めんどくさい女



 京は一年中日本以外のどこかに行っていることが多くて、日本に帰ってくるとすれば京が気まぐれを起こしたときか、冬ぐらいなものだ。冬の真っ盛りになると、国外に出ているくせに寒い、とか、やっぱりこたつがないとな、とか言って帰ってくる。単に彼の誕生日を祝ってもらいたいだけなのかもしれないと思ったこともあるけど、誕生日にいなかった年もあるのでその可能性は低いかもしれない。今も、こたつに丸まってテレビをぼーっと眺めている。久しぶりに帰ってきたのに、久しぶりに恋人とも再会したのに、帰ってきた日からこの調子だ。
 でもまあ、京と再会した瞬間に甘い雰囲気になるというのも慣れていないので、それはそれで少し遠慮したいかもしれない。ただ、二人きりの私の独り暮らしの部屋ではラブラブ感を出してもいいのではないだろうか。
 そんな風に思いながらちらりと京を見ても、さっきから同じようにテレビを見ているだけだった。小さいこたつの中で脚と脚がぶつかってじゃれあう、ということもない。なんだかなあ……と思いつつこたつの上に置かれたみかんを一つ手にとって皮をむき始めた。皮をむきながら適度に熟していておいしそうなみかんだなぁと思っていると、半分に割ったみかんを横から伸びてきた手に奪われた。もう半分は私の右手に残っている。
「あ、こら」
「さんきゅー」
「違うし。京のためにむいたんじゃないし。ていうか自分でむきなよ」
「あー、めんどくせぇ」
「おい」
 この男は。普段はなぜこんなにもめんどくさがりなんだろう。長男でおぼっちゃんで、しかも一人っ子だからか想像以上にわがままプーだし、これが本当に異種格闘技大会の常連なのだろうか。まあこんなんでも本当に強いし疑ってはいないけど、ギャップに戸惑うのは許して欲しい。
 結局みかんは半分取られた挙句、残り半分を食べていると、それすらも横から伸びてきた手につままれてしまったので、みかんは三切れくらいしか食べてない。あれ、私は自分のためにみかんをむいたはずだったのになぜこんなことになったのか。
 それからお風呂に入って歯を磨いて、あとは寝るだけになった。ちなみにお風呂は別々である。一緒に入るのはさすがに恥ずかしいし、なにより一人暮らしの部屋の風呂に二人で入るのはきつすぎる。京はこう見えて格闘家らしくガタイがいいのだ。
 しかし布団は一緒である。京は一人用の布団に家主の私よりも先に入ってぬくぬくしている。先ほど電気敷き毛布の電源を入れておいたので、ちょうどあったかくなっていることだろう。どこまで自由気ままなんだろうこの男。
「……? どうした、ほら寝ようぜ」
 布団のそばで立ったままの私を怪訝に思ったのか、京が布団に入ったまま見上げてきた。声をかけられても返事をしないままでいると、京はやれやれ、といった様子で身を起こし、布団をめくって空いたスペース──つまり京の隣をぽんぽんとたたいた。
「いつまでぶーたれてんだよ、ほら」
「……ぶーたれてなんかないし」
 そのぽんぽん、とたたく姿がちょっと可愛かったので、少しだけ機嫌を直して京の隣に座った。顔はぶすっとしたままだったのだろう、京が笑いをこらえつつ、両手で私の両頬をぎゅっと挟んだ。
「はにふんの!」
「ぶーたれてんだろうが。そんな顔してっとぶーちゃんになるぞ」
「ひみはかんねー!」
 京の両手から逃れるために顔をぶんぶんと振ると、案外あっさりと手は離れていった。ちょっと痛かったけど、体温が離れていったことが少し寂しかった。
「いい加減機嫌直せよ」
 つん、と頬をつつかれて、私はほっぺたを押さえて京を見返した。しょうがない、みたいな顔をしている。駄々っ子に付き合うような感じか。普段は私が京のわがままに振り回されてるのに。
「……べつにー、機嫌悪いわけじゃないし」
「それが機嫌悪いんじゃなくてなんなんだよ。ま、機嫌悪いんじゃねえならさっさと寝るぞ」
 というと、京は本当にさっさと寝転んでしまった。なんなんだこの男は。もうちょっと彼女の機嫌を直す努力をしてみてもいいじゃないか。あ、努力は嫌いでしたね、すみません……じゃない!
「もう……帰ってきてから、ずっとこんな調子じゃん」
