9、十一月その2


 文化祭最終日の翌日、私たちは文化祭の後片付けをしていた。私は昨日の事件があったので、午前中は病院で検査してもらっていた。そんなの大げさにするほどではないと思うが、事件のことでショックを受けているだろうとのことで、念のため受けることになった。結果としては、何も異常なかった。少し首にあとがついたくらいだ。
 午後になって学校へ行き、教室の片付けを手伝った後、書道部の片付けも手伝った。どちらも、私が行った頃にはほとんど片付いていた。書道部の片づけを終えて、特別教室棟を後にする。生徒通用口へと向かう途中で生徒会室、そして自習室を通る。ここであったことなど嘘のように、いつもと何も変わらない。
 あのあと、私と天化の要望で、後輩の女の子は何の処罰も受けていない。確かに私にしたことは危険なことだったが、私たちにきちんと謝罪してくれたし、なによりも私はあの女の子を憎めなかった。叶わない思いを抱えているもの同士だからだろうか。
 靴を履き替えて校門を出ると、天化が立っていた。私を視界に入れると、ちょっとだけ気まずそうにしていた。

「天化、なにしてんの?」
と一緒に帰ろうかと思って、待ってたんさ。話あるし」
「う、ん」

 私たちは並んで歩き出した。話。ぎくりと体がこわばって、にわかに緊張してきた。

「検査は?」
「あ、うん。なんともないって」
「そっか。よかった。……昨日のあの子、剣道部はやめるって言ってた」
「え?」
「さすがに、いられないって」
「そう……」

 まだ天化のことが好きなんだろうか。まぁ、簡単にあきらめきれないから、あんな極端な行動に出たんだろう。彼女は私を傷つけようとしたけど、同時に自分自身にも深い傷を残したみたいだ。そしてその傷は、時間でしか癒せない。

「それで、あの子が言ってたことだけど」

 天化の話に足が止まりそうになる。天化には好きな人がいる。それは、どうやら、私のことだと。

「……本当なの?」
「…………ああ、本当だよ。のことが好きだ」

 私は今度こそ足を止めて、恐る恐る天化を見た。天化も同時に立ち止まって、私と視線を合わせる。いつもの天化のはずなのに、まったく知らない人みたいに映る。怖いくらいに真剣な顔。

「いつからかなんて覚えてねぇけど、ずっと好きだった」
「……天、化……」

 なんていえばいいかわからない。好きだったといわれた。好き、天化が私を。異性として。どうしよう。こういうとき、なんていえばいいんだろう。

「……言っとくけど、別にあーたとどうこうなりたいなんて思ってないからな」
「え?」
「言ったろ、報われたいなんて思ってないって。が誰を好きかなんてわかってるし」
「あ……」
「……ああもう、そういう顔させたくないから言いたくなかったんさ! ……困ってるだろ……」
「───!」
(困ってる顔)

 ああ、そうか。天化と私と、あの後輩の子も、好きだけど相手を困らせたくないから、どうしようもなかったんだ。

(みんな、同じだったなんて)

 なんという皮肉なんだろう。誰かを思う気持ちは痛いほど真剣なのに、こんなに苦しいのに。どうしてかなわないんだろう。
 私が何も言えないまま立ちすくんでいると、天化は盛大にため息をついて歩き出した。

「あ、ちょっと、天化!」
「今の話、忘れてくれよ。俺も忘れるから」
「え……?」
にそんな顔させるくらいなら、言わずじまいのほうがまだましだったさ。だから、俺っちのことなんて気にすんな」

 そう言うと、天化は走り出した。あっという間に姿が見えなくなってしまった。後には呆然と突っ立っている私。

(そんなこと言ったって……)

 簡単に好きという気持ちをあきらめられないのに、それをなかったことにして接するなんて、たぶんできない。

***

 それから十一月中はずっと天化や自分の気持ちを考えて過ごしていた。もちろん天化に合わせる顔がないので、天化のことはずっと避けている。それは天化も同じようで、向こうも私を避けている。友人同士で集まる時に顔を合わせることになったときは、なるべく視線を合わせないように、蝉玉に話しかけたりしている。さすがに蝉玉たちにばれているかもしれないが、何も聞いてこないのがありがたかった。授業中も書道部のときも生徒会の時も、傍から見ればぼんやりしているように見えるだろう。

