君の一番に



※「くちびるの味」の続きです



 ある日の昼下がり、はいつものように書類と格闘していた。日課任務は一日かけてこなす任務もあるが、大体が昼前には終わる。その後、日課以外の政府から与えられた任務の報告書や課題などを片付けなければならない。これは週明けの月曜に与えられることが多いが、その量は気まぐれに変動する。今週は多いほうで、近侍の山姥切国広の厳しい監視の下、日々文机に向き合っていた。
 ちらり、との近くに陣取って政府からの伝達書類に目を通している山姥切を見やる。があまり熱心に書類に目を通さないので、彼が代わりに書類の内容を把握しているのだ。かなり助かっているが、もれなく小言もセットでついてくる。
 近侍の仕事は主に審神者の秘書的なものだが、そのほかに彼が自主的にやっていることは多い。仲間たちの補助や作業場の管理など、今や彼なしには本丸は立ち行かなくなっている。仲間たちが増えて隊も増やしたいところだが、彼が万能すぎて、新しい人材選びがあまり気が進まなくなっていた。
(山姥切くんに仕事が偏りすぎっていう状況はあんまり好ましくないんだけどな……本丸は堀川国広くんが仕切ってるし、彼を近侍にするのもだめか……)
 任務以外のことでも、考えなければならないことが多い。思わず目の前の仕事から近侍について考えをめぐらせると、山姥切がすかさず声をかけてくる。
「手が止まってるぞ」
「う……はい……」
「また何を悩んでるんだ。そんなんじゃ仕事が終わらないぞ」
「あ、顔に出てた?」
「あんたはわかりやすいからな」
 が顔に出やすい性分なのは間違いないが、山姥切との付き合いが長いせいもあって、彼には隠し事ができない。他の仲間に悟られる前に、彼に相談するのが当たり前になっていた。
「近侍のことで悩んでたんだよ。そろそろ新しい隊も増やしたいし、近侍として頼れる人も増やしたいなーって」
「ああ……まあ、俺がずっとあんたの近侍というわけにもいかないからな。俺にしかわからないことが増えてしまったら、いざという時に困るだろう」
「そうなんだよね。その新しい近侍について、どうしようか悩んでたんだ」
 と、そこまで言ったところで、部屋の外から足音が聞こえてきた。山姥切が気配に気付いて口を閉じたところで、やってきた人物から声がかかる。
、入ってもいい?」
「光忠くん? うん、どうぞ」
 恋人の燭台切光忠の声だった。の承諾を得て部屋に入ってきた彼は、湯飲みが二つ載った盆を手にしていた。
「お茶を持ってきたよ。そろそろ休憩しよう」
「あ、ありがとう」
 今日も今日とて彼の気配りが光る。へ湯飲みを渡すと、ちらりと山姥切のほうを見て、山姥切にも湯飲みを差し出した。
「はい、山姥切くんもお疲れ様」
「…………」
 山姥切は微笑みを湛えた光忠の顔を見つめ、わかりやすいため息をつくと、湯飲みを受け取らずに立ち上がった。
「俺はいい。ちょっと作業場のほうを見てくる。あんたは休憩してろ。しばらく戻らないが、切りのいいところで仕事に戻れよ」
「あ、うん。いってらっしゃい」
 部屋を出て行った山姥切を見送って、光忠がにっこりと笑って「じゃあ、二人でお茶にしようか」と言った。この男、最初からこれが狙いだったのだろう。光忠の意図を汲み取って二人きりにしてくれた山姥切に、頭が下がる思いだった。山姥切にも光忠との関係を伏せているが、二人の微妙な態度の違いを感じ取っているのかもしれない。やはり彼には隠し事は出来ないようだ。
 冷めないうちにお茶を頂く。ほんのりとした甘さがある緑茶だ。銘柄はよくわからないが、安物ではなさそうだ。それとも光忠の入れ方が上手いのか。
(たぶん、どっちもだろうな)
「おいしい……」
「そう、よかった」
 がぽつりと感想を述べると、光忠は嬉しそうに笑った。堀川や山姥切が気を利かせてお茶やお菓子を差し入れてくることはあったが、光忠がこのようなことをするのは珍しいことだった。何か用でもあるのだろうか。
「光忠くんがお茶を持ってきてくれるなんて珍しいね。どうしたの?」
