守りたいひと



 審神者が政府の招集を受けることはあまりない。月に一度の定例会議はあるものの、地区ごとに分かれている支部へ行くのであまり時間もかからず、会議自体も長時間ではないので、半日ほどで本丸へ帰ってくる。全体召集もあるが、これは半年に一回あるかないかものだ。各地に散らばっている審神者を集めることがそもそも容易ではないし、本来の任務に支障をきたしては困るのだ。
 定例会議の日はこれといって定まっていないものの、月初であるということは決まっている。月の下旬になってから翌月の定例会議の日程を知らせてくるのが常だ。は出来るだけ毎回出席するようにしている。欠席でも咎められることはないが、出席できるように予定を調整することも仕事のうちだと思っている。
 場所も決められており、時間も決まっている定例会議は、歴史修正主義者の恰好の標的だった。そのため、審神者の移動中や支部には厳重な警備がつく。審神者はもちろん近侍を伴って出席し、それに加えて政府からも警護が派遣される。はそれが少し窮屈だったが、襲われてからでは遅いとの説明を受けて大人しくしていた。移動中など近侍の刀剣男士と普段どおりでいいと言われているが、警護の人間が周りを固めている中では普段どおりにいくはずがなかった。当たり障りなく、今日はいい天気だね、遠征部隊は今日帰ってくる予定だけど無事だといいな、などと話すだけだった。
 遠征部隊の隊長についているのは、先の近侍であった山姥切国広だった。彼はの最初の刀である。付き合いも長く、今のところ刀剣男士の中では一番の信頼を置いている。彼は普段を主人として扱うことは少ないが、立場の違いははっきりと言動で明示してくる。線を引いている関係ではあるが、一番の友人だとは思っている。
(友達っていうより、家族みたいなもんだなぁ。本丸の皆もそうだけど)
 血を分けた兄弟のようには接している。コンプレックスが強く、すぐに自分など、と言い出すところが心配で、つい姉のような気分になってしまう。彼はどう思っているかわからないが、と接する時は自分を卑下する言葉を言わなくなったように感じられる。
(仕事は出来るんだから、もっと自信を持てばいいのになあ)
 は、遠征に出ている山姥切を思って空を見上げた。今日はよく晴れている。天候がこのまま荒れなければ、遠征部隊も今日の昼には本丸へ帰還するのではないだろうか。会議も順調にいけば昼には帰れる。今日も頑張ろう、と空から視線を下げた。
 支部へ到着すると、審神者は一旦近侍と別れ、警護に守られて会議室へと足を運ぶ。会議まで時間が空いている場合は、応接室で他の審神者と雑談でもして時間をつぶす。応接室内は警護の人間が一人いるだけなので、多少窮屈感は薄れる。はその時、応接室で他の審神者と世間話でもしながら時間をつぶしていた。
「審神者の皆様、会議開始の十分前となりましたので、会議室へどうぞ」
 と、政府の人間らしき男が応接室を訪れた。他の審神者たちがぞろぞろと立ち上がる中、は違和感を覚えた。
(いつもは呼びに来る人なんて来ないのに……私たちで時間を確認して会議室へ行くのに、今日はどうしてわざわざ呼びに……)
 呼びに来た男を見ていると、その男が妙な動きをした。腰の辺りを探って、何か取り出している。応接室の出入り口に歩み寄ってくる審神者たち。は危険に気付いた。
「みんな伏せて!」
 がそう叫ぶと同時に、衝撃が応接室を包んだ。



 山姥切国広は、遠征部隊を率いて本丸へ帰還する道中だった。あと少しで本丸が見えてくるというところで、本丸で待機していたはずの仲間が馬を飛ばして急報を持ってきた。そして仲間がもたらした知らせを聞いて、早馬を飛ばして本丸へ帰還した。ついてこれない仲間は置いてきた。どうせ本丸の近くまで来ていたし、敵が出てくるような地帯ではないので心配はいらないだろう、と山姥切は置いてきた仲間のことを頭から追いやった。
 本丸に着くと、靴を脱ぐのももどかしいといった様子で脱ぎ散らかし、装備も土埃に汚れた衣服もそのままにして、主人のいる離れへと駆けた。この本丸には医務室というものは存在しない。刀剣男士は傷を負えば手入れ場へ行く。もとは付喪神、体調を崩したりはしない。医務室が必要になる人間はだけだったが、看病するにしても離れに行けば済むことなので医務室は設けていないのだ。
