一期一振、奮闘する



※名前変換ありません



 私が審神者になってから、早いもので三年の月日が流れた。審神者になった当初は「よし頑張るぞ」と息巻いていたけれど、時間遡行軍ひいては歴史修正主義者との戦いは互いの戦力が拮抗していて、その均衡は中々崩れないということは三年も経てばさすがに見えてくる。今では、頑張らなくなったというわけではないが、最初の頃のように鼻息荒く審神者の役目に打ち込むことはなくなった。肩の力を抜いたというべきか。それこそ私が審神者になる前から長く戦いは続いているのだから、状況が劇的に変化するということがなければ、この小康状態も続いていくということだ。戦場に出ては消耗していく戦力のことを考えると頭痛が治まらないが。
「そういう難しいことは、私が考えなくてもいいはずなんだけど……」
「主?」
「ああ、ごめん独り言」
 つい口を出てしまった独り言に反応したのは、現在の近侍の一期一振だ。午後からの書類仕事をしている間、戦場に出ていないときはこうして私のそばで待機している。私からの仕事の沙汰を待っているのだろう。今までの近侍もそうだった。彼は役目に対して忠実だった。
「何か考え事ですか?」
「うん、まあ。でも、私が考えても仕方ないことだから、もうやめにするけど」
「左様ですか。主、そろそろ休憩されては? お茶を入れてまいります」
「うん、ありがとう」
 私が頷くと、一期は軽く頭を下げてから部屋を出て行った。
 一期がこの本丸へ来て一年たつ。それからずっと近侍にしているので、こうして彼が私の部屋にいるのも慣れた風景だった。頼りになる藤四郎兄弟の長兄は、頼りになる本丸の戦力になっていった。
(そろそろ近侍を変えてもいい頃かな。新しく隊を作って、一期を隊長にしてもいいし)
 そんなことを考えていると、一期がお茶とお茶請けを持って戻ってきた。礼を言いつつ差し出されたお茶を受け取る。一期も自分の分の湯飲みを持つのを見てから、一口飲む。
「ふう……」
「主、訊いてもいいでしょうか」
「うん?」
「先ほどは、どのようなことを考えておられたのですか」
「ああ、うーん……いや、今までのことを振り返っててね。もう三年も経つけど、戦況はほとんど変わってないなぁと思って」
「はあ」
「それは私が考えてもしょうがないことだからさ。あとは、近侍をそろそろ変えようかなって」
 私のその言葉を聞いた途端、一期が口をつけていた湯飲みにごふっとお茶を噴出してむせた。私は慌てて近くに置いてあったティッシュを引き寄せて、数枚とって彼の噴出したものを拭いた。
「ごほっ、ごほっ……!」
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
「は、はい。申し訳ありません、主にそのようなことを……」
「いいよ、気にしなくても。なんか驚かせちゃったみたいだし、ごめん」
「いいえ、主が謝られるようなことでは……しかし、き、近侍を、か、変えるとは……はっ、もしや私になにか至らぬ点が!?」
 一期の顔がみるみるうちに青ざめ、この世の終末を迎えているかのような表情になった。私はひらひらと手を振ってそれを否定する。
「違う違う、一期に至らない点なんてないよ。むしろすごく助かってる」
「で、ではなぜ……!?」
「だって、一期が近侍になってから一年になるから、そろそろ変えたほうがいいかなって……」
「あ、主……! おそれながら、わ、私はまだまだ未熟です……その、まだ主のおそばで学ぶことが多くあるかと……」
 私の言葉をさえぎるようにして一期が声を張り上げた。いつも穏やかな彼にしては珍しい。だが、勢いが良かったのは最初だけで、やがてもごもごと要領を得なくなっていった。なぜか彼の顔が赤くなっているが、大声を出したことが恥ずかしかったのだろうか。
「え? いや、でも前の近侍だって一年もしてなかったし」
「そ、それはそれです、私は……とにかく、もう一度よくお考え下さい。私はまだ……」
「……? わかった。もし変えることになっても、引き継ぎとかあるし、しばらくは一期が近侍なんだけどね」
 と言うと、一期が安堵の息をついた。彼が取り乱したところなんてそうそう見られないな、と思いつつ、すっかり冷めたお茶を飲んだ。私はこのとき全く気付いていなかった。彼の様子がおかしかった原因も、部屋の中を見守る複数の視線にも。



