暗闇の中つかんだ手



「大阪城の調査?」

 刀剣男士の誰かが問い返した。政府の定例会議から帰った主である審神者から、会議の内容を聞いていたのだ。新たに出された任務の内容や、予算の収支などを審神者が皆に報告する。本丸の皆が集まっている大広間は、普段皆で食事をしたり宴会をしたりと和気あいあいとした場なのだが、この集まりの間だけは緊張感が漂う場となっている。

「うん。いつもの出陣みたく時間をさかのぼるんじゃなくて、現代の大阪城だけどね」

 現代の大阪城といっても、中は時間遡行軍によって過去をいじられ、政府も「よく分からないなにか」と形容するほど混乱状態らしい。中になにが眠っているかはわからないが、時間遡行軍が狙うだけの埋蔵金があることは確かなようだ。

「奴らの資金源を断つためと、そこに巣くっている遡行軍を殲滅することが今回の目的です。敵の戦力や総数が不明なので主力部隊を出陣させる予定……なんだけど」
「なんだ?」
「……その調査には、私も同行することになってるんだよね……」

 口ごもった主の先を、今日の近侍を勤めている大倶利伽羅が促した。審神者が困惑した声で答えると、刀剣男士たちにも動揺が走った。

「はあ!?」
「ちょっと待ってください、調査といっても時間遡行軍と戦いながら、ということでしょう?」
「主、戦えないのに……」
「……そう、だからすごく困ってる……確かに調査は実際にその場で見てするのが手っ取り早いと思う、んだけど……」
「…………」

 隣にいる大倶利伽羅をちらりと審神者が盗み見る。大倶利伽羅は普段表情を大きく変えることはあまりないように見える。だが、眉や目の動きなどから不満があるときや不機嫌なときは読み取れるのだ。目は口程に物を言うとはよく言ったもので、そのことに気が付いてから、大倶利伽羅とのコミュニケーションもうまくいっているような気がする。もっとも、それは審神者だけが感じていることかもしれないが。
 隣の大倶利伽羅は、不機嫌そう、というか、不愉快そうだった。彼も主力部隊の一員なので、大阪城の調査には彼も出陣することとなる。戦力としてはまったく使えない、いやむしろ足手まといになりかねない主が同行するとあっては、不機嫌になるのは当然のことといえよう。実際、彼以外の主力の面々も、戸惑ったような顔をしていた。
 それでも命令は命令で、従うほかない。最終的には主力の面々でなんとか主に気を配りながら戦うしかない、ということになった。階層は百階まであるというし、無理せず時間をかけて調査をすればいい。回収した埋蔵金もそのまま報酬としてもらえるというし、資金面は心配しなくてもよさそうなのが幸いだった。
 五十階で粟田口の博多藤四郎を救出した後、そのまま階層を下っていると、敵が強くなってきた。主力部隊の疲労はそれほど目立ってはいないものの、審神者のほうは少し疲れがたまっていた。今日はここまでにして、次の階を探索し終わったら帰還するか、と相談していた矢先のことだった。
 最後尾で階段を下りていた審神者の足元が崩落した。

「えっ、ちょっ……!?」
「!?」

 足元の疲労がたまっていたせいか、すぐに反応できずに、審神者はできた穴に吸い込まれていった。思わず審神者がすぐ前を歩いていた大倶利伽羅の服の裾をつかむ。大倶利伽羅は、突然後ろから引っ張られたような形になった。彼は穴に落ちきる寸前で穴のふちをつかんだが、それも脆くなっていた部分だったようで、つかんだ次の瞬間には崩れた。
 主と大倶利伽羅を呼ぶ仲間の声が遠ざかっていく。来る衝撃を覚悟して目をつぶって歯を食いしばっていた審神者は、何かに包まれるような感覚を覚えた。なんだろう、と思う暇もなく、下の階層にたたきつけられた。

