憧憬の追懐



※名前変換ありません。恋愛要素薄めです



 私が審神者になったのは、まだ十二歳の時だった。
審神者の力が顕現次第、審神者は政府の招集を受けて本丸と呼ばれる場所に行かなければならない。まだ義務教育途中で人間として一人前でない私は、親元を離れて先輩───というか親ほども年齢の離れた経験豊富な審神者のところへと下宿することになった。
 当然のことながら、私は突然審神者になれと言われても納得しておらず、家族や友人たちと離れてなぜそんな場所に行かなくてはならないのか、と反発した。だが、政府の命令にまだ子供だった私が反抗できるはずもなかった。家族に説き伏せられ、政府に半ば強引に下宿先の本丸へと連れられていったのだった。

「初めまして、私がここの主人の審神者です。今日からよろしくお願いね」

 本丸に着いて、ここの主人である先輩審神者が挨拶をしてきた。中年の落ち着いた女性だった。声も静かだがよく通って重みがあった。優しい声に、少しだけ荒れていた心が冷静さを取り戻したが、素直に挨拶を返すほどではなかった。小さく会釈をしただけで視線を下に向けていると、先輩審神者の隣に立っていた男性が口を開いた。

「なんだい、その態度は。雅じゃないね」
「……?」

 視線を上げると、男性が厳しい目つきで私を睨んでいた。少し長い前髪、袴姿、黒の外套に映える花飾り、そして腰に佩いた刀。このひとは噂の付喪神というやつだ。

「僕の主が挨拶しているんだ、君も挨拶を返したらどうだい」
「……は」
「それとも、挨拶も返せないほど礼儀知らずなのかい?」
「歌仙、そんな怖い顔で睨むんじゃないの。この子はまだ心の整理がついてないんでしょう」
「心の整理がついてなくても、挨拶は返せるはずだろう。それとも最近の若い娘はそんなことも習わないのかい」
「なっ……! ちょっと、さっきからなんなの!? あんたこそ失礼じゃない!」
「うるさいし口も悪い、雅じゃない」
「悪かったわね、雅じゃなくて!」
「まあまあ、けんかしないの。でもよかったわ、元気はあるみたいで」

 先輩審神者が私に向かって微笑む。私はその顔を見て、少し我を取り戻した。

「す、すみません……今日からよろしくお願いします」
「はい、よろしくね。こっちは歌仙兼定、私の最初の刀で近侍よ。当分はあなたの世話役になるから、ここでわからないことがあれば彼に訊くといいわ」
「え……」
「なんだいその嫌そうな顔は」
「別に」
「雅じゃない上に可愛げのない娘だ。……元気があるのはいいことだが」

 といって歌仙はこめかみを揉んだ。雅とか可愛げがないとか言いたい放題言ってくれる。私自身自分が可愛げがあるやつだとは思ってないが、初対面なのにこれだけずけずけものを言うやつも十分可愛げがないと思う。だが、歌仙とのやり取りのおかげでだいぶ自然体に戻っていた。そのことに気付くのは随分後のことだったが。
 それから先輩審神者のもとで暮らしながら、学校に行ったり審神者のことを学んだりして過ごした。刀剣男士たちはみんな、主である先輩審神者のことを主人として敬い、仲間として信頼していた。それが生活の節々で現れていて、先輩はすごく優秀な人ということは当時の私でもわかることだった。私は刀剣男士たちと徐々に仲良くなって、だんだんとこの本丸での生活も悪くないと思えてきた。

「君は、またそんな格好をして……雅じゃないと何度言ったらわかるんだ」

 そんな中、歌仙だけは相変わらずだった。世話役、というかお目付け役といったほうが正しいかもしれない。楽だからという理由で私がジャージやスウェット姿で自室でくつろいでいると、決まって歌仙が口を出してきた。そのときの彼はたいていこめかみを揉んでいた。雅じゃないものを見ると頭痛でもするのだろうか。

「いいじゃん楽なんだから」
「よくない。年頃の娘がそんなことでどうするんだ。普段から身だしなみに気をつけていないと、いざ想い人が現れたときにボロが出るものなんだぞ」
「はいはい」
「真面目に聞かないか!」

 格好だけじゃない。姿勢や立ち振る舞いから食事などの作法、芸事、そして各方面の知識・教養に至るまで、彼は細かく口を出してきた。学校に通っていたが、それとは別に歌仙が先生になって私に色々なことを教えてくれる時間があった。習い事のようなものだった。学校、審神者の修行、習い事と、先輩のところに身を寄せていた当時は、正直言って審神者として一人立ちをした今よりも忙しかった。お目付け役の監視もあったことだし。

