色のない炎が火をつける
※庵視点の独白短文 眠る時はいつも悪夢ばかりだ。
それは八神の血が引き起こすものだ。オロチの血を取り入れたことによる、一生覚めない悪夢を見続けている。ゆっくりと眠ったことなど、オロチの力が影響するようになってからはほとんどない。
この身は死ぬまで憎しみの炎に焼かれ続けている。
最初は草薙一族との因縁が始まりだったが、いつしか草薙京個人への憎しみへと変わっていた。もはや一族の因縁など関係ない。悪夢も憎悪も、京個人へと繋がっていると庵は思っている。
眠る時はいつも悪夢だ。
そんな中でも、寄り添ってくれる存在が現れた。どれだけ冷たくあしらっても追いかけてきた女。どれだけ睨んでも、あるいはどれだけ無視しても庵を見つめることをやめなかった。根負けするような形で受け入れてからは、久しく感じていなかった人の温もりを与えてくれる存在となった。
――眠る時はいつも悪夢だ。加えて、オロチの力が影響する庵には、いつ我を失うのかという危惧がある。
再び封印し、奪われた八尺瓊の力を取り戻してからはオロチの気配も弱まっているが、それでも時折庵の体を蝕む。暴走するまでには至らないが、血を吐くことがあるのだ。
と寝る時も、ゆっくりと眠りにつくことはない。悪夢と憎悪の中にあって、幾分か穏やかに過ごせる瞬間ではある。しかし、完全に気を抜くことはない。そのようなことは有り得ないのだ。
いつかのように、身近な人をこの手で切り裂いてしまうかもしれない。それが、意識の底の底に常にある。
庵がほとんど眠ることなくの寝顔を見ていると知られたくなくて、いつも抱き潰す。そうすると、疲れ果てたは朝まで起きることはない。
今夜も失神するように寝入ったは、規則正しい寝息を立てている。平和そのものの寝顔を眺めていると、こちらまで落ち着いてくる。いつしか浅い眠りについているということもある。
世の男が与えてやれるものを庵は持っていないのに、なぜは庵を追いかけてきたのだろう。
と関係を持つ前から思っていることだった。安定だとか将来を誓い合うとか、そういったことを与えることはできない。オロチの影響を受ける体と、オロチの力を利用したい者やネスツの残党といった連中に付け狙われている現状を考えると、いかなる約束もできない。こんなふうに触れ合っているが、明日はどうなるかわからないのだ。
深入りする前に手を引いたほうがお互いのためだ。これ以上が自分の中に入り込んできてはならない。いざという時に追いすがってこられても困ると、庵は常々考えている。
そう考える時点でに対して情を移しているのだと、庵は気づいていない。
庵は息を殺し、仰向けで寝息を立てているに触れるだけのキスをした。
くちびるから伝わる柔らかい感触が、心の内に入り込んでくる。胸のあたりがじわじわと温かくなって、やがて全身に伝播する。
柔らかな頬に、腫れかけたまぶたに、前髪が邪魔をする額に、同じようにくちびるをつける。
そのたびに体に広がっていく熱が、一時、内から庵を焼くものを鎮める。
あの男を殺すまで、完全に癒されることなどない。あるいは、生きている限りは。
だから、触れても無駄だ。手を伸ばしても無駄だ。そばに置いても、無駄だ。
の額にくちびるをつけて体温を分け合ううちに、まぶたが重くなってきた。庵はそれに抗わなかった。
こんなふうにあっさりと眠りに入ることも久しぶりだ。を抱き潰したことで、庵自身も疲れたのか。
がそばにいるから、とは考えない。その考えは庵にとってあまりにも無益だ。いつかは突き放してしまう存在を、自分の中で大きくするだけの考えだ。
そう思っているのに、なぜ――
浮かんだ問いは、意識を手放すことによって立ち消える。
結末が決まっているならこの瞬間も無意味だ。
本当にそれだけなら、そばに置くことはしない。触れることなどない。
答えなど、とっくにわかりきっている。自問することで答えを出すことを避けている。
矛盾に気づきながらも、どうすることもできずにいる。
会うたびに矛盾が増えていく関係を、疎ましくも受け入れている。
――答えなど、とっくにわかりきっている。
←戻る