※名前変換ありません



 視線の音がする。ちりちりと、私に突き刺さる視線。


 私が審神者になってから二度目の冬が来た。早いもので、一年が明けたと思ったらもう十二月になっている。十二月といっても、時折ぐっと冷え込む以外は雪も降らず、まだ秋の延長線上のような景色をしている。強いて言うなら、本丸のところどころに炬燵が出現したくらいだ。
 しかし、歴の上ではきっちりとあとひと月で一年が終わる。本丸の掃除やら整理整頓やら政府に提出する書類やら、やらなければいけないことが山のようにあって、どうにも急かされているようで気分的にはあまりよろしくない。昔からやらなければいけないことがたくさんあると、なにから手をつけていいか混乱してしまって、やる気が起こらず最終的には期日をすぎてしまっている。審神者になってからは、初期刀だったり、しっかり者の刀剣男士たちが期限付きの仕事を管理してくれているおかげでそんなことはなくなったが。

(人間の私よりもよっぽどしっかりしてるんだよね……それだけ本丸での生活になじんでくれてるってことなんだろうけど)

 なんだか釈然としないのはなぜだろうか。まあ釈然としないでも、そんな彼らに助けられているというのは私にとってはありがたいことである。そして、同時に喜ばしいことでもあるのだ。

「手が止まっておりますが、どうかなさいましたか」

 今の近侍は一期一振だ。幾人かいるしっかり者のうちの一振りが彼だ。もう近侍になって半年は経つ。近侍になった当初は多少の遠慮があったものの、今ではすっかり容赦がなくなった。今も、少し手を止めて考え事をしただけで口をはさんでくる。〆切に追われている期間はいつもこうだ。

「いや、ちょっと考え事してただけだから」
「左様で。休憩時間まであと一時間ですので、それまでは休みなく手を動かされてください」
「はい……」

 振り返ると、にっこり、と擬音語が付きそうなほどの笑みを返された。私は知っている。本当は笑ってない。笑ってないことを悟られないためにわざと目を細めているだけだ。
 厳しい目線が私を監視する中、どうにか休憩時間までに報告書をまとめると、政府の担当者宛にそれを添付して送信完了した。やっと終わった、と伸びをすると、肩が鳴った。一期が聞いていたら音もなく鼻で笑われそうだな、と思ったが、彼は今この場にはいなかった。一期は、お茶の用意をするために一足先に調理場へ向かっている。私もお茶をもらおうと、広間へと向かった。
 広間に入ると、一期の弟である短刀たちが炬燵にあたっていた。私の姿を目に入れると、主、と口々に声を上げた。

「お疲れ様です!」
「大将、今日の仕事はどうだ?」
「みんなもお疲れ様。〆切のやつはなんとか終わらせたよ。まだ仕事はあるけどね」

 というと、皆苦笑いを返してくる。私の近侍が優しげな見た目とは裏腹にしっかりと厳しく叱りつけてくるということを、私よりも知っている面々なのだ。

「みなさんお待たせいたしました、お茶が入りましたぞ!」

 鳴狐のお供の狐の声が広間に響いた。鳴狐と一期がお茶とお茶請けを持ってくる。短刀たちはうれしそうに自分の分を受け取っていく。私は最後でいいや、と座っていると、一期が私の目の前にお茶を置いた。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」

 一期を見上げると、先ほどの目を細めただけの笑みとは違った、今度は本当に笑っているとわかる笑顔を返された。整った目元が柔らかく下がると、その笑みは途端に甘くなる。
 配り終わった一期と鳴狐が炬燵に入ると、みんなでお茶をいただく。特にこの時間にしようと決まっているわけではない。刀剣男士も二年の間でずいぶん増えたので合わせようと思っても合わせられるものでもない。各々好きな時間に好きなものをつまんでいる。今日は歌仙さんの手作りの練り切だ。おいしい。
 両隣の短刀たちと世間話に興じていると、ふと視線を感じた。顔を上げると、一期と目が合った。なんでこちらを見ているんだろう、と一期を見返すと、一期は視線を外さずにお茶をすすっている。

(……?)

 少しだけ首をかしげると、一期も同じ動作をした。いやいや、なんでだ。不思議に思っているのはこっちだから。

「じゃあ次のお休みは僕たちと遊んでくださいね、主君」
「え、あ、ああうん。いいよ」
「わーい!」

 隣の秋田藤四郎に話しかけられて、私は一期から視線を外した。秋田との会話の途中で一期のほうをちらりと見ると、やはり視線が合うことが多い。

(……やっぱり、見られてる、よね?)

