12、三月


 冬の寒さがほんの少し弱くなって、晴れる日が多くなってきた三月。桜はまだ咲かない。
 あれから一年がすぎた。私が、恋心を捨てると宣言した日から、一年余り。私は今日この高校を卒業した。もう卒業式は終わって、在校生たちの見送りが校門でされているところだ。校門前は生徒でごった返している。
 私は生徒会室から教室へと戻った。今まで生徒会の後輩たちが別れを惜しんでくれていたのだ。教室には私を待っていた天化と、他に数人クラスメイトがいた。

、生徒会は終わったのか?」
「うん、帰ろっか」
「ん」

 天化は卒業証書の入った鞄を持つと、私と並んで歩き出した。

「天化、引越しはいつなの?」
「んー、二十五日。あーたは?」
「私は二十六日」
「そっか」

 私と天化は、志望大学に受かり、実家を離れて一人暮らしをする。私と天化は特に示し合わせて受験したわけではないのに、同じ大学に進学することになったと知った時は驚いた。天化はスポーツ推薦で、私は普通の試験で受けたのだが、幼馴染の腐れ縁もここまで来ると感動する。
 職員室の前を通りかかると、ちょうど職員室から出てきた望ちゃんと目が合った。望ちゃんは私と天化の名前を呼んで、目尻を下げた。

「おう、これから帰るのか?」
「うん、私も天化も部活の見送りとか終わったし」
「そうか。おぬしらももう高校卒業か。大きくなったのう」
「望ちゃん、オヤジくさい」
「オヤジくさいっていうより、ジジイさね」
「わしはまだ二十代だっ!」

 望ちゃんと私、それに天化の関係はあの一連の出来事が起こる前のように、元に戻った。従兄妹と幼馴染。ともすれば、二年生の秋から冬に起こったことは夢だったんじゃないかと思えるほどに、自然に。私はというと、望ちゃんを見るとまだ胸が痛む。ここ一年は受験勉強に集中していたから、よく考えないようにしていたけど。この胸の痛みを感じるたびに、あれは夢なんかじゃないと実感する。でも、それよりも大事な従兄妹と幼馴染を失わずに済んだ安堵感のほうが大きい。

「わしは仕事があるから引越しは手伝えないが、新居ではくれぐれも注意するのだぞ。なんせ、一人だからのう。何かあったらすぐに連絡を……」
「あー、はいはい。わかってるから。もう何回も聞かされたし」
「スース、ホントにオヤジくさい」
「むっ、わしはおぬしらを心配して言っているのだぞ?」
「でもさすがに耳にたこできちゃうよ」
「……まったく」

 望ちゃんがため息をついて、しょうがないという風な顔をした。心配と呆れが混じったような。私はまた胸が痛くなって、ごまかすように先を急いだ。

「じゃ、そろそろ行くね。元気でね、望ちゃん。三年間、ありがとう」
「三年間お世話になったさね」
「うむ、気をつけて帰るのだぞ」

 ひらひらと手を振る望ちゃんを尻目に、私たちは歩き出した。振り返りはしない。



 この胸の痛みを、いつか感じなくなる日が来るのだろうか。いつか、そんなこともあったなぁ、なんて笑える日が来るんだろうか。痛みを思い出に昇華できる日が。



 この物理室からは、校門の一部が見える。物理室がある特別教室棟から校門の方向には、間に本校舎があるため、一部しか見えないのだ。そのほんの一部から、先ほど別れたばかりの従兄妹が見える。校門前にいた友人やクラスメイトに捕まっている。遠目に見ても、一目で判別できる。ずっとそばで見守ってきた存在だから。

ちゃん、一人暮らししちゃうんでしょう? さびしくなるね」

 いつの間にか隣の物理準備室から出てきた友人が、隣に並んで窓の外を見ていた。視線はそのまま窓の外から外さずに返事をする。

「そうだな。さびしくなる」
「……でも、それだけじゃないでしょ」
「別に、それだけだ」

 硬い声で返事をすると、「まだ、そんなこと言ってる」と友人がため息をついた。呆れを含んだ視線が投げかけられる。

「……本当に、これで良かったの? 望ちゃん……」
 この問には答えない。友人も特に返事を求めていないのか、何の反応もない。思えば、この友人には随分と心配をかけた。一年前に相談したときには、従兄妹の気持ちにもその幼馴染の気持ちも把握していたのだという。自覚がないときを含めると、結構な期間だ。それでも、何も言わない。今はただ、従兄妹が学友たちや幼馴染と笑い合っているのを、自分と共にぼんやりと眺めていた。

(これで、よかったのだ……)

 何度思い返しても、何度考え直しても正しいこたえは見つからない。ただ、あのときの自分の判断は間違いではないこたえだったと、自分に言い聞かせるしかできない。今となってはすべてが過去のことだ。
 胸を鈍く締め付ける痛みにはふたをした。目を閉じると思い浮かぶ笑顔は、徐々に忘れるしかない。大切な存在を守るためだったと、立場上仕方なかったと言い訳しながら。
 今はまだ、向き合える勇気がなくても、いつか、胸の痛みがなくなって。あのときのことを、そんなこともあったね、と笑い合える日が来たとしたら、そのときは自分の心を正直に認められるだろうか。
 あのとき自分は、確かに恋をしていたのだと。あの子を、確かに愛しいと思っていたと。




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