1.スキンシップじゃなくてセクハラです



最初にその青年を見たときは、疲れてうつむいているだけだと思った。
一人暮らしの部屋へ帰るための電車の中。サークルの飲み会で、終電になってしまった。
終電だが、意外と乗客はいる。
私は端っこに座っていた。彼は向かい側の席に座っていた。
なんとなく視線を向けた。飲み会での酔いは少しさめかけていた。が、まだ酔っている。
思考が正常に働かない頭で、暇に任せて彼を観察する。
奇抜な髪型だ。蟹みたいに髪が立っている。
彼はうつむいていた。終電に乗っている人たちは、一日の疲れが出ているのか皆眠たげにしているので、彼も眠たいのかと思った。
でも、よく見ると肩が少し震えていた。
両手を強く組んでいる。何かをこらえているのか、とぼんやり思う。
(なんか嫌なことでもあったのかなぁ……こらえられない時もあるよねぇ……)
私は一人で納得して、同情した。
電車が減速する。もうすぐ私の降りる駅だ。
私は鞄の中を探った。目当てのものを探り当てて、立ち上がった。
慣性の法則でゆれる電車の中、私は彼に近寄った。まぁ、彼の座っている側の扉が開くので。
そのついでに、励ましてやろうと思ったのだ。
彼の腕をつかんで手を解かせ、手のひらに、先ほど鞄から探り当てた一粒チョコ(ミルクガナッシュトリュフ)を二つ置いた。
「明日明日!元気だせ!」
と言って、彼の肩をぽんぽんたたいた。ぽんぽんというより、ばんばんかもしれなかった。
彼がびっくりして私を見る。イケメンだった。そして、釣り目がちな目元にかすかに涙。
ひらひらと手を振って、開いたドアから降車する。
自分でも珍しいと思うくらいの善行だった。
(仏心なんて出すもんじゃないなぁ……)
恥ずかしさゆえに、その時思った。思わず火照った頬を、二月の寒風で冷ましながら帰った。
そして、もっと後にも、思うことになる。



次に彼に会ったのは、三月の半ばだった。
暖かい日も徐々に増えてきたが、その日は確か寒かった。
私はいつものように、一人暮らしのマンションの最寄り駅で降りる。マンションはこの駅から歩いて五分以内のところにある。便利だ。
改札を通り、財布を鞄にしまおうとしていると、不意に声をかけられた。
「あっ、あの……」
聞き覚えのない男性の声だった。顔を上げて周囲を見回すと、改札口の近くで、こちらを見ている青年がいた。
一ヶ月前ほど、通りすがりにおせっかいをしてしまった青年だ。
「あ、あの時の」
私はその青年に近寄る。うつむいていない彼は、髪型が特殊だが、やはりイケメンである。
しかし、思い返しても自分がなぜあのようなことをしたのかわからない。酔っていたんだろう。
彼は一体何の用なのだろうか。通りすがりで一瞬だったし、現に自分も今まで忘れていたことだ。わざわざ呼び止めるほどの用があるのか。
疑問符を浮かべた私が彼を見ていると、彼は少し困惑……というか、狼狽しているようだ。
クールそうな外見ではある。その頬を少し赤らめて、視線をあちこちにさまよわせている。
「そ、その……この間は、みっともないところを見せてしまって……」
「ん?」
「詫びと、礼が言いたかったんだ……ありがとう」
そう言って、彼は少し頭を下げた。
私はあわてて手を振った。
「あ、いやいや、こちらこそ。おせっかいかなと思ったんだけど、なんか放って置けなくて」
と言うと、彼は頭を上げて、首を横に振った。
「そ、そんなことはない!……嬉しかった」
なんだか頬が赤いが、照れているのだろうか。
どちらにしろ、余計なお世話ではなくてよかった。私はほっとする。
「それじゃあ」
話も途切れたので、これで帰ろうかと思い、別れを切り出した。
が、彼は私を見つめたまま、口を開いたり閉じたりしている。そわそわと落ち着きない。もじもじ、している。
私が首をかしげると、彼は意を決したようにつばを飲み込むと、今まで右手に持っていた紙袋を私に差し出した。
小さい紙袋だ。青地に銀の文字でブランド名が書いてある。お菓子メーカーのロゴだった
なんだろう。お菓子をもらうようなことはしてないが。
「その……今日はホワイトデーだから……この間のお返しだ」
「え?」
この間のお返し?さて、一体何のことだ?
この間と言うからには、私がおせっかいを焼いた時のことに違いない。
そしてホワイトデーとは。確かに今日は三月十四日だが……ん?
たしか、この間のアレは二月の出来事。日付は覚えてないが、中旬だったような気がする。
そして、彼にあげたお菓子も、チョコ……だったような……。
(えええぇぇ?)
それだけのことで、ホワイトデーのお返し!?
「い、いやあんなちょっとのことでお返しといわれても」
「っ!……受け取って、もらえないのか……?」
(えええぇぇぇぇ?)
私は驚いて彼を見返す。なんと言うか、捨てられた子犬のような目をしている。
かすかに、紙袋を持った右手が震えている。緊張しているのだろうか。
そんな姿を見てしまっては断りきれないじゃないか……
(ちょっとアレだけど、ようするに御礼ってことだよね?)
なら、もらっても損はないかと思う。
「じゃ、じゃぁ、ありがたくもらいますね……」
「!そうか……良かった」
途端に表情を明るくし、笑みを浮かべる彼。
私は、ちょっと変わった人だな、と思いながら紙袋を受け取ろうと、持ち手を取ろうとする。
このままこれをもらって帰ろう……しかし、それは叶わなかった。
彼は紙袋から手を放したかと思うと、両手で私の手を握ってきたのだ。
「えっ」
握ったまま、また口をパクパクさせている。頬は先ほどより赤くなっている。
「あ、あの、手を放」
「す!……き……で、す」
「は?」
「…………好き、です」
「……はぁ?」
私は困惑した。何を言っているんだろうか、この人は。
思いっきり怪訝そうな顔をした私に、彼は少しひるんだ。が、手に力を入れると、もう一度言った。
「好きだ。付き合ってください」
「………………はぁぁぁ?」



それが、私──と、この男──不動遊星との出会いだった。
そう、思い込みの激しい変態との。



「ところで俺の名前は不動遊星だ。付き合ってください」
「いまさら自己紹介すんな!……でも、名乗られたから、一応言うと私の名前は」
「知っている。、だろう?」
「なんで知ってんのぉぉ!?怖いんですけど!」
「それは……」
「いや!やっぱり言わないで!知りたくないから!」
「わがままだなは。そんなところも可愛いが」
「呼び捨ててんじゃねーよ!そして手をさするなぁ!放してぇぇ!」
の手……握ってしまったハァハァ」



2話→

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