「…………歌仙は、私のこと嫌いなの?」
「……突然何を言い出すんだい」

 勉強においても習い事においても、歌仙に褒められることはめったになかった。だから、いつのまにかこんなことを口走っていたんだと思う。いつもそばにいる人に認めてもらえないのは、当時の私にはつらかった。いや、今でもつらいことだとは思うが。歌仙は口を尖らせた私を怪訝そうに見返した。

「だって……私にはいつも怒ってばっかりじゃない。ほかのみんなには優しいところもあるし笑ってるのに、私の前ではそんな顔しない……私が、出来が悪い子だから嫌いなんだ」

 学校の成績も審神者の修行も習い事も、何事においても平均点でずば抜けて優れたものがなかった。悪い成績ではないけれど、特に褒めるようなものでもない。それが、歌仙が私に対して厳しい理由なのだろうと思っていた。
 歌仙は私の言葉を黙って聞いていた。思わず涙声になって切れ切れになる声を、最後まで黙って聞いていた。布ずれの音がして、次に歌仙が習い事の教本を閉じる音がした。

「今日はここまでにしようか。夕飯まで、学校の宿題をやっていなさい」
「え……ちょ、ちょっと……!」

 私の言葉には答えず、教本をまとめて部屋から出ようとする歌仙を慌てて呼び止める。何も答えてもらえず、こんな気持ちのまま放置されるのは嫌だった。嫌いなのかという問いかけを肯定されることもつらいけれど、こんな中途半端はもっと嫌だった。
 歌仙は私の頭に手を置くと、ただ静かに言った。

「……君が成長したら、いずれわかるようになる」
「……?」
「それまで宿題だ。いいね」

 と言い残して、歌仙は私の部屋を出て行った。
 それから歌仙の私に対する態度は変わることなく、厳しいままだった。だけど、本丸であまり笑わなくなったような気がした。私が言ったことが影響しているのか、そうでないのか。それもわからなかった。
 その後も、この時のことを思い出しては歌仙が私のことを嫌っていたのかどうかと考えてみたものの、答えは自分ではわからなかった。その答えがわかったのは、この本丸を出た後だった。



 十八歳になって、学校も卒業すると同時に、政府から通達があった。私を一人前の審神者かどうか担当の先輩審神者が見極めて、その結果一人立ちできるだろうと判断されたので、来月から新しい本丸に移るように、とのことだった。見極めは私の関知しないところで行われていたので、この通達が来たときは驚いたものだ。
 あと一ヶ月もすると、六年も過ごした本丸を去らなければならなかったが、その実感は直前まであまりなかった。それを感じないように、無意識に自分の心から目をそらしていたのかもしれない。
 そうして過ごしてきて、早くも一ヶ月が過ぎた。明日、この本丸を離れる。私の送別会を先輩審神者と刀剣男士たちが開いてくれた。一人ひとり私の席まで来て言葉をかけてくれたのが嬉しくて、少し淋しかった。送別会がお開きとなるころまで、歌仙は私のところに来てくれなかった。

(なにもう……こんなときにまで塩対応なんだ……明日になれば私はいなくなるし、歌仙はせいせいするのかな)

 と、心の中で悪態をつきながら入浴していたら思いのほか長湯してしまっていたようで、上がるとすっかり体が茹だっていた。少し熱を冷ましてから部屋に戻ろうかと、風呂場近くの縁側に座った。手で顔を扇いでいると、呆れたような声が降ってきた。

「君はまたそんな恰好でいるのかい……」

 ジャージ姿の私を見下ろして、歌仙がこめかみを揉んでいた。最近は、私も少し身なりや振る舞いに気を付けるようになって、歌仙のそんな小言もめっきり減っていた。こめかみを揉む姿を見るのも久しぶりだった。

「いいじゃん、もう寝るだけなんだから」
「……君は本当に、ここに来た時から変わらないな」

 歌仙はため息交じりにそう言うと、少しだけ苦笑いのような顔をした。彼のそんな顔を見るのも本当に久しぶりで、私はつい嬉しくなった。私の隣に座った歌仙にそれを気づかれたくなくて、憎まれ口をたたく。

「あ、成長してないって言いたいんだ。どうせ、私はいつまでたっても子供ですよーだ」
「そういう意味じゃないんだが、今の言葉はまるで子供だな」
「歌仙にとってはね。私だってもう明日から一人立ちするんだからね」
「そう、君はこれから一人で物事を考え、一人で判断しなければならなくなる」

 歌仙の静かな声に、私は言葉を詰まらせた。そうだ、ここを離れるということは、慣れ親しんだ環境を離れて、新しい居場所を作らねばならないということ。未熟な私を導いてきた先輩審神者も、仲良くしてくれた刀剣男士もいない。厳しくて私にはいつも怒っていて、けれどいつも見守ってくれていたこの歌仙兼定もいないのだ。