 声もかけずにの部屋の戸を開け放つと、敷かれた布団の上にがいた。意識もあり、身を起こしている。だが、その顔の右半分は包帯に巻かれ、右腕も肩から吊っていた。重傷であることは間違いない。
 その姿を見た瞬間に、山姥切は抑えていた怒りが湧き上がってくるのを感じてこぶしを握り締めた。が心配そうに顔をゆがめる。
「山姥切くん、おかえり。帰ってきたんだね……」
「おいおい、怪我人がいるんだから、もうちょっと静かにしてくれよ」
 と、看病していた薬研藤四郎が眉をひそめた。だがそんな言葉など山姥切の耳に入っておらず、奥歯をかみ締めると、搾り出すように声を出した。
「……誰だ、あんたをこんな目にあわせたのは」
「山姥切くん」
「一体、どこのどいつだ、あんたを傷つけたのは! 今すぐ俺が殺してきてやる!」
「や、山姥切くん、落ち着いて……」
「あんたは死に掛けたんだぞ! 落ち着いていられるか!」
「でも、私は怪我、軽いほうだから」
 が言っているのは、あの襲撃が起こった場に居合わせたものの中では軽い怪我で済んだ、ということである。あの時審神者たちを呼びに来た男は、が違和感を覚えたとおり政府の人間ではなく、歴史修正主義者が放った刺客だった。爆発物を使って自爆をもくろんだのである。は、椅子から立ち上がっておらず、なおかつ出入り口から離れたところにいたので、顔の右半分と右腕に裂傷を負っただけで済んだのだ。出入り口に近かった審神者のうちで死亡者はいないが、足を骨折したり腹部に深い傷を負ったものもいる。当然ながら犯人は死亡している。近侍が審神者から離れており、警護も薄くなった応接室内を狙った周到な犯行だった。
「そういう問題じゃない! 俺は、あんたがいるからこうやって戦っているのに……! 俺は、あんたをこんな目にあわせた奴を許さない! 何があろうと絶対に、あんた以上の苦痛を味あわせて殺してやる!」
「や、山姥切くん……」
「気持ちはわかるが、犯人はもう死んでるぞ」
「なら、計画した奴ら全員をだ!」
「おいおい、おっかねえな……まあ、俺も同じ気持ちだが、もう少し静かにしてくれ。大将の傷に障る」
 薬研の声を聞き入れられる状態になったことで、薬研が制止してきた。薬研も震える手を握り締めている。看病に付き添っていた彼は、傷の状態も見ているはずだ。主人の苦痛を我が事のように感じ取り、そして悔しく思っていることだろう。
「そうだ、近侍はどうした……近侍がついていながらどうしてこんなことに」
「近侍が離れたところで襲撃されたんだよ。私だけじゃない、他の審神者の人たち全員、近侍がついてなかった。だから、近侍の責任じゃない」
 近侍について言及すると、これには即座に反論が返ってきた。はこの時だけは毅然として山姥切に対峙していた。怒りのやり場をつぶされて、山姥切はぐっと言葉を詰まらせる。薬研ですら怒りに震えているのだ。仕方ないこととはいえ、そばにいながら主人を守れなかった近侍はより自分を責めていることだろう。は、そんな近侍にも同じ言葉をかけてやったに違いない。
「まあ、元はといえば、そんなやつの潜入を許しちまう政府の警備体制が招いたことだな。山姥切の旦那、大将は誰の責任も追及しちゃいねえんだ。怒りと自責でいっぱいなのはわかるが、大将を苦しめるようなことは言わんでくれよ」
 というと、薬研は血で汚れた布を洗ってくるといって部屋を出て行った。
(自責……そうだ、俺は、俺がついていれば、俺が近侍だったら、こんな目にあわせたりしなかったかもしれない……そうでなくとも、俺に気の緩みがあったのは確かだ……)
 山姥切が近侍だったら、というのはもしもの話でしかない。問題はその後のことだ。今までの定例会議で何もなかったから、遠征に出るときも大して注意を払っていなかった。気を緩めずに近侍にもっと言い含めていれば、何か違っただろうか。
「山姥切くん」
 が呼ぶ声がした。山姥切は、そっとのそばへ寄り、膝をついた。と目線を合わせると、の顔に巻かれた包帯が目に入った。痛々しくてまともに見られず、山姥切は顔を下に向けた。すると、の左手が山姥切の頭に乗せられた。