 こういうことは今日が初めてではない。彼が近侍になってから、今までに何度かあった。最近になるにつれて頻度が増す。私が一期を見て目が合うということは、それだけ一期も私を見ているということだろう。
 最初は、近侍になったから私のことを知ろうとして観察しているのだろうと思っていた。知らなければ近侍の役目もやりにくいだろうから、それは当然のことだと思っていた。
 だが、それは半年たって気の置けない仲になった今でも継続するのだろうか。それも頻繁に起こる。近侍として主のことを知っておきたい、という理由ではないような気がしてきた。
 お茶の時間を終えて、部屋に戻る。仕事を再開すると、ふとした瞬間に視線を意識してしまう。ちりちりと、見られている箇所から音がしそうな。

(──今、どういう顔をしているんだろう)

 振り返るのが、なんとなく怖くなった。心に浮かんだ疑問は、そのまま解消されることなく私の心の底に沈んでいった。


 やらなければいけないことが山積みになっていて、それを片づけていく間にも増えていく。年末まで忙しいな、秋田と遊ぶ約束もあったなあと思っていると、あっという間に月下旬になっている。年越しまであと一週間もない。結局休みらしい休みも、仕事を片づけることにあててしまったので、次の休みに遊ぼうと約束をしていた秋田には悪いことをしてしまった。時計を見ると、ちょうどおやつの時間になろうとしている。秋田に一言謝ろうと思い、広間へと立ち上がった。
 一期は出陣部隊に入っていて、今日は朝から不在だ。久しぶりに自分以外に誰もいない部屋で仕事をしている。なんだか変な気分だった。
 あの視線も感じられないのは、解放感があるような、でも一方でどこか物足りないような、淋しいような。

「あっ、主君!」

 広間へ入ると、ちょうどお茶を配っているところだった。秋田の声もする。どうぞ、と差し出されたお茶を礼を言って受け取ると、秋田の隣に座った。

「ごめんね、遊ぶ約束してたのに、なかなか遊んであげられなくて」

 というと、秋田が空色の目をまんまると見開いた。私が謝っていることに見当がつくと、覚えていてくれたんですね、と顔をほころばせた。

「主君が謝ることじゃないですよ! お仕事が忙しいのはいち兄からも聞いていますし」
「え、一期が……そんなこと言ってたの?」
「はい。主君は今一年で一番忙しいから、あまり困らせるようなことはしないようにって。主君が頑張っているから、僕たちもお掃除とか頑張れるんですよ!」

 健気に私を見上げてくる秋田の頭を撫でると、うれしそうに笑った。
 しかし一期がそんなことを言っていたなんて、思いもよらなかった。秋田と遊ぶ約束をしたとき、確かに一期も同席していたし、広間といえど一期とそんなに距離が離れているわけでもなかったから、秋田との会話が聞こえていても不思議ではない。それを覚えていて、まさか私のフォローまでしてくれているとは。
 そんなことを思っていると、玄関のほうが騒がしくなった。出陣していた部隊が帰ってきたようだ。部隊長は一期。片づけやら手入れやらを終えたら、私のところに帰ってくる。

(……あれ、なんだろう……なんだこの感覚……)

 彼が無事なのかどうか、早く知りたいような。でもなんとなく一期に会うのが少し恥ずかしい、ような。顔を見たいと思っているのは本当なのに。

「主、やはりこちらでしたか」

 広間に一期が顔をのぞかせた。戦装束もそのままに私のほうへとやってくる。

「あれ、帰ってきてすぐに来たの? 報告なら一息ついてからでもいいのに」
「ええ、まあ……着替えようかと思ったんですが、報告は早いほうがいいだろうと思いまして。詳しい報告はお部屋でしてもよろしいですか」
「あ、うん」

 みんなのおやつタイムを邪魔するわけにもいかない。お茶を全部飲み干し、湯呑の片づけを秋田にお願いする。その代わりに、手をつけてないお茶菓子を秋田に譲ってあげると、秋田は快く頷いてくれた。いい子だ。
 自分の部屋に戻ると、不在だった間にこころなしか部屋が冷えていた。暖房はつけたままなのに。人がいなくなっただけで、そんなふうになってしまうのだろうかと、少しだけおかしくなった。
 私と一期はいつものお互いの定位置に座り、出陣の報告を受ける。報告といっても今日は新しい戦場へ行ったわけではないので、敵の様子と部隊の被害の有無ぐらいで済むものだ。そう時間もかからない。彼の汚れが目立たない装束の通り、部隊にもさしたる被害はなく、戦場は私たちが平定した後から特に変わっていないようだった。

「ありがとう、今日はもうゆっくり休んで」
「ありがとうございます。……ああ、そうだ、主」
「ん?」
「今日はくりすます、という日だと聞きました」
「……ああ、クリスマスね」