「あん?」
「久しぶりに会えたのに……もっとこう、再会を喜んでくれてもいいじゃんか」
「お前な……そういうこと俺に言うか? とにかく、今日はもう寝るぞ」
 不満が爆発した私がとうとう本音を口にすると、京は呆れたように私を見上げてきた。そりゃそうだ、京と付き合ってからそんな雰囲気になったことなんて数えるくらいしかない。
「……やだ」
「あ?」
「……ぎゅーってしてくれなきゃ、やだ」
「はあ?」
 普段ならこんなこと恥ずかしくていえないけれど、不満をぶちまけている今なら何も怖くない。京もそれを驚いているらしく、再び身を起こしてきた。こんなこと、私からねだったりしない。
「何言ってんだよ」
「京がぎゅーっとしてくれるまで寝ない」
「お前なあ……」
「寝ないもん。寝れないもん」
 いつもはこんなこと言わないし、わがまま自体あまり言ったことないから、京は戸惑っているみたいだ。私も少し、この後京が私を放って寝たらどうしよう、と自分でも困っていた。というか、私の言うことを聞いてくれるよりそちらのほうが可能性は高い。やばいどうしよう。
 ぶーたれる私をしばし見つめたあと、京はため息をついて後ろ頭をがしがしかいて、こんなことを言った。
「たまにめんどくせえこと言うよな、お前」
 あ、この反応は先に寝るほうかな。京の言葉に地味に傷ついて今夜はどうやって過ごそうかな、なんて考えをめぐらせていると、いきなり強く抱き寄せられた。
「えっ……あ、え?」
「……んだよ、こうして欲しかったんだろうが」
「あ……うん……」
 まさか京が私のわがままを聞いてくれるなんて。意外すぎてすぐに言葉が出ない私を不満げに見下ろして、またぎゅっと私を腕の中に収めた。
「俺だってな、離れてる間お前に会いたいって思ってる」
「……京が?」
「お前な……ここでそんなかわいくねえこと言うか?」
「か、可愛くなくて悪かったな」
「別に、俺はお前が……普段わがまま言わねえような、聞き分けがいいから好きになったんじゃねえよ」
「……え?」
「俺は、不満があっても吐き出さずに溜め込んで、たまに言うわがままがすげーめんどくせえお前が……」
 京は腕の力を緩めると、私の顎をそっと上げさせて、くちびるに優しくキスを落とした。こんなときに、こんなに優しいキスは卑怯だ。
「好きなんだよ」
「京……」
「だからよ、不満があれば言えっつーんだよ。めんどくせえのはめんどくせえけど、そのめんどくせえわがままを聞くのが彼氏ってやつだろ」
「きょ、京……!」
 ここまで言葉にしてくれる京に感極まって抱きつくと、京は私を受け止めてまたぎゅっと抱きしめてくれた。同じシャンプーの香りと、ほんの少し京のにおいがして、私はますます泣きそうになってしまう。
「じゃあ……今日は腕枕してくれる?」
「ん……わかったよ、しょうがねえな」
 京は寝転がって、布団の私の場所に左腕を伸ばす。私はそこに嬉々として寝転がり、京の腕を枕にして、京の胸へ飛び込んだ。京はげんきんな私に少し笑って、左腕で髪をすいてくれた。
「あのね……」
「なんだ?」
「出来れば、京がここにいるまで、こうして一緒に寝たい……んだけど……」
「おいおい……そりゃ結構な期間だな。お前ほんとめんどくせえこと言うな。どうせ寝ちまったら腕枕なんて関係なくあちこち寝転がっていくくせによ」
「う……ごめん」
「別に、謝れなんていってねえよ。どうやらそのめんどくせえ女が好きらしいし」
 その言葉に、やっぱり私は嬉しくなって、ちょっと泣きそうになって、それを京に気付かれたくなくて、京の胸に顔を擦り付けた。京はそんな私に気付いているのかいないのか、小さく笑い声を上げて、私を抱きしめてくれた。
 わがままで自分勝手でいつだって自分が一番偉いって思っていて口も悪いけど、私のことをこうやって気にかけてくれるんだ。それだけで、私の心はふわふわ浮き上がってしまう。自分でも、なんて面倒な女だと思うけれど、京が好きだって言ってくれたのなら、それも悪くないかな、と思ったのだった。



めんどくさい女2→


inserted by FC2 system