一周年と彼の言葉



※審神者就任一周年の鳴狐のボイスネタバレあり
※名前変換ありません




「主殿! 新年あけましておめでとうございます! 今年も鳴狐をよろしくお願いいたします!」

 年が明けたのはもう二週間以上も前のことだったが、いまだに元旦のショックは忘れられない。

 なにがショックだったのかというと、冒頭にある鳴狐の挨拶だ。近侍をもっとも長く勤めてきた鳴狐。初期刀ではないけれど、途中で新しい刀剣男士に近侍を任せたりもしたけれど、それでも一番の信頼を置いて、結局近侍を鳴狐に戻してしまう。彼もそんな私に応えるように、無口ではあるが精一杯真面目に役目をこなしてくれた。私たちの間には、主と刀剣男士の信頼関係以上のものがあると、私は勝手に思っていた。勝手だけど、きっと鳴狐もそう思ってくれているのだと。

 だが彼は無口だった。なにをしゃべるにも、お供の狐が代わりにしゃべっていた。私とのやりとりも、鳴狐本人ではなく大体、いや九割以上お供の狐を介していた。でも、いくらなんでも新年の挨拶くらい、新しい一年の始まりの時は彼自身がしゃべってくれるものだと、私は心のどこかで期待していたのだ。そしてそれは粉々に砕かれてしまった。

 冒頭の挨拶は鳴狐(お供の狐)だ。鳴狐(本人)じゃない。本人しゃべってない。うんともすんとも言ってない。

 別に、別にそんなに期待していたわけじゃない。でも淡い希望を抱いてしまったのだ。新しい年がはじまって、最初に顔を合わせたのが近侍の鳴狐だった。これからもよろしくね、なんて言ってくれるのかな、なんて。

 だってだって、しょうがないじゃないか。鳴狐を近侍にしてから約一年、最初はお供の狐がいないとまったく意思疎通ができなかった鳴狐。そんな彼の目元だったり視線の動きから表情を読み取れるようになって、なんとなく彼の言いたいことも察せられるようになって、よく見ると面頬の下の口元が笑っている時も増えるようになって……それから、小さい声でうん、て返事をしてくれるようになった。

 すごく嬉しかった。あの青年になりきれていないような少し低い、そして穏やかな声で、私に返事をしてくれたのが。本丸にいるときに、彼が自分から話すのは私の前だけだということも、私を舞い上がらせた。

(でも、新年の挨拶の時は、しゃべってくれなかった……)

 信頼をひとつずつ重ねていって、口数が極端に少なくても意思疎通ができるようになった鳴狐の口から直接言葉を聞けなかったのが、思ったよりもショックが大きかった。その時は、ああいつもの鳴狐だなあと思っていたけど、後々になってダメージが大きくなった。そして今に至るというわけだ。打ちひしがれてふて寝を決め込んでいる。

(審神者になってから一年たつけど、鳴狐はなにか言ってくれるかな)

 今日がその審神者就任一周年の日だった。私の心は性懲りもなくまた期待している。今日という日が終わるまで、鳴狐が、彼自身の口から私の記念の日を祝ってくれると。

 期待する心と、ショックを引きずって鳴狐を避ける心。その二つが競り合って、勝ったのは避けたい気持ちだった。だから今、絶賛自分の部屋に引きこもり中だ。

 別に、そんなに一周年をねぎらってほしいわけじゃない。ただ、一言でいいのだ。たった一言でいいから、どんなに短くても小声でもいいから、鳴狐の口からの言葉が欲しい。彼の声で聞きたいのだ。

 高望みなんだろうか。はっきりとした言葉で想いを交わしたわけでもない相手に、そんなことを勝手に望んでしまうのは。許されないんだろうか。

(……やっぱり、自分勝手だよなあ……せめて、自分の気持ちを、伝えなきゃ……)

 勝手に相手に自分の願望を押し付けてばかりだった。そのことに気が付くと、私はふて寝を決め込んでいた布団を抜け出した。

 部屋の外に出ると、一月の寒さが体を包み込んだ。ぶるり、と震える体を自分で抱きしめるように二の腕を擦る。足が冷たい床に温度を奪われていく。さっさと鳴狐を見つけなければ。

 外は雪が積もっている。年を越したあたりから急激に気温が下がり、とうとう雪が降った。この本丸は付喪神やら審神者やらが集まって、ある種の神域ですね、ととある大太刀も言っていたように、外の世界のように天候が荒れることはほとんどない。ただ、四季はあるし、その時々の花も咲く。小雨がぱらつくこともあるけれど、梅雨以外は雨が続いたりしないし、通り雨のような激しい雨が降ることはほぼない。不思議な空間だと思う。

 庭の寒椿に雪がのしかかって、細い枝が重そうに頭を垂れているのを横目に、鳴狐の部屋を目指す。

 すると、薄暗い廊下の先に、小さい影が動いているのが見えた。目を凝らしてその小さい影の正体を見ると、それは鳴狐のお供の狐だった。とことこ、と小さい足音を立てて、鳴狐の部屋の前から離れていく。

(……? めずらしい、お供の狐が単体で行動してるなんて……)

 ほとんど、というか今まで、鳴狐とお供の狐が別々に動いているところなど見たことがない。それもこんな夜更けの時間に。辺りも暗いし、大丈夫なのだろうか。

 私が思わず足を止めてお供の狐を心配していると、鳴狐の部屋の障子が静かに開いた。そこからひょっこり鳴狐が顔を出した。

「……鳴狐?」

 障子を開ける前から私の気配に気が付いていたのだろう。鳴狐はすぐに私のほうを向くと、ちょいちょい、と私を手招きした。部屋に来い、ということだろうか。

 招かれるままに鳴狐の部屋へと足を運ぶ。付き合いは長いけれど、彼の部屋に入ったのはこれが初めてで、私は少しだけ緊張した。ましてやそれが、想っている相手であれば。

(ていうか、お供の狐もいない状態で二人きりになったの、これが初めてじゃ)

