きつねの婿入り



※名前変換ありません



「ぬしさま、ぬしさま」

 ある日の午後。私はいつものように日課任務を午前中に終わらせ、午後から書類仕事に精を出していた。途中、凝り固まった体をほぐすために、本丸の近くをぶらぶらと散歩することにした。隣には刀剣男士の小狐丸がいる。今日の近侍である。その小狐丸の呼ぶ声に、横に視線を向ける。横といっても、小狐丸は身長が高いのでかなり視線を上に向けることになる。図体は小ではないとよく言うが、こうして横に並んでいるとその通りだと実感する。

「どうしたの?」
「雲行きが怪しくなっておりますゆえ、そろそろ本丸へお帰りになられたほうがよろしいかと」
「え?」

 そう言われて空を見上げる。ところどころに雲がかかっているが、晴れて青空が見えている。雲行きが怪しいとは思えない。空模様のことではないのだろうか。不思議に思い、隣の小狐丸を再び見上げる。彼はいつものように、口の端を吊り上げて笑っているだけだ。
 そう思っているうちに、ぽつ、と私の頬に水滴が落ちてきた。

「あれ……本当だ」
「ぬしさま、どうぞ」

 小狐丸は、私を袖で覆うように手を挙げる。雨除けにしてくれるんだろう。

「あ、ありがとう」
「あちらの店の軒を借りるとしましょう」
「うん」

 雨量はそんなに多くないものの、本丸まで歩いて帰るのはためらわれる程度には降っている。小狐丸の言う通り、万屋の軒先で雨宿りさせてもらうことになった。私が軒先に入ると、小狐丸は袖についた水滴を払ってから私の隣に並んだ。

「小狐丸、なんで晴れてるのに雨が降るってわかったの?」
「さあ……強いて言うならば、においでしょうか。本当に雨が降るとは思っておりませんでしたが」
「そうなんだ……やっぱり狐だからにおいがわかるのかな?」
「ぬしさまのにおいもたどれます」
「そ、そう」

 小狐丸が付け足した言葉に、どう反応してよいかわからずに口ごもった。小狐丸の嗅覚が普通の人間よりも鋭敏なら、私のにおいだって判別できるとは思う。しかしそれは、裏を返せば、体臭を覚えられているということでもある。恥ずかしいような、覚えてくれて嬉しいような。顔が少し熱くなった。小狐丸は、そんな私の反応を見て目を細めた。

「ぬしさま、晴れているのに雨が降ることを狐の嫁入りというのをご存知でしょうか」
「え? うん、天気雨のことだね」
「はい。狐の嫁入りの古い逸話では、人間の男のもとへメスの狐が嫁いで子をなしたというものもあります」
「あ……それ知ってるかも。平安時代の有名な陰陽師の母親が狐だったっていう」
「さすがぬしさま、よくご存知で」
「なんとなく知ってるだけだから、そんなに詳しくないよ?」

 私の言葉に、小狐丸がにっこりと笑った。昔読んだ小説にそんなことが書いてあったような、というぼんやりとした知識なので、そんなふうに大げさに言われると照れてしまう。

「では、こういう話は? 人間の女にオスの狐が惚れ込み、女の夫に化けるという」
「へえ……それは知らないや。そういう話もあるんだ」
「はい。ぬしさま、この話では、狐と女はどうなったと思いますか?」
「うーん……夫に化けたってことは……子供ができた、とか?」
「ご明察です、ぬしさま」
「え……本当に?」
「はい。人間の夫に化けていても、狐は狐。毛むくじゃらの子供が四人生まれました」

 小狐丸は目を細めて私を見ている。垣間見える瞳は赤色をしている。人間の目の色では合わられることがほとんどない色。

「私とぬしさまと契ったその時も、毛むくじゃらの子供が生まれるのでしょうか」

 自分の言っていることがおかしかったのか、喉の奥で笑いをかみ殺しながら体を震わせている。一方で私は、顔を真っ赤にしていたと思う。先ほどよりも頬が熱い。たとえ話にしては心臓に悪い話だ。

「なっ、なに言って……契るって……!」
「おや、ぬしさまは純粋でいらっしゃる」
「もう、かわからないでよ……! そういうの慣れてないんだから……」
「はい。可愛らしいぬしさまをからかうのは、これでやめにいたします」

 というと、小狐丸は上機嫌そうににっこりと笑った。私はますます顔が熱くなって、小狐丸の顔をまともに見られずに視線をそらした。小狐丸はこういうことをさらりと、しかも突然言ってくる。まったく心臓に悪い。それに慣れずにいちいちどきどきしてしまう自分が恥ずかしい。そして、そういう私の反応をわかっていてからかってくる小狐丸が憎らしくなってくる。

「狐の嫁入り、とは言いますが、私がぬしさまと契るときはなんというのでしょうね。狐の婿入りですか」
「だっ……だから、またそういう……!」
「本気ですよ」
「え?」
「からかってなどおりませぬ。本気ですよ」
「……!」

 小狐丸の顔を見ると、彼の口元は笑っていたが、目はそうではなかった。からかっていないというのは本当なのかもしれないと思わせるほど、真剣な視線だった。

「ちょっ、こ、こんなところで、いきなりなにを言って」
「ふむ……確かに、ここでは野暮ですか。雨も止みましたし、そろそろ帰るとしましょう」
「あ……本当だ。雨やんでる」

 小狐丸と話していてまったく気が付かなかったが、雨がすっかり止んでいる。雨を待っている間、時間がたつのがやけに早く感じられた。小狐丸とのおしゃべりに夢中になっていたのだと、今更ながらに気が付く。
 小狐丸と二人で本丸へ帰る。その道すがら、小狐丸がまたこんなことを言い出した。

「私の真剣な告白は、ぬしさまのお部屋でお聞かせしましょう」
「……! へ、部屋で、って……」
「いけませんか? 私は皆の前でもやぶさかではありませんが」
「ちょ、ちょっと待ってみんなの前とか無理! わかった、わかったから!」
「ありがとうございます。私のぬしさまはお優しくていらっしゃる」
(遊ばれてる……)

 再び上機嫌に笑っている小狐丸を見て、私は脱力した。完全にいいように遊ばれている。帰ったらどう言いくるめて小狐丸を部屋から追い出すか。私は帰り道の間中、それに頭を悩ませることになった。



「そういえば」
「ぬしさま?」
「あの、さっきの人間の女とオスの狐の話で、毛むくじゃらの子供が生まれたって言ってたよね」
「はい」
「その後、その子供ってどうなったの? やっぱり狐として生きたの?」
「ああ……その後ですか」

 小狐丸は、再び目を細めて私を見た。

「子供は生まれた直後に、皆殺されました。異形の子ゆえ」


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