「……っ!! げ、ほっ……げほっ!」

 衝撃でせき込むが、予想していたよりも痛みが少ない。何かあったかいものが審神者の下にある。ついでに言うと、審神者の頭を抱きかかえるようにして手が乗っていた。

「ん……? 手?」
「……おい、いい加減どけ」

 審神者のすぐ下から聞こえてきた声に、ぎょっとなって体を起こす。そこには、大倶利伽羅の金色に光る両目がうっすらと見えた。

「ご、ごめん! 私下敷きにして……! 大丈夫!?」
「……問題ない」
「でも二人分の重さでたたきつけられたんだよ!? どこか痛むところは?」
「……別に、本体に問題なければそれでいい。あんたは」
「え?」
「けがは」
「え……えっと、ないと思う……」
「ならいい」

 というと、大倶利伽羅は身を起こして服についた砂を払った。審神者も自分の格好を見下ろすが、暗くてよく見えなかった。ただ、大倶利伽羅がかばってくれたので特に着衣に乱れや汚れはなさそうだ。

「あ、ありがとう……その、かばってくれて」

 審神者が礼を言うと、大倶利伽羅は何も答えなかった。特に返答を期待したわけでもなかったが、礼を言った後に砂を払う音が一瞬途切れた。ちゃんと聞こえているようだ。

「それにしても……暗いね」

 改めて周りを見渡すと、それまで点々とついていた明かりが見当たらない。ここの近くにはない、ということなのか、それともこの階層には明かりがまったくないのか。自分たちで持っていた明かりは隊の先頭が持って歩いていたので、今ここにはない。

「荷物は落ちるときに上に落としてきたし、どうしよう」
「……はぐれた場合はむやみに動かないほうがいいが、ここは階段だ。敵も通るかもしれん、移動するぞ」
「う、うん……」

 というと、大倶利伽羅はさっさと先へ行こうとする。まだ暗闇に慣れていない審神者の目では、黒い服を着て褐色の肌の彼が闇に紛れそうになる。この上大倶利伽羅ともはぐれては終わりだと思った審神者は、思わず彼の上着の裾をつかんでいた。

「……おい、のびる。離せ」
「ご、ごめん! でも、暗くて大倶利伽羅がどこにいるのかよくわからなくて……」

 審神者の言葉を聞いて、大倶利伽羅は息を吐いたようだった。裾から審神者の手を離させる。先ほど落ちてくるときもとっさに彼の服をつかんでしまったし、安易に触ってしまって嫌われたかな、と審神者が落ち込んでいると、服から離れた審神者の手を大倶利伽羅の手がつかんだ。

(あ、手を……)

 審神者の手を引っ張って歩いてくれている。暗闇に慣れていないだけかもしれないが、心なしか、大倶利伽羅が審神者の歩幅に合わせてゆっくり歩いているようにも思える。服をつかまれたのが嫌だっただけのようだ。

「……ありがとう」

 と、もう一度礼を言う。今度も何も返ってこないと思っていたが、間をおいて「……別に」という小さな声が聞こえてきた。そのぶっきらぼうな声音に、審神者の心があたたかくなった。

「ごめん、とっさに大倶利伽羅巻き込んじゃって……」
「過ぎたことだ。今は隊と合流することだけを考え……」

 大倶利伽羅の言葉が不自然に途切れ、急に立ち止まった。なにかあったのだろうかと審神者も息をひそめていると、かすかにカチカチという音が聞こえた。武具どうしがこすれて鳴っている金属音だ。
 はぐれた仲間たちが階層を下りて来るには早い。敵だ。
 思わず大倶利伽羅の手を強く握る。彼は注意深くあたりの気配を探っている。審神者は彼の邪魔にならないように、息をひそめる。

「走るぞ」

 大倶利伽羅は短くそういうと、歩いてきた道を引き返した。ということは不運にも敵が近づいてきているのだ。審神者はもつれそうになる足を必死で動かして走った。
 落ちてきた階段まであと少し、というところで大倶利伽羅が再び足を止めた。無我夢中で走っていた審神者は大倶利伽羅の背にぶつかったが、今度は謝る余裕もなかった。階段の手前に敵がいる。そして後ろからは、カチカチ、という音が近づいてきている。囲まれてしまった。

