くりちゃんと事故ちゅー



※名前変換ありません



 私の目の前には刀剣男士の一人、大倶利伽羅。私たちの周囲には散らばった帳面類。ここは本丸の物置の一室。私は大倶利伽羅の上に乗っかっている状態で固まっている。大倶利伽羅も固まっている。お互い、なにが起こったのかまだ頭で処理しきれていないのだ。



 ことの発端は一枚の報告書だった。昨年の予算の収支と今年の予算の収支をまとめて報告せよ、との政府からの命令が下った。それで、私は昨年の予算をまとめた出納帳を探して物置を訪ねたというわけだ。

「……いきなり出納を報告させるなんて、どっかの審神者が不正でもしたのかな……」

 などと独り言を言いながら、出納帳を探す。本棚はすでに鍛刀などの審神者の仕事関連の書籍で埋まっており、本丸の管理などを記録した帳面類は床に直置きされて山を作っている。その山の頂上から順に目的の帳面を探していくが、まとめ買いをした帳面はどれも似たような見た目で、一見しただけでは判別できない。わざわざ一冊ずつ表紙を確認していくこととなり、私は、今日からは帳面の背にわかりやすく題を記したシールでも貼っておこうと誓ったのだった。

「おい」

 しゃがんでいるのにも腰が痛くなってきた頃、物置の入り口に現れたのは大倶利伽羅だった。その頃には、私の周りに表紙を確認した後の帳面などが新たな山を形成していた。物置に入って私に近づいてきた大倶利伽羅が、その惨状を見てかすかに眉を寄せた。

「あ、大倶利伽羅、どうしたの?」
「光忠があんたを探していた」
「ああ、今日買い出しの日だっけ。買う物の確認かな?」

 燭台切光忠の用件の見当をつけると、大倶利伽羅は静かに頷いた。あたりらしい。買出しに行く前の買う物リストの確認ならば、今は一旦手を止めてそちらへ行かなければなるまい。私は手の中の帳面を後ろの山の上に置くと、立ち上がった。

「わかった、ありがとう。う、いたた……」

 長くしゃがんでいたせいで腰と足が痛い。ぎこちない動作で立ち上がる。だが、私は失念していた。私のすぐ周りには、帳面の山ができていることを。

「う、わぁっ」
「!」

 歩きだそうとした瞬間に一つの山につまづいた。崩れた帳面類に足を取られ、うまくつんのめることもできない。それに気が付いた大倶利伽羅が、素早く私のほうへ腕を伸ばしてきた。その手をなんとかつかむと、彼にぐいっと力強く引っ張られた。帳面類を蹴っ飛ばし、脇に置いてあった山を大倶利伽羅のほうへ崩しながら彼の胸にダイブする。思いっきり鼻を打ち付けた。

「いったぁ……!」
「っ……!?」
「えっ、わっ……!?」

 なんとか自分で踏みとどまろうとした結果、大倶利伽羅にしがみつく。その反動で大倶利伽羅もふらつく。後ろに足を引くことでバランスを取ろうとした彼は、帳面の紙を踏んでしまい、紙で足を滑らせた。
 二人分の体重がかかっている今、大倶利伽羅が後ろに倒れこむのも無理はなかった。どすん、という硬い音を立てながら、私たちは転んだ。

「いたたた……大倶利伽羅、大丈夫!?」
「っ……」

 大倶利伽羅の上に倒れこんだ私は、早くどかねばなるまいと彼の頭の脇に手をついて顔を上げた。それと同時に大倶利伽羅も顔を上げた。

「んむ」

 という、間抜けな声を上げた私だったが、その時はそれを自覚する余裕もなかった。頭が真っ白になって思考は停止していた。体も硬直してしまった。そして、それは私の下にいる、今私とくちびるどうしが触れ合った大倶利伽羅も同じ状況のようだった。
 間近に見える彼の金色の双眸はこれ以上ないほど開かれている。おそらく私も同じ顔をしている。くちびるに全神経が集中しているのかと思うほど、合わさったくちびるの温度しか感じられない。
 ゆっくりと顔が離れる。私も大倶利伽羅も、口を開けて目を見開いて相手を見ている。世界に二人しかいなくなったような感覚に陥った。

(え、っと……え、いま、口と、口が触れた、よね……え、え?)

