも彼を入れていない。またご褒美云々と言い出されては困るからだ。
(混乱しててよく覚えてないけど、次はくちびるにキスして、とか言ってた気がするし……ああもう思い出したらまた……!)
 あの時の光忠くんの流し目や低い囁き声を思い出すたびに、一人で赤面しているという滑稽な図が出来上がる。この状態で顔を合わせるというのは無理な話だ。一応、本当に一応だけど私はみんなの主なんだから、誰か一人に対して特別な感情を示すわけにはいかないのだ。
「そんなこと考えなきゃいけない時点で、もうダメなのかも……」
「何がダメなんだい?」
「ぅひゃおう!?」
 突然背後から声をかけられて、完全に一人きりだと思って考えにふけっていた私は文字通り飛び上がった。ばくばくとうるさい心臓のあたりを押さえながら後ろを振り向くと、私の反応に目を丸くした光忠くんがいた。よりにもよって、独り言を聞かれた相手が悩み事の原因とは。驚いたこととは別の理由で顔に熱が集中し始める。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど……また随分色気のない……」
「びっくりした……! い、いきなりだったんだからそんな色気のある叫び声を求められても困るし」
「冗談だよ。ごめんね、突然。でも、こうでもしないと、逃げられちゃうかもしれないと思って」
 光忠くんがにっこりと笑った。あれ、おかしいな。笑っているはずなのになぜか全然場が和まない。むしろ空気が冷えたような気がする。いやな予感を覚えて後ずさりすると、同じ分だけ間合いをつめてきた。
「どうして僕を避けるのかな? もしかして、この間のことが原因?」
「あ、当たり前でしょ! いきなり頬にキスされて、意識しないとでも思ったの!?」
「君からもキスしたのに」
「あれは光忠くんがご褒美に欲しいって言ったから……!」
 と言い返して、自分の声の大きさに気付いて口元を押さえた。誰も聞いていないよね、とあたりを見渡して私たち以外誰もいないことを確認する。その様子を見て、光忠くんが小さく笑い声を上げた。
「それで、僕を意識して避けてるんだ。可愛いね」
「か……もう、からかうんだったら私はもう行くよ?」
「ああ、そうだった。ねえ、僕もそろそろ戦場に出たいんだけど、まだダメなのかい?」
 どうやら、本題は一週間も出陣も遠征もしていないことについてだったようだ。確かに、彼はこの本丸では主力の一員だし、一週間も内番だけというのは滅多にないことだ。私としても、いつか理由を訊かれるだろうと思っていた。けれど、それが私的なものすぎて正直に話すわけにもいかず、どうしようかと言い訳を考えていると。
「ああ、もしかして、僕が次はくちびるにしてって言ったから、ご褒美を求められないようにしてる?」
「う……そ、そうだけど……」
「…………」
「な、なに?」
「いや、可愛いなぁと思って」
「か、からかわないでってば!」
「これは本音なんだけどな。まあでも、このままずっと僕を出陣させないわけにはいかないだろう?」
「それは、そうだけど……」
「ご褒美くれる準備して待っててね」
 というと、光忠くんは私に艶っぽい視線を送ってきた。その視線を見ると、必然的に一週間前のやり取りを思い出してしまう。
「ご、ご褒美はともかくとして、口にキス、なんてできるわけ……」
「次はくちびるにキスしてくれる前提で話が進んでるから、てっきりしてくれるのかと思ったのに」
「……!」
 指摘されてから気付く。今の今まで、次のご褒美は口にキスするものとして話をしてしまっていた。光忠くんはにっこりと笑っている。私はため息を抑え切れなかった。
「はあ……あのさ、キスって好き同士でするものだから」
「僕は君のこと大好きだよ。君だって、僕のこと少なくとも嫌いじゃないだろ?」
「それは、まあ、そうだけど……口へのキスは親愛の情だけじゃなくて、恋愛の意味でするものなんだから。恋愛がどうとか、まだよくわからないのかもしれないけど」
「恋愛、ね」
 意味ありげにつぶやいた光忠くんは、私を見つめて目を細めた。艶っぽい視線とは別に、不機嫌そうな色も含んでいた。何か、気に障るようなことでも言っただろうか。
「次に出陣する部隊には入れてくれるよね、主」
「え? あ、それは、うん」
「じゃあ、頑張ってかっこいいところを見せないとね」
 と言うと、光忠くんは背を向けて去っていった。その背中を見送りながら、なぜ彼が不機嫌になったのだろうと考えていた。答えは、すぐにはわからなかった。



 翌日、光忠くんを主力部隊に復帰させた。出陣していった部隊を見送ったのは早朝のことで、今はもう日も暮れかけている。主力というからには錬度の高い刀剣男士たちばかりの部隊で、一定の緊張感は保ちながらも気負った様子もなく出陣していった。それほど心配していなかったが、いつもより帰りが遅いことに不安を感じ始めていた。最近、検非違使なる強敵もたびたび戦場に現れている。どうにも落ち着かず、玄関先と広間をうろうろしている。
