彼とともに飲むお茶



「俺は鶯丸。名前については自分でもよくわからんが、まぁよろしく頼む」
 鶯丸との初対面はあっさりしたものだった。今までに鍛刀で出来た刀や戦場で拾ってきた刀は、自己紹介がこんなに手短ではなかった。自分の名前の由来だったり自分を作った刀工のことを言ったりと、割とよくしゃべる刀剣男士たちが多かった。だから、鍛冶場に迎えに行ったときはちょっと拍子抜けしたのを覚えている。
「あ、えーっと、審神者をやっています。今日からあなたの主になります。よろしくお願いします」
「ああ」
 私の自己紹介はなんとも間抜けなものになってしまったが、目の前の青年は特に気に留めていないようだった。なんというかさっぱりしたひとだな、と思った。そして、その印象は、出会いから半年経った今でも変わらない。
 口癖は「気にするな」「他人のことは気にしなくていい」「大包平」で、自分のことをしゃべることは滅多にない。自分のことを話しても、必ず兄弟である大包平を絡めてくる。おかげで私が知っている鶯丸のことといえば、大包平と同じ古備前派であること、お茶が好き、握り飯を作るのは得意、他人のことはあまり気にならないことくらいだ。
 刀剣男士の中でも少し変わった性格だが、太刀としての性能はピカイチだった。マイペースに見えて───実際マイペースだが───案外と役目に忠実で、何事も比較的真面目にこなしている。会話は言葉少なく、何かを頼んだときは「拝命した」「引き受けた」と、武人のような受け答えをする。戦いに関することにおいては真面目、それ以外はマイペースといったところか。
(あれ? こうやって数えてみると、結構知ってる気がする)
 本丸の中は母屋と離れがあって、私は離れを自室として使っている。毎朝起きてから顔を洗いに母屋の洗面所まで行く。その時に鶯丸と遭遇することが多い。むしろ会わないことのほうが少ない。鶯丸の起床する時間と私のそれが近いんだろう。会わないときは、彼が遠征に行っているときくらいしかない。
「あ、おはようございます、鶯丸」
「おはよう」
 と挨拶を交わすと、歯磨きをしたり顔を洗ったり髪を整えたりする。最初の頃は、あまり話さない彼と二人きりという状況にえらく緊張したものだが、今ではすっかり慣れた。朝のうちで、鏡の前でなにかしらのことをしている間は、何も話さないほうが落ち着くようになってしまった。習慣とは怖いものだ。朝一番に彼と挨拶を交わすのが日課になっていた。
 この本丸は、近侍という役目は基本的に一日ごとのローテーション制にしている。現在集まっている刀剣男士は両手の数をやっと越えたくらいで、他のベテランの審神者と比べると少ない。十日後にはまた同じ刀剣男士が近侍になる。
「なかなか集まらないなぁ」
「何を悩んでいるんだ」
 今日の近侍は鶯丸だ。あまり自分からは話さない彼だが、私の今の独り言を耳聡く拾ったらしい。こんなことを言っても、彼のことだからそんなことは気にするなと言われそうだが。
「まあ、ちょっと。同時期に審神者になった人と比べても、仲間が集まるペースが遅い気がして」
「他人のことなんて気にするな」
(やっぱり……)
 想像したとおりの答えが返ってきて、がっかりしたようなほっとしたような気持ちになった。だが、そのときの彼の言葉には珍しく続きがあった。
「俺は主が真面目に役目をこなしているのを知っている。だから、気にするな。他人と比べることは無意味だと思わないか」
「……! そう、ですね」
 それは普段の鶯丸の言葉だった。けれど、確かに私の心にしみこんで、この鶯丸の言葉だけで心が軽くなったのを感じた。おそらく、私の言ってほしかった言葉なんだろう。そして、それが鶯丸の本心から出た飾らない言葉だったから、私の心を浮上させたのだろう。
(あれ、なんか、鶯丸の顔が、見られない……どきどきする)
 それでも、中々戦力がそろわない日々が続いて、私は日々の日課任務や課題に根をつめることが多くなった。自分でも無意識のうちに焦っていたのだろう。だから、刀剣男士の前では普段と変わっていないように振舞っていたと思う。近侍が役目を終えて下がり、後は寝るだけという時間になっても、起きて政府からの書類を確認したり、明日の任務のことを考えていたりすることが多くなった。少しずつ睡眠時間が減っていった。
 そんな無理は、やはりいつか身体に出てくるものだ。ある朝起きると、異様に肌寒く感じられ、身体がだるかった。上体を起こした後、布団から出るまでいつもより多くの時間を割くことになった。
(なんか体調悪いな……)
 そう思いつつも、まだ頭痛もしないし関節が痛むわけでもない。いつもどおりにしていればそのうち治るだろうと、布団を片付けてからいつものように洗面所へ向かった。
 洗面所の戸を開けると、いつものように鶯丸がいた。歯を磨き終わった後のようで、歯ブラシを片付けている。戸の開閉音に気付き、私のほうを振り返った。