「ちっ……」

 大倶利伽羅の舌打ちが聞こえてきた。おそらく大倶利伽羅だけなら、さっさと目の前の敵を倒して仲間と合流できるだろう。だが今は主が一緒だ。戦力にならない主を守りながら戦うのはリスクが大きすぎるのだ。

「ごめん、私が足手まといだから……!」
「……っだまってろ!」

 大倶利伽羅だけでも仲間と合流できないかと、審神者がつないだ手を離そうとする。だが、その手をぐっと強く握り返され、それはできなかった。

「あんただけは、絶対に守る……!」

 大倶利伽羅が右手だけで抜刀し、少しずつ後ずさる。目の前の敵をうまく一体ずつおびき寄せて各個撃破するつもりらしい。審神者は邪魔にならないように、彼の背中に張り付くようにして息をひそめていることしかできない。
 大倶利伽羅の右手が動いた。おびき寄せられた目の前の敵が真っ二つになる。その返す刃で左から来ていたもう一体の首も飛ばした。しかし、じりじりと囲むようにして近づいてくる敵に対して攻めあぐねている。後ろからも敵が来ているので、あまり後退もできない。
 再び大倶利伽羅が舌打ちしたその時だった。前方から迫ってくる敵が悲鳴を上げた。

「主、大倶利伽羅!」
「今助けるぞ!」

 はぐれていた仲間の声だ。背後を取られた敵はあっという間に倒されていく。

「大将、無事か? どこか痛むところは?」
「薬研、ありがとう。でもまだ敵がいる!」

 主を気遣う薬研藤四郎に近づいてきている敵がいることを知らせると、大倶利伽羅以外の面々でそちらの敵に向かっていった。ほどなくして仲間が敵を殲滅して戻ってきた。

「はあ……二人が落ちてったときは肝が冷えたぜ」
「ご、ごめん心配かけて……」
「こうして無事ならいいさ。で、大将も大倶利伽羅の旦那も、けがはないんだな?」
「うん、どこも痛くないよ」

 再度同じ質問をする薬研に審神者が返事をする。大倶利伽羅も頷いた。それを見て、薬研もほかの仲間も安堵の表情を浮かべた。

「そりゃよかった。ところでお二人さん、いつまで手を握ってるんだ?」
「!!」

 薬研の指摘を受けて、審神者と大倶利伽羅は瞬時に手を離した。今の今まで非常事態だったため意識してこなかったが、思い返すと色々と恥ずかしくなってくる。

(た、たしか落ちてくるとき、抱きしめてかばってくれた……よね……)

 かーっと顔に血が上ってくる。それを見た薬研がにやにやと口の端を吊り上げた。

「なーに顔赤くしてんだ、お二人さん」
「う、うるさい」
「や、薬研……! もう、からかわないでよ……!」
「はいはい」

 薬研が肩をすくめたて場が収まったところで、撤収することとなった。また道が崩落するかもしれないので、注意深く歩くことになり、行きよりも多くの時間を費やして本丸へと戻った。

「大倶利伽羅」
「……なんだ」
「ありがとう。大倶利伽羅がいてくれて、すごく心強かった」

 行きと同じように審神者のすぐ前を歩く大倶利伽羅に、改めて礼を述べた。彼は、ちらりと主に視線を送った後、また前を向いて歩きだした。

「……別に、礼には及ばない。役目だからな」

 という、またしてもぶっきらぼうな答えが返ってきた。仲間が持っている明かりに照らされた彼の耳元は、褐色の肌がすこし赤くなっているように見えた。もちろん、審神者の気のせいかもしれないが、それでもいいと思えた。こうして言葉を返してくれることも、審神者とつかず離れずの距離を保って前を歩いていてくれることも、審神者の心をあたたかく満たしていた。


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