 主力部隊が本丸に帰還したのは、ちょうど私が広間にいたときだった。部隊の一員だった堀川国広くんが、血相を変えて広間に飛び込んできたのである。
「主さん! 大変なんだ、すぐに手入れ場へ来て!」
 見ると、彼は軽傷を負っていた。彼の手入れが必要なのはわかったけど、そんなに慌てるような状態ではない。ならばなぜこんなに急いでいるのか。手入れ場へ足を踏み入れると、その答えがわかった。主力部隊のほかの刀剣男士に付き添われた光忠くんが、血に濡れた状態で横たわっていたからだ。
 悲鳴が出そうになるのを寸ででこらえた私は、パニックを起こしそうになる頭を落ち着かせるために深呼吸した。私のそばに立っていた堀川くんが、ふらついた私を支えてくれた。
 光忠くんは意識ははっきりとしているみたいで、私に気がつくと、脂汗をかいた顔で弱々しい笑みを浮かべた。
「かっこわるいところ、見られちゃったな……」
「……っ! バカ、今すぐ手入れするからしゃべらないで!」
 私は彼の隣に置かれてあった本体に手を伸ばすと、慎重に鞘から抜いた。重傷一歩手前の中傷といったところだ。傷ついた刀身と光忠くんの血を見て、怯みそうになる心を叱咤して手入れを開始した。
 手入れを始めると、誤って自分の指を切り落とさないように、そして刀身をさらに傷つけないように集中する。手入れ場にいたほかの刀剣たちは、集中を乱さないようにと手入れ場を出て行った。彼らも軽傷を負っているので、後で手入れをしなければならない。
 手入れを進めてどれほど経っただろうか。ようやくひと段落ついたというところで、一旦手を止める。集中が切れ掛かっている。ふと光忠くんのほうを見ると、傷も浅く変化していて、起き上がって自分の体の血と汚れを拭っていた。
「もう……なんで、こんな状態になってたの……」
「検非違使に遭遇したんだよ。不意をつかれて、先手を取られてしまってね。相手方の槍たちが攻撃してきたのを僕が防ごうとしたんだけど、向こうのほうが上手だったみたいだ」
「……っ、無茶して……!」
「とっさに、そうすることしか頭になかったんだ」
 つまり、味方をかばう形で敵の集中攻撃を受けたってことだ。こんな状態になるくらいまで、無茶をしなければいけない相手だなんて。もしもの事態を考えると、恐怖で目の前が真っ暗になりそうだ。そうするしかなかった、という状況も頭では理解できるが、感情はそう上手く処理し切れなかった。
「どうして一身に攻撃を受けたりしたの、もし折られてしまったらどうするの!」
「他のみんなは深手は負ってないんだろう? じゃあ、結果は上々じゃないかな」
「そういう問題じゃない! そんなの結果論だよ……!」
「……ごめん」
 光忠くんが表情を消して謝ったのを見てから、私は手入れを再開した。三十分ほどで仕上げると、光忠くんの身体には、ほとんど傷が残っていなかった。いつ見ても、不思議なものだと思いながら、彼の本体を鞘に戻した。
「少し、張り切りすぎちゃったかな」
「え?」
「君にかっこいいところ見せたくて……ご褒美が欲しかったから、逸ってしまったのかもしれないな」
「……こんな無茶したひとに、ご褒美なんて……って言いたいところだけど」
「ん?」
 光忠くんが怪訝そうに視線を向けてくる。私も、自分が何を言ったのかよくわかっていなかった。ご褒美なんてあげないと言いたかったはずなのに、なぜ含みを持たせる言い方をしてしまったんだろう。光忠くんの怪我が、ご褒美云々が関係あるのかもしれないとでも思ったのだろうか。あるいは、一週間も戦場から遠ざけてしまったから、責任を感じているのか。どちらが関係しているのかわからなかったが、ただひとつはっきりしているのは、光忠くんが折れなくて良かったと、心の底から安堵しているということだ。
「いいよ……ご褒美、あげても。何がいい……かな?」
 私の消え入るような声でも、二人きりでしんと静かな手入れ場では聞き取れるようで、光忠くんが息を飲んだ。じっと私を見つめている。私は、もしかしてすごく恥ずかしいことを言ってしまったのではないかとどきどきしていた。顔は絶対赤くなっていると思う。
 光忠くんが動いた。私の目の前に来ると、目線を合わせてきた。不思議な色合いの片目で見つめられ、私は金縛りにあったように動けなくなった。
「───君が欲しい」
 彼が言い直した台詞の意味を嚥下する間もなく、くちびるを彼の口でふさがれた。くちびるから伝わってくる、自分のものではない微熱。はっとして身体を離そうとするけど、光忠くんに抱き寄せられてそれはかなわなかった。
