春を迎えず



※死ネタ。誰も救われません
※名前変換ありません。




 俺の名前は山姥切国広。この本丸の主の最初の刀で、それ以来近侍を長く勤めていた。俺の主が審神者になったのは、今からおよそ七年ほど前のことだ。審神者になりたての主と、顕現した刀剣男士は俺だけの状態から、刀剣男士総勢三十人を超える本丸へと五年かけて作り上げていった。後の二年は、審神者としての力を温存するために新しい刀剣を鍛刀することを控えていた。近侍は時々入れ替わりはしたものの、主の審神者の能力が衰えだしてからは俺に戻った。
 審神者という役目は、一生続けるものではない。俺が知る限りでは、審神者は最長で十年ほどで能力の盛りを迎え、あとは緩やかにその能力を失っていく。能力の発現に年齢差はあるが、長く続けているという審神者を見たことがない。もっとも、それは俺の知りうる情報の中だけだ。政府の情報がすべて俺たちに開示されているとは、主も俺たちも思っていない。
 俺の主は五年で能力の盛りを迎えた。あとは、その能力が本丸の維持ができうる限り、主は俺たちの主であるはずだった。だが違った。主は若く、そして戦績も優秀なほうだった。だから政府が審神者どうしの縁談を勧めてきたのだ。



 その当時、主には恋人がいた。刀剣男士の一人、大太刀の太郎太刀だった。もちろん、その関係は周知の事実ではない。俺は主の最初の刀であり、近侍であった。付き合いが長く、互いの距離が近いと、おのずと相手が誰を見ているのか、そいつをどう思っているのかが感じ取れるものだ。これも人間の体を得て知った、人間の不思議なところの一つだ。
 主と太郎太刀の恋愛は、世間で出回っている恋愛劇のような情熱的なものではなかった。互いに相手を思いやり、自分の行動が相手にどう影響するかを恐れて、それこそ見ているこっちがじれったくなるほどのものだった。だが、一歩ずつ歩み寄って想いを交し合って、互いを慈しむように愛し合っている姿は、誰も立ち入ることのできない仲だと認識できるほど尊いと感じさせた。牛歩のような進展具合の仲だったが、主も太郎太刀もこれ以上ないほど幸せそうだった。あの時の主ほど美しく見えたものはない。幸福の中にある人間は、周りも幸せにするのかもしれない。主の部屋である離れの庭で、二人で手をつなぎながら談笑している姿を眺めて、俺はぼんやりと思ったものだ。

「……幸せそうでなによりだ」
「え? なにか言った?」
「なんでもない。俺以外のやつにばれないようにしろ、といったんだ」
「う……わかってますよー」

 俺の言葉に口を尖らせる主。だがどことなく上機嫌で、幸福感からか頬がほんのりと赤く染まっていた。きれいな横顔だと思っていた。そしてその顔は、太郎太刀とともにいると一層きれいになった。
 この時は誰も思いもしなかっただろう。ほかの男のもとに嫁ぐことになろうとは。



 あれは、主の審神者の能力に陰りが見え、鍛刀を控えて一年が過ぎたころのことだ。一通の書状が政府から届いた。いつも通り仕事に励む主のもとにそれを届ける。怪訝な表情を浮かべながらそれを開いた主は、すぐに表情を変えた。

「……なにこれ……どういうこと……」

 その書状にはこう書いてあった。主の力が完全に衰え、本丸を維持できなくなる前に男性審神者と結婚せよ、と。そして次代の審神者を残せ、それこそが主の残された役目であると。
 もちろん主はこれを拒んだ。事情を知った太郎太刀もとても認められるわけがなかった。俺も、こんな理不尽な命令は従わなくていいと思っていた。
 だがいかんせんこれは政府の命令だった。審神者という立場のものは、直接戦場に立って戦うわけではない。だが、わかりやすく言えば刀剣男士という戦力を生み出し、率い、敵と戦う者だ。それが軍人や兵士となにが違うのかと、世間一般では思われていることだろう。実際に審神者という役職の者は、その期間こそ十数年と長いものの、政府から消耗品のように扱われていた。力が衰えたものは去り、空いた穴は新しい審神者を補充する。そして去った後の審神者は、ほぼ飼い殺しのような状態で短い余生を送る。審神者の能力を酷使してきた代償なのか、あるいは政府の監視の目が常にある状態ではおのずと衰弱するのか、審神者は得てして短命だった。
 そのような立場のものが、どうして政府の命令に抗いきれる。最終的に、命令を拒否するごとに俺たち刀剣男士を一人ずつ刀解していく、という通達を受けて、主は折れた。折れざるを得なかった。最初にあの書状が届いてから三ヶ月たっていた。抵抗はむなしく、抵抗した分だけ主と太郎太刀の精神を疲弊させた。
 それから、主はしばらく泣き濡れていた。離れから出ることもせず、常に俺と太郎太刀が付き添うような形でなんとか命を保っている状態だった。夜になると、暗闇では眠れないのか、すすり泣く声が聞こえてくる。

「た、ろうさん……太郎さん、どこ……」
「主、私はここです、主……」
「暗いのはいや、見えないのはいや、太郎さん、太郎さん……」
「そばにいますよ、主……私はいつも、いつまでも、貴方のそばにいます」