「そんなに自分を責めないで。私は大丈夫だから。傷もちゃんと手当を受けて、今はあんまり痛くないし。大人しく養生していれば、一月できれいに治るって医者も言ってたし」
「だが、あんたは……あんたには、危険な目にあったという恐怖は残る。審神者でいる限り襲撃されるかもしれない恐れはついて回る。恐怖は一生拭えないかもしれないんだ」
(そうだ、俺が何より守りたいのは……)
 近侍の頃からの近辺に目を配り、本丸のほぼ全体を仕切っていたのも、が心置きなく審神者の仕事を進められるようにとの思いからだった。仲間うちで何か問題があれば、よりも先に問題を把握し、できるだけ山姥切だけでそれを解決していった。が心を曇らせることがないように。山姥切が襲撃者たちを許せないのは、の命を脅かし、何より大切にしたかったの心を傷つけられてしまったからだ。
「傷はきれいに治るかもしれない、けどあんたの心は恐怖を覚えている。治らないんだ。俺は、俺はそれが何よりも許せないんだ……!」
「山姥切くん……」
 再び湧き上がってくる怒りをこぶしを握って抑える。は、山姥切の頭に乗せていた手を下ろし、握り締められた手に自分の手を重ねた。ゆっくりと山姥切の手を開かせ、その手を握った。
「ありがとう、そこまで思ってくれて。その気持ちだけで、私はすごく安心できるよ」
「……っ!」
「山姥切くん、ありがとう。私は大丈夫。みんなと、山姥切くんがついてるから。だから、誰も責めないで。自分のこともだよ」
 そういって、はぎゅっと山姥切の手を握った。手を通しての体温が伝わってくる。あたたかい、生きている証拠。山姥切は、自分からもの手を握ってから、その手を離した。
「……悪かったな。怪我人相手に、怒鳴ったりして」
「あ、ううん、いいよ気にしなくても。報復するとかはちょっとあれだけど」
「……なぜだ?」
「襲撃した人たちは、政府の人たちでなんとかするんじゃない? 支部とはいえ、あんな懐に侵入を許して、しかも手駒を傷つけられたまんまじゃ、政府の面子が立たないでしょ。私たちがわざわざ恨みを買うことないよ」
 の言うことはもっともらしいことだった。山姥切や他の仲間が納得できるかは別として、冷静さを取り戻した頭はそれもそうかと思い始めた。確かに襲撃者たちの身元を探るのも手間であるし、そんな時間を割く余裕はない。無念ではあるが、自身が報復を特に求めていない以上は、山姥切が騒ぎ立てることもできない。
「……あんたもつくづく……」
「お人好しだ、って言いたい? でも、これはお人好しじゃないよ。襲撃者はちゃんと法で裁きを受けるべきなんだよ。私たちが報復すれば、私たちが咎を受ける立場になっちゃうよ。面倒ごとは政府に任せようってことだよ」
「ふん、どうだかな。まあ、あんたがそう言うなら、そういうことで他のやつらにも言っておく」
「うん。私からも言っておくけど、お願いね」
「……少し、休め。邪魔して悪かった」
 を寝かせてから部屋を退出すると、新しい布ときれいな水が入った桶を持った薬研が、部屋の外に立っていた。話を聞いていたらしい。
「立ち聞きか」
「おいおい、邪魔しちゃ悪いから待ってたんだぜ?」
「聞いていたことには変わりないだろ」
「まあ、そうとも言うな。……旦那、本当に大将の言った通りで納得できるのか?」
「……今は無理だ。だが、本人が報復はするなと言ってるんだからしょうがない」
「ああ、それを聞いて安心したぜ。俺っちも無理だ。だけど、ほかならぬ大将が止めるんだからしょうがねえよなあ」
「他の奴らも無理かもしれないが、落ち着いてもらわないと困る。説得は手伝ってもらうぞ」
「へえへえ」
 と言うと、薬研は静かにの部屋へ入った。これからまた付き添うらしい。山姥切はもう一度の部屋を一瞥すると、本丸に向けて足を踏み出した。これから、興奮状態の刀剣男士たちをなだめすかさなければならない。近侍であった期間も含めて、今までで一番荷が重い役目だと、人知れずため息を漏らした。


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