 私が精一杯状況を整理しようとしていると、不意に誰かの足音が聞こえた。今の状況ですら処理できていないのだ。それに反応できるはずもなかった。

「ねえ大倶利伽羅、主いた? ていうかすごい音した……けど……」

 物置の入り口からひょっこりと顔をのぞかせたのは、先ほど大倶利伽羅の口に上っていた燭台切光忠だった。買い出しの時間が迫っているので呼びに来たのかもしれない。光忠くんは、大倶利伽羅の上に私が乗っているという状況を確認すると、しゃべっている途中だったが口を閉じた。そして、ゆっくりと物置の戸を閉めた。

「あ、ちょっ! 光忠くん、黙って閉めないで!」
「おい、光忠!」
「僕なにも見てないから。大丈夫、ここには近づかないようにみんなに言っておくから、続きして、どうぞ」
「ちがーう! 誤解だから! 話聞いて!」

 その後、思いっきり誤解をした光忠くんに状況を説明してなんとか誤解を解いた。もちろん、大倶利伽羅と事故的にキスをしてしまったことは伏せた。大倶利伽羅と必死の説明を続けたおかげか、幸いなにも疑われなかった。

「お、大倶利伽羅、ごめんね……その、大丈夫? 思いっきり下敷きにしちゃったから……」
「……別に、問題はない」
「そ、そっか、よかった……」
「…………」

 光忠くんの誤解を解いた後、やっと大倶利伽羅に謝った。声がぎこちなくなってしまったのは無理もない。それは大倶利伽羅も同じようで、目を私と合わせようとせず、目線をあちこちに泳がせている。
 しばし気まずい沈黙が降りた。もともと彼は口数が多いほうではないので沈黙はいつものことなのだが、今のは過去最高に気まずい沈黙だ。なにかしゃべろうかと口を開きかけた時、大倶利伽羅が沈黙を破った。

「……忘れろ」
「え?」
「あれは事故だ。忘れろ」
(あれって……キスのことだよね)
「ま、まあ確かに事故だけど……忘れるって」
「そのほうがお互いのためだ。……悪かった」

 というと、大倶利伽羅は去って行った。後に残された私は、物置を出て彼の後姿を見送る。彼は自分の部屋に入ってしまい、その姿はすぐに見えなくなった。

(忘れる……今の出来事を?)

 物置での一連の出来事を思い返す。一連といってもキスの印象が強すぎて、ほかのことはよく覚えてない。振り返ると、さらに雑然としてしまった中の惨状が目に入る。後で整理して、また報告書のために出納帳を探さなければならない。だが、中に目をやると、大倶利伽羅のくちびるの感触や体温が自然と思い起こされる。どくどく、と再びせわしなく脈打ちだした胸を押さえる。

(え、あ、無理だ……忘れるなんて無理……なかったことになんてできない……)

 もう一度、彼の消えていったほうを見る。大倶利伽羅はおそらく、あの出来事が原因で私との間柄が変化しないように、役目に支障が出ないようにとの思惑から忘れろと言ったのだろう。それはまったく正しい判断で、私もそれが一番の対処法だと思う。だが、それが簡単にできれば苦労はしない。現に今、忘れようとすると逆に意識してしまって、一層あのキスが脳内に焼き付くのだ。
 彼は、大倶利伽羅は、はたして忘れてしまうのだろうか。なかったことにして、今まで通りの関係で通すのだろうか。そう思った瞬間、胸が痛くなった。そうすることが正しいと、自分でも思えるのに、忘れることを拒んでいるのだろうか。
 ぎゅっと胸のあたりの服を握る。胸が痛い。この痛みに心当たりはあった。だが、今はまだ気づくべきではないと、頭を振って痛みに名前を付けることを拒んだ。いつかこの痛みと向き合える日が来るのなら、その時は大倶利伽羅とも向き合うことになるのだろう。痛みを隠すようにもう一度強く胸を押さえると、物置を後にした。


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