夜眠れないせいで、昼間に眠る。そんな状態では俺たちが優れた戦績を上げることは不可能だった。どうにか政府から怠慢していないと思われる程度の出陣数。それだけでも手一杯だった。報告書などの雑事は刀剣男士たちで手分けして済ませていた。
 季節はいつの間にか冬になっていた。あの書状が届いたのは春のことだ。しんしんと、静かに降り積もっていく雪を見て、この景色を見るのもあとどれくらいだろうと、そんな考えが頭をよぎる。頭を横に振ってそれを追い払うと、主の部屋へと向かった。
 このころになると、主はもう泣き暮らすことはなくなった。一日なにをするでもなく、ただぼんやりと部屋から庭の景色を眺めている。一時期の錯乱状態から比べると、随分安定したように思えるが、一方で不安も募っていった。主の目にはこの世のなにものも映っていない。ただ、太郎太刀と二人で歩いた庭を眺めて、昔を懐かしんでいるのではないだろうか。

「ねえ、山姥切くん」
「……どうした」
「今年は雪がよく降るね」
「そうだな。こう積もっては雪かきが手間だ」
「そんな風に静かに降ってるのはきれいなのにね。山姥切くんは雪は好き?」
「……あまり好きじゃない。水分だしな」
「そっか。私は好きだよ。雪が積もった庭を見てると箱庭みたいで……時が止まってるみたいで」

 俺は主に視線を向けた。時が止まっている、という言葉に引っ掛かりのようなものを覚えた。こんなふうに話すのは久しぶりだからだろうか。

「雪は融けるから好きなんだ。融けなかったら、たぶんだれも雪を愛さない」

 まただ。また妙な引っ掛かりを感じて主を見る。だが、その表情からはなにも読み取れなかった。

「主」

 太郎太刀が離れに来た。主の状態が安定した後も、相変わらず主に付きっきりだ。だが、そのことが主は嬉しいようだ。太郎太刀の姿を目に入れると、花のように顔をほころばせた。太郎太刀もまた口元を緩める。結婚の話が出る前に戻ったような二人の表情を見て、俺は引っ掛かりが大きくなるのを感じた。

「太郎さん」
「主、そろそろ部屋へ入りましょう。体を冷やします」
「はい」

 主はおとなしく太郎太刀の言葉に頷き、二人で部屋に入っていった。そうして部屋にこもり、朝まで太郎太刀は出てこない。
 静かに積もっていく雪。ここ数日変わらない景色に、時が止まっているかのような感覚を覚える。静かすぎる。
 あの書状が届いたのは春。三ヶ月後、主は結婚する。この時のことを振り返って、俺は後悔の念を抱かざるを得ない。この時俺が主や太郎太刀を止めていれば、なにか変わっただろうか。



 一年の最後の月。年の瀬に近づく前に、主の結婚相手である男性審神者と初の面会をする日が来た。冬がますます深まって、雪も相変わらず積もっていた。正式に式を挙げる前に、何回か面会をする予定が組まれているようだ。そうして事前に顔を合わせておけば、無理やり結婚をさせられたと誰も思わない。政府の考えが透けて見えたが、主にとっても俺にとってもどうでもいいことだった。
 俺はいつも通り主を起こしに部屋へと向かった。

「主」

 呼びかけても返事がないのはいつものことだった。寝起きが悪い主は、一度呼びかけただけでは起きてこない。いつも通り、そう思っていた。だがその日は違った。かすかに聞こえてくる寝息が感じられない。気配がないのだ。
 俺はすぐに部屋に立ち入った。布団には主がくるまっている。掛け布団をはぐると、そこは赤黒い海が広がっていた。主の首は深く切られ、敷き布団を血の色で染め上げていた。体は冷たく、血は酸化し始めている。主の横には折れた大太刀が転がっていた。その大太刀を後生大事に抱えるようにして主は横になっていた。大太刀のむき出しの刃を握って、主の手は深く切れていた。
 俺はその光景を前にしてしばらく動けなかった。異変に気付いたほかの刀剣男士が次々と主の部屋を訪れたが、やがて誰もいなくなった。主が死んだことによって、審神者の能力が及ばなくなったのだ。何の音もせず、誰の気配も感じられなくなった本丸には、ただ一人俺だけが残された。その俺も、そう時間をかけずに消えることだろう。

 主は意に染まぬ相手との結婚を拒み、愛した男とともに眠った。時が止まっているような感覚になる本丸は、本当に時が止まってしまった。正直に言えば、喪失感と捨てられたという虚無感と、ほんの少しの安堵感が俺の中で入り混じって形容しがたい感情を生み出していた。だが主は、これからなに一つ自由にできない身になるのなら、そうなる前にせめて死だけは自分の自由にしたかったのだろう。そんな主をどうして責められようか。そんな選択をどうして俺が責められる。残された俺にできるのは、二人の亡骸を政府の連中に触られないように燃やすことだけだった。この積雪では庭先で燃やしてやることができない。離れごと燃やしてしまうこととなった。そこで、俺の体も限界がきた。
 この本丸は春を待たずして、なにもかもが止まった。雪は融けるから好きなのだという主の言葉を思い出していた。二人の幸せな記憶を思い返しながら、俺も炎にくるまれたのだった。


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