 その夜、一期が弟たちの布団を敷いていると、乱藤四郎と前田藤四郎、薬研藤四郎が風呂から上がって部屋へと帰ってきた。
「あ、いち兄!」
 一期が弟たちに声をかける前に、三人がずいっと一期のほうへと詰め寄ってきた。その勢いに気圧されて、一期は思わず背を反らせる。
「な、どうしたんだお前たち?」
「どうしたんだ、じゃないよ! 今日の昼間のあれ、どういうことなのさ」
「昼間? ……お前たち、まさか主とのやり取りを盗み見していたのか?」
「そうともいうな。それは謝るが、今問題はそこじゃないんだ、いち兄」
「主君の近侍を外されるかもしれないんですよね、いち兄」
「ぐっ……」
「もー! なんでとっとと告白しないのさ! 今日だってチャンスだったじゃん!」
「こ、こら、声が大きい……!」
「だよなぁ。近侍を外されたくないのは、大将のそばにずっといたいからだって言えばよかったのにな」
「……言えるわけないだろう、こんな気持ちは主の迷惑になるだけだ」
「でも、主君の近侍を外されるのは嫌なんですよね? 他の刀剣男士が近侍になって主君のそばにいるのなんて、耐えられるんですか?」
「がはっ……」
「あ、いち兄が血を吐いた」
「ならもうさ、一か八かで気持ちを伝えてみるしかないでしょ?」
「そうですよ。当たって砕けろというじゃないですか!」
「お前たち……」
「感動してるとこ悪いが、いち兄結構ひどいこと言われてるぞ」



 翌日。そんな密談があったことなど夢にも思わない私は、いつもどおり日課任務をこなしてから自室で書類と格闘する。今日も一期が入れてくれたお茶がおいしい。ちらりと一期を様子見るが、昨日あんなに取り乱していたことが嘘のように落ち着いている。いつもどおりに見える。
「ふう、やっぱり一期の入れてくれるお茶はおいしいなぁ」
「左様でございますか、恐れ入ります。……あの、主……」
「うん?」
 呼ばれて視線をまた一期に戻すと、一期はなんだかそわそわしていた。正座した膝の上に乗せている両手を握ったり開いたりして、先ほどとは打って変わって落ち着かない。なんだろう、と不思議に思いつつ彼の言葉を待つ。
「主、その、私の入れたお茶がお口に合うのであれば……わ、私がこれからも、毎日……」
「毎日?」
「毎日、貴女に、お茶を入れたいと……そう思っております」
 そう言ったきり、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった一期。私は言われた言葉の意味を、お茶を一口飲む間に咀嚼する。
「……近侍、まだ続けたいってこと?」
「は……あの、その……はい……」
「一期の気持ちはわかったよ、うん。そんなに近侍を続けたいって思ってくれてるなんて、ちょっと照れるな」
「………………は、はい…………」
 今度はがっくりとうなだれてしまった。なぜか残念そうに見える。私の言葉の解釈が違っていたのだろうか。でも、一期は私の言葉を否定しなかったから、間違いではないと思うが。
(どうしたんだろう……なんか、昨日から様子がおかしいな)



 その夜。短刀たちの部屋では、また一期が弟たちに詰め寄られていた。
「いち兄! なんで昼間、あそこではいって言っちゃうの! 違う、一生貴女のそばにいたいんですって言っちゃえばいいのに!」
「できれば手の一つも握りたいところだよな」
「そうですね。女性は想ってくれる相手に対して、中々無碍にはできないものですよ。いち兄、もう一押し頑張りましょう!」
「もういっそのこと、押し倒して既成事実作っちゃえば?」
「ばっ、馬鹿、なんてことを言うんだ! 主に対して、そ、そんなことできるわけが……!」
「いち兄、鼻血出てるぞ」
「そろそろ演練もあるし、ぐずぐずしてたら他の男性審神者にボクたちの主様が目をつけられるかもしれないよ! いち兄ファイト!」