「ん、んっ……!」
 きつく抱きしめられて、くちびるを吸われる。合わさったくちびると触れ合った体から光忠くんの熱が伝わってくる。熱い。いや、これは自分の身体の熱なのかもしれない。伝わってくる熱に感化されて、私の身体の芯もまた熱くなっていた。
 どれくらいそうしていたのか。息苦しさを覚えて光忠くんの胸をたたくと、彼はくちびるを離した。だが、身体にはまだ彼の腕が回っている。その腕に力を入れられ、私は光忠くんの胸に顔をくっつけるような形になった。
「君は、くちびるへのキスは恋愛感情でするものって言ったよね。僕は、もうずっとそういう目で、君を見てるよ。恋愛の意味で好きなんだ」
「み、光忠くん……」
「ご褒美なんて、君の気を引く口実だよ。どんなことでもいいから、君に僕を意識して欲しかった。ねえ……僕のこと、どう思ってる? ただの、君の刀でしかないのかな」
 腕の拘束を少しだけ緩めた光忠くんは、私の目を覗き込んできた。私はというと、キスされて抱きしめられて告白されて、混乱の極みに陥っていた。落ち着きたくても、光忠くんとは少し顔を近づければキスが出来そうなくらいに近い。腕の力も、抱きしめられていた時よりも緩められたとはいえ、まだ逃げることを許さない強さがある。せめて光忠くんの目から逃げようと、あちこちに視線を泳がせた。すると、目に入ったのは、手入れした時のままの、なにも纏っていない光忠くんのたくましい胸板だった。
(こっ、これは……! 欲しいってそういう意味!? ちょっと、いやかなりの貞操の危機なのでは……! え、ちょっと待って! まだ、そんな、いきなりすぎるって!)
 もしこのままの状態で押し倒されたら、そのまま致してしまいそうな雰囲気が場に漂っている。冷静に考えれば、光忠くんの上半身裸を見ただけでどうしてそんな突飛な発想になるのかまったくわからないのだが、このときの私は本当に混乱していたとしか言いようがない。
「み、光忠くん、あのね、こういうことはちゃんと段階を踏んでからじゃないと……! 今はいきなりすぎるっていうか光忠くんのことは正直かなり意識してるけどまだそこまで気持ちが追いつかないっていうか……!」
 この場をなんとかしのごうと早口でまくし立てる。本音がだだ漏れのような気がするけど、そんなのは今は構っていられない。なんとか逸る光忠くんを落ち着かせようと、それしか頭になかった。しかし、光忠くんががっくりとうなだれてしまったことにより、逸っていたのはむしろ私のほうだと気付かされた。
「…………うん、あのね……この状況、笑ったらいいのか落ち込んだらいいのか喜べばいいのか、よくわからなくなってきたよ……」
「え?」
「……そこまで考えてくれたのは嬉しいよ。段階を踏んでからっていうのは僕も、そりゃ理解できるし。今は特に、そこまで考えてなかったっていうか……」
「……!!」
(は、早とちりしちゃったってこと!? 恥ずかしすぎる……!)
 今なら羞恥心で穴を掘るどころか金脈も掘り当てられそうなほどだ。顔から火が出そうとはまさにこのことだ。
「昨日の会話から考えて、君は恋愛に関してはかなり鈍い方だってわかったから、あんまり期待はしてなかったけど……僕を意識してくれてるっていうのは、本当みたいだね。それは、すごく嬉しいよ」
「う……うん」
「ただ、雰囲気ぶち壊しだなぁって思うと、残念かな……すごくいい雰囲気だったよね、さっきまで。もう一回くらいキスしたかったのに」
「なっ……!」
 沈静しかけた頬の熱が、光忠くんの言葉でまた上がってきた。その反応を見て、彼は嬉しそうに笑った。
「僕のこと、もう他のみんなとは違う目で見てるって、自惚れてもいい?」
「あ、う、えっと……う、うん……」
「よかった。いつか、君が僕のことを本当に好きになったら……そのときは、今日のご褒美をくれる?」
(ご褒美って……もしかしなくても、私のこと、だよね……?)
「僕は待ってるよ。じゃあ、今日はこれで我慢」
 というと、光忠くんは私の頬に音を立ててキスをした。思わずぎゅっと目をつぶり、くちびるが離れていってから目を開けた。光忠くんは、嬉しそうに、というよりも、幸せそうに微笑んでいた。我慢というが、もうさっきくちびるを奪われてしまったんだけど、今の光忠くんに何を言ってもかなわないように思えたので何も言わなかった。
(いつか、光忠くんのことを本当に好きになったら)
 光忠くんは尻ごみする私を気遣ってそう言ってくれたけど、本当は、自分の心のうちなどとうにわかっていた。いつか、私が勇気を出して素直な気持ちを打ち明けることができたら、そのときは光忠くんの言ったとおりになるんだろう。


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