「あ……」
「……まったく、君の本丸に移ったら、もうそんな顔をするんじゃないよ。君は、君の刀剣男士の主なんだからね」
「……うん」
「……何も言わないでおこうと思ったのに、君がそんな顔をするから」

 隣から大きな手が伸びてきて、私の頭の上に乗った。その手の大きさが、以前に私を嫌いなのか訊いた時と同じで、そして変わらずに暖かかった。今まで過ごしてきた思い出が一気に押し寄せてきて、熱いものがこみ上げてきた。

「君はまだまだ子供っぽいところもあって全然雅じゃないし、経験も知識もまだまだだけど」
「おい」
「でも……それでも、僕の厳しい態度にも負けずに君は、この六年間毎日勉強も修行も習い事も頑張り続けて、もう一人前の審神者だ。もっと胸を張っていい」
「……! うん……うん……!」
「まったく君は……泣くんじゃない、僕まで余計につらくなるだろう」
「うん……」

 頭の上に置かれていた手でそっと私を引き寄せて、歌仙は泣いている私を抱きしめてくれた。そんなふうに優しくされたら、余計に涙が出てきてしまう。しゃくりあげて泣き出した私に何も言わず、黙って胸を貸してくれた。最後の日に限って優しくしてくれるなんてずるいと思った。けれど、そんなところもきっと私は大好きなんだ。
 しばらくして私が泣き止んで体を離すと、歌仙はただ穏やかに微笑んでいた。

「ほら、風呂場に行って顔を洗ってきなさい。明日出発なのに、目が腫れたままではみっともないだろう」
「う、わかってるよ」
「早く寝るんだぞ。寝坊しても僕は起こさないから」
「寝坊なんかしません!」

 といって口をとがらせると、歌仙は安心したように笑って去っていった。その後ろ姿を見送って、私は顔を洗ってから部屋に戻った。部屋に戻ると、泣いて発散した分瞼が重く、いつもより早く寝入ってしまった。夢も見ないほど深く眠り、翌朝目覚めたときには随分とすっきりしていた。
 箱に詰めた荷物は政府が手配した引っ越し業者が運び出し、私は大きい鞄と貴重品などを入れた小さい鞄を持って玄関に向かった。そこには先輩審神者と刀剣男士たちが勢ぞろいしていた。

「ぜ、全員揃ってるんですか……」
「ごめんねぇ、仰々しくなるからいつも通り出陣させようと思ったんだけど、歌仙が全員見送ろうって言ったもんだから」

 先輩審神者の言葉に、その隣に立っていた歌仙に視線を移す。彼は渋い顔をして先輩をにらんだ後、ごほんと咳払いをした。

「まあ、次に君の顔を見るのも当分先だろうからね。特にみんなの反対もなかったし」
「そうなんだ……ありがとう、歌仙」

 今日ばかりは素直にお礼を言った。みんなに呼びかけて、先輩にも提案してくれたんだと思うと嬉しくて、また涙が出そうになった。けれど、歌仙が私の襟元を見て表情を険しくしたことで涙は引っ込んだ。彼は私の後ろ襟をつかむと、少々強引に整える。

「こら、後ろ襟が折れ曲がってるじゃないか。どうして今まで気づかないんだい」
「えっうそ」
「嘘じゃない。まったく……最後の最後まで世話が焼けるな、君は」
「う……」
「……でも、そんな君だから……この六年間、僕は楽しかったよ。君は楽しくなかっただろうけど」
「そっ……そんなの……! 私だって、楽しかった……ありがとう」

 思いがけない言葉を歌仙の口から聞いて、内心すごく動揺していたけれど、なんとか私も本心を告げた。歌仙が毎日居てくれたから、厳しかったけどそばにいてくれたから淋しいなんて思わなかったし、今思い返せば楽しかった。
 みんなに見送られて、私は六年間過ごした本丸を後にした。新しい本丸に移ってからは、何もかもが一から始めなければならなかったので、下宿していたときのことを思い出す暇もないほど忙しかった。
 それでも、たまに思い返すことがある。重大な任務を与えられた時、気難しい刀剣男士と話す時、強敵が徘徊する戦場へ刀剣男士を送り出す時。色々な苦しみや壁にぶち当たった時、歌仙の厳しい言葉を思い出すのだ。

(あ……歌仙は私のこと、最初から嫌ってなんかいなかったんだ)

 嫌われているとばかり思っていたあの頃、まだ精神的に幼くて、周りも何も見えていなかった頃。歌仙が、私が成長したらわかるようになると言ったあの意味が、やっとわかった。ここへきてようやく、私は歌仙が出した最大の宿題を解いたのだ。


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