 その翌日、私は週末に行われる演練に出す部隊の編成を考えていた。訓練とはいえ、怪我のないようにそこそこ練度が高い刀剣を選ばなくてはいけないが、あまり練度が高すぎると、今度は訓練相手の面子をつぶしかねない。かといって練度を低くしすぎると、相手方との差が開きすぎて刀剣男士たちのやる気を削ぐ結果になるかもしれないのだ。事前に一度、演練に出す予定の部隊の情報を提出し、私たちの元に演練相手の情報がもたらされる。それからまた部隊の調整をするのだが、これが中々難儀な作業だった。今日は日課任務を早く終わらせてから、ずっとこの作業に没頭している。
「主、お茶をお持ちしました」
 一期に声をかけられるまで、相手の部隊情報が書かれた紙とにらめっこしていた私は、肩をほぐしながら一期に向き直った。
「うー……疲れたー」
「演練の部隊編成ですか。そう悩まれずとも、実力のある者と、訓練で伸ばしたい者を二、三でよろしいのでは」
「あー、まあ結果的にそうなると思うんだけど。力の差がほどよくないとやる気なくなったりするでしょ? どうせこんな面倒な演練するなら、いい結果になって欲しいし」
「そうですね。今度の相手方はどのような編成で来るんでしょう?」
「一応事前の情報だと、太刀二振り、大太刀一振り、脇差一振り、打刀二振り。前にもやったことある人だよ。覚えてないかな、先々週の演練で当たった若い男の審神者」
「ええ、覚えてます」
「あの人、結構やるんだよね。手の内読んでくる。くそう、イケメンのくせに頭もいいとかずるいなぁ」
「イケメン?」
「あ、ええと、眉目秀麗ってこと」
「はあ…………はっ、もしや、主はその男審神者のことが……気になっておられるのでは……」
「ん? まあ気になるといえば気になるけど」
 単純に審神者としてという意味で私がそう答えると、一期は持っていた湯飲みを取り落とした。彼の下腹部から太ももにかけて熱いお茶がこぼれる。
「熱っ……!」
「だ、大丈夫!? 早く拭かないと……!」
 私は一昨日と同じくティッシュを引き寄せて数枚取り、一期の服にかかったお茶を拭いた。太ももを拭いて、上着にかかっているお茶を拭こうとすると、一期が慌てた様子で私を制止してきた。
「あっ、主、ダメです、そこは……!」
「え、何? 火傷しないうちに早く拭かないと!」
「ああっ……!」
 一期の制止を振り切り、下腹部の辺りをティッシュでぽんぽんと拭く。あらかた拭き終わり、お茶の汚れが目立たない紺色の服でよかったと胸を撫で下ろして一期から離れようとすると、一期に腕をつかまれた。なぜか、顔が真っ赤である。
「主! わ、私は貴女のことが……!」
「一期?」
「もう我慢できません、主!」
「えっ、わっ!?」
 鼻息の荒い一期に抱きつかれ、そのまま押し倒される。近くにあった文机を揺らしながら私は畳の上に倒れこんだ。一期は私の髪に顔を埋めてから、私のくちびるに口を近づけてきた。慌てて顔を反らせる。
「ちょ、な、なに!? いきなり何してんの!?」
「お慕いしています、主……!」
「えっ、なにいきなり盛ってんの!?」
「いきなりではありません、先ほど私の局部をこれでもかと刺激したのは主のほうです! そんなことを惚れた相手にされては、据え膳食わぬは男の恥……!」
「ええええっ!?」
「愛しています、ずっと前から、貴女だけを……」
 というと、一期は私の顔をつかんで逃げられないように固定し、顔を近づけてくる。このままだと一期にくちびるを奪われてしまう。逃げられない、どうしよう。思わず目をぎゅっとつぶる。来たる感触に備えて心の準備をしていたが、一期の吐息がくちびるを掠めたところで彼の動きが止まった。
「……?」
 目を開けて一期の様子を見ると、ぽた、ぽた、という音が私の顔のすぐそばでした。一期の視線を追ってみると、畳に水滴が落ちている。ぽた、という音はこれだ。その水滴がどこから落ちているのかと視線を上げると、文机であり、文机の上には私が飲んでいたお茶の湯のみがある。なるほど、それが倒れてお茶がこぼれたのか。
「……って、ああー!」
「ぐふっ!」
 私はのしかかっていた一期を突き飛ばすと急いで身を起こした。文机の上の惨状を目にして頭を抱える。
「書類! 今まで頑張って考えた編成が……!」
 私が演練部隊編成のために下書きにしていた書類と、相手方の情報が書かれた書類は修復不可能なほど水分に浸っていた。そのほかの書類は書類受けに分けてあったので無事なのが不幸中の幸いだ。
「…………一期」
「も、申し訳ありません! 思わず我を失って、このようなあるまじき粗相を……!」
 私が地を這うような声を出すと、一期が畳に額をこすりつけた。と同時に部屋の外からどさどさっ、と何かが倒れこむような音がした。部屋の戸を開けてみると、戸の前に乱、前田、薬研の姿があった。
「何してんの、三人とも?」
「いたたた……もう、薬研が押すからバランス崩しちゃったじゃないのさ!」