「どうしたって程でもないんだけど、今週に入ってから忙しそうにしてただろう? だから、息抜きになればと思ったんだ。それに……」
 そこまで言って、光忠は少しばつが悪そうに頬をかいた。
「あまりにも山姥切くんが君に付きっ切りだったから」
「……やきもち焼いてくれたの?」
「カッコ悪いことにね」
 仕事のこととはいえ、山姥切と二人きりが長く続いていたので妬かせてしまったようだ。カッコ悪い、と言って苦笑いを浮かべた光忠だが、としては嬉しいことだった。
「山姥切くん、スパルタだからそんな雰囲気になったこともないけどね」
「僕も頭ではわかってるんだけどね、目が届かないところで僕以外の男と二人きりなんて、やっぱり穏やかじゃいられないよ。ごめん、困らせたかな」
「ううん」
 むしろ恋人にやきもちを焼いてもらえるのは嬉しいことだ。ここは以外は男しかいない。もいざ光忠が他の女性と二人きりになっていたら、嫉妬せざるを得ないだろう。
 お茶を飲んで一息つく。昼食を取ってからずっと机に向き合っていたので、伸びをすると体が変な音を立てた。こういうときに、もう少女ではないのだなと実感して悲しくなる。
「んんー、今週ずっと書類とにらめっこしてるとなると、さすがに肩が重いや」
「こってるのかな? 揉んであげようか?」
「え、本当? そうしてもらえると助かる……」
「うん、お安い御用だよ」
 の後ろに座った光忠がそっと肩に手をのせ、優しい手つきで揉み始めた。普段ならその強さでも気持ちいいかもしれないが、今はもう少し強いほうがいいかもしれない。
「光忠くん、もっと強くてもいいよ」
「そう? こんな感じ?」
 と言って、光忠が力をこめる。痛さと心地よさの中間ぐらいの強さで、今のにはちょうどよかった。
 光忠はしばらく、肩や背のほうまでこりを揉み解していた。彼にいつまでもそんなことをさせるのはさすがに気が引けたので、そろそろ止めることにする。
「光忠くん、ありがとう。だいぶ肩が軽くなったよ」
「もういいのかい?」
「うん。近侍ってわけでもないのに、いつまでもこんなことさせるわけにはいかないし」
「……へえ、それって、山姥切くんに揉んでもらったことがあるってこと?」
 光忠の低い声を聞いて、自らの失言に気付いた。これでは山姥切には肩揉みさせているような言い方になっている。
「あ、いやいや、違うよ。山姥切くんに肩を揉んでもらったことなんかないよ。ただ、近侍みたいに私の補佐ってわけでもないのに、こんなこと長々とさせるわけにはいかないかな、なんて」
「……近侍じゃないのに、ね。僕は、主の……君のためなら肩揉みだって何だってしてあげたいよ」
 肩にかかっていた光忠の手がの体に回されて抱きしめられる。光忠はの肩に顎を乗せ、耳元に口を近づけると低く囁いた。
「ねえ……僕を近侍にしてよ」
「み、光忠くん?」
「山姥切くんのやってた事だって全部こなしてみせる。今まで以上に、君の役に立ってみせるから、僕を君の一番近くに置いてよ」
「……光忠くん、どうしたの? どうしてそんなこと言うの?」
 いつも微笑みを崩さずに飄々としている彼らしくない、苦味が濃い言葉だった。先程言っていた嫉妬が原因なのだろうか。
「……君の一番になりたいんだ」
「一番?」
「君の恋人のはずなのに、って思うだろう? 僕も最初はそうだった。君の恋人になって、天にも昇るような幸せだと思った。ずっと恋焦がれてた人に振り向いてもらえたって。でも、最近それだけじゃ満足できなくなってきたんだ。どんどん欲張りになっていくんだ。……ねえ、君が一番好きなのは僕だよね?」
「う、うん、もちろん」
 突然投げかけられた問に答えると、光忠は少し笑ったようだった。
「うん。でも、君が一番頼りにしてる男は僕じゃない。山姥切くんだ」
 次に続いた言葉に、は声を詰まらせた。そういうことかと、今更得心がいった。光忠は、の全てにおいて一番になりたいといっているのだ。