 そのことに気が付くと、途端にどきどきと脈が速くなった。ああ、ここには鳴狐に自分の思いを伝えるためにやってきたのに、緊張から言葉が出てこない。どうしよう、なにを話そう。世間話でもして気を紛らわさなければ。

「な、鳴狐」

 と、震える声で呼びかけると、鳴狐が首を少し傾げた。火鉢の中の炭を確認していた彼は、私の近くに座って私のほうを見た。

「え……っと、きょ、今日も寒いね!」

 苦し紛れすぎる。ほかになにか言うことはないのかと自分でも問いただしたくなった。だがこの時はもうこれしか言葉が出てこなかったのだ。

 鳴狐はきょとん、としたように目を瞬かせた後、こくんと小さく頷いた。その素直な反応に、少しだけ救われたような気持ちになった。緊張を解くようにこっそりと深呼吸して、話をつなげる。

「……でも、やっぱり部屋の中はあったかいね。粟田口の大部屋にはこたつがあるし。鳴狐も、たまにあっちのこたつに入りに行ったりするの?」

 こくん。これは先ほどよりもはっきりとした首肯だった。

「そっか。あったかいもんねこたつ。私の部屋にはないから、私もたまには入りに行こうかな」

 こくん、と鳴狐がうなずいた。その目元が細くなっている。微笑んでいるのだ。私はその表情を見ると、とても嬉しくなってしまう。彼が微笑んでいるだけで、こちらの気持ちも穏やかになって、気がつけば同じ表情をしている。心があったかくなる。

「そういえば、さっきお供の狐が部屋から出ていったのを見かけたんだけど、どうしたの?」

 和んだ雰囲気に乗じて、聞きたかったことを尋ねた。まだ自分の気持ちを打ち明けるには勇気が足らなかった。というか、せっかく和んだ雰囲気を壊したくなかったというか。なるべく自然な流れで告白したかった。告白の自然な流れというのもよくわからないが。

 鳴狐は、視線を泳がせた後に口を開いた。

「……少し、小狐丸のところに……」
「小狐丸? どうして?」
「……用が、あったから」
「……お供が? それとも、鳴狐?」

 鳴狐、の問いかけのあとに、彼は小さく頷いた。

「あ、用があるのに私お邪魔しちゃったかな……!? ごめん……!」

 といって立ち上がろうとすると、鳴狐は首を横に振って、私の手を掴んだ。そっと手を引っ張って座らせる。

「え? もしかして……私に用があるの?」

 こくん。それを見て、私は再び緊張した。鳴狐が私に用。お供の狐を抜きにして。一体どんな用事なんだろう。今までお供の狐がいなかったことがないので、想像もつかなかった。

「えっと……なにかな?」
「…………おめでとう、一周年。よく、がんばった」

 静かに響いた鳴狐の声に、私は息を飲んだ。

 審神者になってから一年たったことを、祝ってくれている、鳴狐が。自分の口から、自分の言葉で。

 今日一日、ずっと言ってほしかった言葉。ずっと聞きたかった声で、今。

 それをじわじわと実感すると、私の目からほろりと涙が流れ落ちた。それを見て、鳴狐が腰を浮かせた。

「あ、いや、ごめん、ごめん……泣くつもりなんか、本当になかったんだけど……嬉しくてつい……」

 袖口で涙をぬぐう。嬉し涙だからか、すぐに涙は止まったみたいで、それきり涙をぬぐう必要はなくなった。私が落ち着いたのを見て、鳴狐も再び座った。

「ありがとう、鳴狐……鳴狐の言葉で聞けてよかった……」
「……うん」
「本当に嬉しい……勇気出して鳴狐のところに来てよかった。私ね、お供の狐だけじゃなくて、鳴狐の口から直接祝ってほしかったの。一言でいいからあなたの声が聞きたかったの」

 鳴狐が再びきょとんとした顔になった。私はそれでも言葉を続けた。今のこの気持ちのまま、鳴狐に伝えたかった。

「ありがとう鳴狐。あなたが大好きだよ」

 自分の気持ちをこんなに素直に言えたのは、後にも先にもこの時だけだったのではないだろうか。それくらい、穏やかな気持ちで、ごく自然に言葉が口から出てきた。

 鳴狐は、きょとんとした表情からさらに目を大きく見開いた。私の言葉に驚いている。それはそうかもしれない。言葉に出さずとも伝わる信頼はお互いに抱いていたが、こんなふうに好意を口に出したことはない。無邪気に慕ってくる短刀たちなどの言葉に返す形で「好き」と言ったことはあるが、自分から刀剣男士に言ったことはない。だから鳴狐が戸惑うのも無理はなかった。

「ご、ごめんね、急に変なこと言って……こんなこと言われても、鳴狐を困らせるだけだってわかってるんだけど……」
「……好き」
「……え?」
「あなたが、好き」

 その不器用な声音が、私の耳に届く。彼の言葉を脳が理解したころには、彼に距離をつめられて、そっと抱き寄せられていた。

 審神者になって一年。よく頑張ったご褒美には、想いを寄せていた近侍からのねぎらいの言葉と、そして想いを返してもらった。幸福で頭がどうにかなりそうになりながらも、私はそっと鳴狐の背に腕を回した。


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