「……こら、。……!」
「……えっはい!」

 大声で名前を呼ばれた。顔を上げると、眉根を寄せた望ちゃんが目の前に立っていた。

「生徒会はとっくに終わったぞ。おぬし以外、もう皆帰った」
「あ……うん……」

 見れば、いつも先輩たちで騒がしい生徒会室は、望ちゃんと私以外誰もいなかった。私は机の上に散らばっていた資料をまとめると、鞄に突っ込んで席を立った。資料の中身は、当然ながら一度も見ていない。思わずため息をつくと、望ちゃんも呆れたように息を吐いた。

「おぬし、ここのところぼんやりしすぎだ」
「……うん、ごめん……」
「はぁ……天化と、何かあったのか?」
「え……」
「天化も、おぬしと同じような感じだからのう。喧嘩でもしたのか」
「……喧嘩……まぁ、そうなのかな……」

 あの不毛なやり取りが喧嘩かといわれればそうかもしれない。私は混乱していたし、天化は自分の気持ちを吐露したことは不本意だっただろう。でも、天化の気持ちもわかる。伝えたくはないけど、知ってほしい気持ち。相手を困らせたくないけど、気付いて欲しい。そんな矛盾を抱えている。

「わしには話せんか?」

 黙ったままでいると、望ちゃんが声のトーンを落とした。心なしか、望ちゃんがさびしそうに見える。その顔を見ると、胸が痛くなった。

「…………その、天化が……」
「天化が?」
「………………好き、って…………」
「…………を、か?」

 私は小さく頷いた。望ちゃんは少しの間私を見ていたけど、やがて息を吐いて頬をかいた。どんな反応をするんだろう。私のことをどう思ってるんだろう。こんなときだけど、それが気になってしまう。望ちゃんは見た限りでは、少し戸惑っているようだけどいつもと変わらないように見える。

「……それで、天化は付き合ってくれ、と言ってきたのか?」
「……ううん、忘れてくれって」
「は?」
「……私が……その」

 どうしよう。このまま、私に好きな人がいることを望ちゃんに言ってもいいのか。望ちゃんに気付かれないように、なんでもないように振舞える自信はあまりない。けど、望ちゃんが真剣に話を聞いてくれている。その顔の前で、嘘をつくのは難しかった。

「他に、好きな人がいるから」

 顔を上げて望ちゃんをまっすぐに見つめる。今、私はどんな表情をしているんだろう。好きな人の前で好きだと告げられずに、もどかしいような顔をしているのかな。今の私は、望ちゃんにどう映っているんだろう。怖くて足が震えそうになる。告白をしたわけでもないのに、相変わらず私は意気地なしだ。もしかすると、声が震えていたかもしれない。
 望ちゃんは、私の言葉に少なからず驚いたようで、少し眼を大きくして私を見つめていた。私も望ちゃんを見ていたから、数秒間、見つめ合っていた。
 私はこのとき、少なからず思っていたのだ。気付いて欲しいと。そしてそれは、表情に出ていたのだと思う。

「…………それで、おぬしはどうしたいのだ」
「…………わからない、どうすればいいのか」
「天化と、どうなりたいのだ」
「どうって……付き合うとか考えたことないし……天化はずっと幼馴染だったから……」
「…………そこまでわかっているなら、もう一度きちんと天化と話し合って来い」
「え?」
「おぬしの本心を言ってやれ。……天化もそれを望んでいるだろう」

 望ちゃんが私の頭をぽんぽん、と撫でる。いつものように。けれどその手は、少しだけぎこちなくて、少しだけ力が入っていた。

(あ……)
「……うん、やってみる。ありがとう」

 私は乱れた前髪を整えながら頭を下げて、鞄をつかんで早足で生徒会室を出た。望ちゃんの声は聞こえてこなかった。すっかり通いなれた生徒通用口までの道を、ほとんど無意識のうちに歩く。もう遅い時間なので、誰ともすれ違わなかった。それでいい、今は誰にも顔を見られたくない。

(望ちゃん……)

 知られたくて、知られたくなかったこの気持ち。もう知られてしまった。


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