「おはようございます、鶯丸」
「…………」
 鶯丸に挨拶したが、それになにも返ってこなかった。さすがに無視はされたことがないので、どうしたのかと鶯丸の顔を見る。彼は、怪訝そうに眉をひそめて私の顔をじっと見つめていた。
「どうしたんですか?」
「……いつもと違うな。どうした、熱でもあるのか」
「え?」
 私は体調不良を指摘されたことに驚いた。熱はなくて、特に目立った風邪の症状も出ていないうちに、一見しただけで気付かれるなんて。私が呆然としていると、鶯丸は私の額に手を伸ばしてきた。
「!」
「熱は、今はないようだな。だが、これから上がる可能性がある。部屋に戻るぞ」
「えっ、ちょ……!」
 部屋に戻る、と言われた直後に、私の身体を予告もなしに横抱きにして洗面所を出た。私は何が起こっているのかすぐに理解できなかった。ただ、鶯丸の腕が思ったよりも力強くて、鶯丸の顔が近くて、鶯丸の体温が伝わってくることにひどく胸が騒いだ。
「あ、あの! 大丈夫ですから」
「体調が悪いんだろう。無理するな」
「ま、まあ体調はよくないですけど……で、でも一人で歩けますから」
「体調が悪いお前を一人で歩かせられるか」
「や、でもまだ熱ないし」
「黙っていろ」
「……っ」
 あれこれとつくろおうとしていた頭から、言葉が消えていった。鶯丸は珍しく無表情で、怒っているようにも見えたからだ。彼の怒ったところなど見たことがなくて、そんな表情をさせている原因が私の体調不良だということがいやだった。
(なんで、こんなことになるまで気付かなかったんだろう)
 自分の体調管理なんて、審神者でなくとも当たり前のことなのに。
 私の部屋まで運んでくれて、片付けた布団を敷きなおしてくれた鶯丸に対して申し訳なくて、私は布団に入ってから彼を見上げた。
「ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「だって、こんなの……自分の体調管理が出来てないのが原因なのに、鶯丸に色々してもらって」
 そう言うと、鶯丸はいつものように微笑んだ。
「気にするな。それに、俺もお前が根をつめていることを止めなかった。だから、俺にも責任がある」
「え?」
「俺は主の様子がおかしいことに気付いていたのに、主に何も言わなかった。そのうちいつもどおりになるんじゃないかと、甘い予想だったんだ。すまない」
 私が知らず知らずのうちに焦っていたことに、彼は気付いていたのだ。気付いていて私の好きなようにさせてくれていたのだ。いつもの私なら自己管理で無理はしないだろうと。
「あの、鶯丸が謝ることじゃないです。たぶん、鶯丸に注意されてても、体調崩すまで無理してたと思うし」
「しかし、主を守る刀が、守れなかった」
「そんな、大げさですよ。様子がおかしいって気付いてくれて、熱が出る前にこうして休ませてくれたじゃないですか。私はそれだけですごく嬉しいです」
「……変わったやつだ。病人なのに、俺に気を遣うな」
「気遣ってるわけじゃないんですけど……」
 やはり言葉は少なくて、その言葉もあっさりしているけれど、
「あ、じゃあ鶯丸、一つわがまま言ってもいいですか」
「なんだ?」
 意外と人のことを見ていてくれて、見守ってくれて、落ち込んだときには元気付けてくれて、
「鶯丸の入れたお茶が飲みたい……です」
 無理をしたときにはすぐに気付いてくれて、
「なんだ、そんなことか。わがままのうちに入らないな」
「でも、他人に入れたことないですよね? だから飲んでみたいなあと思って……」
「お前の頼みはわがままだと思わないな。なぜだろう。なんでも聞いてやりたくなる」
「え?」
「ああそうか、俺はお前のことが好きなんだ。だからだろうな」
「……!!」
「拝命した。茶、入れてくる」
 いつもと変わらない様子で、とんでもない爆弾発言をさらりと投下していった鶯丸。だが、そんな彼のことが私は好きなんだろう。私も、今になってやっと自覚した。どきどきと胸が騒いでいたのは、恋をしていたからなんだ。
(ど、どうしよう……鶯丸が戻ってきたらどんな顔すれば……)
 彼がお茶を入れに行っている間、私は戸惑いつつも鶯丸に言われた好きという言葉が嬉くて、布団に包まりながらにやにやとしていた。お茶を入れて戻ってきた鶯丸は、いつもどおりでなにも変わったところがなかった。一人でにやにやとしていたことにとても恥ずかしくなった。
 鶯丸と一緒に飲むお茶はとてもおいしかった。両思いになった日に初めて彼のお茶を飲んだことは、たぶん一生忘れないだろう。
 これを飲み終わったら、ちゃんと鶯丸に伝えよう。私も鶯丸が好きなのだと。


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