「おいおい、俺っちだけじゃないぞ、前田が見えないって言うからかがんだだけだって」
「ええっ、二人ともずるいです!」
「お、お前たち、何をしてるんだ!」
 一期が大声を出すと、三人は言い争いをやめた。とにかく事情を聞こうと三人を部屋の中へ入れる。
「ボクたち、いち兄と主様の仲が気になって……」
「私と一期の仲?」
「主君、いち兄は近侍を外されるのではないかと悩んでいたのです」
「大将、さっきのことでわかっただろ? いち兄が大将をどう思ってるか」
「あ……うん、まあ……」
 一期のほうへ目を向けると、彼は弟たちの行動で頭が冷えたらしく、沈痛な面持ちで弟たちを見ていた。
「三人が覗き見していた理由はわかったよ。一期が心配だったんだね。でも」
「主君?」
「出歯亀がよくないってのはわかるよね? 三人とも頭ぐりぐりの刑ね」
「ええー!」
 三人の頭を両の拳でぐりぐりして部屋から追い出し、静かに座っている一期に向き直った。すると、彼はまた頭を深く下げた。
「申し訳ありません、私の粗相に加え、弟たちの無礼……なんとお詫びすればよいか……」
「ああ、いいよ。書類は下書きだし、相手方の情報もまた申請してもらえばいいものだし。乱くんたちのことはもう怒ってないよ。だから頭上げて」
 私の言葉におずおずと頭を上げる一期。まだ申し訳なさそうな表情をしている。真面目で責任感が強い彼のことだから、気にするなと言ってもすぐには無理だろう。
「あの、さ……私のこと、その、想ってくれるんだよね?」
「……はい。ずっと以前より、お慕い申し上げております。この気持ちが主の重荷になることは自分でもわかっているんです。ですが、止めようがありませんでした」
 近侍をそろそろ変えようか、という話をしてから様子がおかしかったのはこれが原因だったようだ。自分のうかつさと鈍さに、二日前の自分を殴り倒したい気分だった。ずっと前から一期にはそのそぶりがあったということなのに、今の今まで何一つ気付かなかった。考えてみれば、彼は二日前も昨日もわかりやすい態度を取っていたではないか。思わず深いため息をつくと、一期がますます縮こまった。
「ごめん、まったく気付かなくて。鈍くてやきもきしたかもしれないけど」
「主が謝られることでは……」
「一応言い訳すると、刀剣男士にそういう気持ちを持たないように、異性として見ないようにって気をつけてるから、気付いてたとしても無意識に受け流してたのかもしれない」
 彼らは人間の姿をしているが人間ではない。審神者の力がなくては人間の体ではなくなる付喪神だ。公にならない程度に彼らと関係を持つ審神者もいるかもしれないが、私はそうならないようにと気をつけてきたつもりだ。まさか、自分ではなくて刀剣男士に思慕されるとは予想外だったが。
「主、私はこの思いが報われなくとも構わんのです」
「え?」
「ただ、その……貴女が他の男のものになるのは、どうしても耐えがたく……近侍についても同じです」
 私は思わず前のめりになった。この男、言ってることが矛盾している。
「あのさ、それって要するに、近侍はずっと一期で、一期がそばにいる限り他の男と付き合ったり結婚したりできないってことでしょ?」
「そうなりますな。主が純潔を守ってくださるなら、私は貴女への思いを胸に秘めますので……」
「無茶苦茶か!」
 思わず立ち上がって一期の頭をぺしーんとはたいた。そうなりますな、じゃない。その理論は一期に操立てするのと同じことだ。突き詰めれば、一期の気持ちに応えたも同然だ。
「もう疲れた……しばらく一期の顔見たくないかも……」
「なっ……!? 近侍を変えられるつもりですか!? 話が違いますぞ!」
「いつから近侍を変えないって話になってんの! もう、そういうところが疲れるんだって!」
「近侍から外されるくらいなら、今晩貴女の寝所に忍んで行く所存……!」
「もう脅しに来てるじゃん! 何この人怖い!」
 この後、平行線をたどる言い合いは日が暮れるまで続いた。結局、一期の言うとおり、当面は近侍を一期から変えないという形で落着した。私には男審神者とも刀剣男士とも恋愛する気はないから、と一期を納得させるしかなかった。「本当ですな?」としつこいくらいに念を押されたが、貞操の危機を前に嘘をつけるわけがない。このままでは一期が私を諦めるか、私が一期の気持ちに応えるかしないと解決しないだろう。彼が近侍であり続け、私が誰とも恋愛しなければ報われなくてもいいとはいったが、いつそれが暴発するかはわからないのだ。それに。
(ずっとそばにいたら、私が一期の気持ちにほだされる、かもしれないし……)
 そうなる前に、なんとしても諦めてもらわなければ。しかし、一期の様子からは全く諦める気配は感じられない。気の遠くなりそうなことだが、私と一期が、人間と付喪神である以上、そうするしかないのだ。



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