 確か、それは今から二世紀ぐらい前に長く流行っていた行事だ。そのころほど大々的にではないが今でもやっているところはあるし、私も幼いころ学校のクリスマス会に参加した覚えがある。

「本来の由来はともかく、家族でも恋人でも、大切な人にプレゼントを渡したりごはん食べたりして一緒に過ごす日って感じだね」
「そうなのですね……恐れながら主、ひとつお願いを聞いてくださいますか」

 なに、と訊こうとしたが、言葉は私ののどでとどまった。視線を投げたその先、一期の瞳に私が映っているのが見えた。

 視線が突き刺さる音がする。ちりちりと、私の瞳から。

 一期は私の前に、彼の本体である刀を差し出した。

「……一期?」
「差し上げます」
「え?」
「あなたに、これを差し上げます。私を」

 彼の本体を差し出すということは、そのまま一期一振を差し出すということ。それはわかる。それよりもその行動の意味がわからず、私は怪訝な表情で返すしかなかった。一期はまっすぐに私を射抜いてくる。

「もとよりあなたの元に顕現し、あなたのものではありますが、この先主が変わろうとも、一生あなたのものであると誓います」
「……ちょ、っとまって、一期」
「あなたを愛しています」
「一期」

 待ってほしい。そんな告白を流れるようにしないでほしい。心の準備もなにもしてない。
 いきなりそんな、という思いが顔に出ていたのか、目の前の男の視線が少し険しくなった。今更何を、とでも言うような。いやいや、一期がしてきたのは、もしかしてそうなのかもしれないという行動だけだ。言動が伴わなければ、誰が自分に好意があると思いこめるだろうか。

「この気持ちに応えてもらおうなどとは思いません。ですが、ひとつだけ。私の願いを聞いてください」
「……一期?」
「あなたのものを私にくださいませんか。あなたのものなら、なんであろうと構いません。ひとつだけ、私にください」

 今日はそういう日なのでしょう、といって一期は口を閉ざした。クリスマスの概要を微妙に取り違えているような気がする。私もそんなに詳しいわけではないし、先ほどクリスマスの本当の由来などの説明を省いたせいもあるかもしれない。
 だが、なんと言おうと一期はもうそういうつもりなんだろう。言いきったきり口を閉ざして動こうとしない彼の様子を見て、私は心の中でため息をついた。
 相変わらず、一期の視線は私に刺さったままだ。ほかの刀剣男士に見つめられても、音がしそうなどと、そんなことを意識したことはない。一期だけだ。その視線に焼かれそうだと思ったのは。

「……本体は、また使うでしょ。とりあえず返すね」
「主」
「私はどうせもらうなら、その気持ちだけで十分だよ。私を差し上げますとか重いから」
「……お、重い、ですか……」
「さっき気持ちには応えなくていいって言ってたけど、そういう一方的に済ませようとするのはあんまり好きじゃないんだよね」
「……す、好きじゃない……」
「だから、だからね……私の名前をあげる」
「……はあ、名前……名前?」

 私の言葉を聞いて、だんだんと暗い表情になっていった一期だったが、名前と聞いて表情を一変させた。

「私のものならなんでもいいからって言ったよね」
「確かに言いましたが……主、その意味を分かっているのですか?」
「わかってるよ。一期は私に、本体を差し出してもいいと思ってくれたんでしょ。私も……名前を一期にあげてもいいと、そう思ったんだよ」

 仕事のことに関しては厳しいし容赦はない。けれど、一期本人と話していたわけではない、ほんの些細なことを覚えていたり、私のフォローを私の知らないところでしていたりする。ずっと見ていてくれてるんだ、私のことを。はっきりと好意を持って私のことを見ていてくれたんだ。

「……あなたの名前は、いただけません、今は」
「一期?」
「それをもらい受けてしまうと、皆に恨まれます」
「そうかな?」
「付喪神がさしたる力を持っていないとしても、人ならざるものであることには変わりありません。あなたの名前をいただいて、審神者の能力に影響があっては困りますから。あなたには、まだまだ私の主でいてもらいたいんです。あなたの名前は、あなたが私の主でなくなる時にもらい受けます」

 ですから、と一期は言葉を切ると、私の手を掴んで引いた。一期のほうへと引き寄せられた私は、彼の腕の中に納まった。

「今はこれだけ、いただくとしましょう」

 私がなにかを言う前にくちびるをふさがれた。突然のことに驚いて、体を硬直させる以外になにもできなかった。目を閉じることさえも。
 すると、くちびるをくっつけたままの一期が目を開けた。くちびるを少しだけ離した彼は、目を閉じて、と口を動かした。

「口づけの時ぐらいは、私も目を閉じますから」



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