「君をずっと見ているからわかる。何か問題が起こったとき、困ったことがあるとき、仕事の話を相談するとき、真っ先に君が声をかけるのは彼だよ。僕じゃないんだ。だから……だから僕は、君の近侍になって、君の一番頼れる男になりたい。君の一番が他の男だなんて嫌なんだ」
 を抱きしめる腕の力が強くなっていく。正直痛いほどだが、光忠の心はもっと痛いのだと思うと、それは全く気にならなかった。
 光忠の懇願は叶えてやりたい。光忠がをこうまで独占したいと思ってくれることは単純に嬉しいことである。だが、近侍という立場は、「なりたい」と言われて「わかりました」と気軽に了承できるほどのものではない。審神者になりたての頃は近侍なんてものは本当に必要なのかと半信半疑だったが、今なら重要性がわかる。審神者であるの仕事と本丸の全体、仲間の状態を把握していなければ勤まらない。近侍が迷えば本丸の流れが滞る。それは、が主という立場ゆえに手出しできない部分も含んでいる。光忠にそれができないと言っている訳ではない。ただ、一朝一夕に決められるものではないのだ。
「光忠くん……ごめんね、不安にさせて。ありがとう、そこまで思ってくれて、嬉しい」
「……ごめん、困らせてるよね」
「ううん、言ってくれて嬉しかった。でもね、近侍のことは……今すぐに決められない、ごめんなさい」
 が小さく、しかしはっきりとそう告げると、光忠は頷いての肩に鼻先を押し付けた。
「うん……そうだよね。わかってるんだ、僕にも。君は僕の恋人だけど、みんなの主でもあるんだから」
「ごめん……候補として考える、けど今は、必ず光忠くんが次の近侍になるって断言はできない」
「……うん」
「でもね、光忠くんは私にとって一番だよ。その、男性として見てるのは、光忠くんだけだし。肩揉みだって……もし山姥切くんが肩揉みするって言ってくれたとしても、絶対断ると思う。触れていいのは、触れて欲しいって思うのは光忠くんだけだよ」
 が必死に言葉を探して言い募る。こんな言葉では光忠の不安は完全には晴れないかもしれないが、何も言わないよりはましだろう。こんなありきたりなことしか思い浮かんでこない頭がもどかしい。体に回されている光忠の手に自分の手を重ねて、ぎゅっと握った。すると、光忠は再び腕に力をこめてを抱きしめた。これ以上くっつけないほどに、強く。
「ありがとう……ごめん、困らせて」
「ううん、私はこんなことしか言えないし」
「いや、君の言葉で安心したよ。本当に」
 光忠の声は、先程のような苦しさは含んでいなかった。少しでも彼の不安を解消できたのならば良かったと、も安堵した。近侍云々は避けては通れぬ道だろうが、誰を選ぶことになっても、光忠に不安を抱えたままで居て欲しくない。が刀剣男士たち皆の主という立場である以上、わかっていても割り切れない思いもあるだろう。それは、二人で話し合っていくしかない。
「君を困らせたくないけど……正直に言うと、やっぱり近侍になりたいよ」
「うん、光忠くんの気持ちはわかったよ。私も正直に言えば、光忠くんに近侍になってほしいし……光忠くんが近侍になっても文句言われないような理由を、いっぱい考えなきゃね」
「あはは、そうだね。僕も、今以上にカッコよく活躍して、近侍に選ばれても文句言われないようにしなくちゃいけないね」
 二人して顔を見合わせて笑い合う。は今まで真面目に審神者としての役目を果たしてきて、推測だが皆の信頼はあるほうだと自分で思っている。そのの判断を疑う者は少ないだろう。何より、光忠も今まで十分に仲間を支え、貢献していることは、仲間の誰もが知っていることだ。おそらく、光忠が近侍に選ばれてもあまり不満は出ないはずだ。
 冗談半分で光忠を近侍にする理由を考え始めただったが、案外すんなりと皆を納得させられるような気がしてきた。私情が多分に含まれる近侍の選定に心苦しさがないわけではないが、光忠の嬉しそうな態度を見ることが出来る、その嬉しさのほうが勝ってしまう。たまにはこういうのもいいか、と次回の近侍選定において公平な主であることを諦めただった。


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