夏の盛りに



※ハッピーエンドではありません。ハッピーエンド以外は見たくないという方はお戻りください。
※一期一振に何があっても許せる人向け。
※とても短いですが致しております。一応15禁で。
※名前変換ないです。




 あれはいつごろのことだっただろうか、私が審神者と呼ばれる役目を頂いていたのは。歴史修正主義者との戦いにおける戦力を生み出す審神者。刀剣の付喪神に人間の肉体を与え、時間遡行軍との戦いへと送り出す。人と変わったところのない凡庸な私が、唯一人と変わったことをしていた期間だ。
 刀剣男士たちとの生活は、戦いと隣り合わせで緊張や不安もあったが、とても楽しかった。刀剣男士たちは審神者の私を少なくとも嫌ってはいなかったし、私も彼らのことを頼りにしていた。信頼できる仲間となっていった彼らを失う恐怖はついて回ったけど、彼らと過ごす日々は概ね満ち足りていた。
 刀剣にはいくつか刀派がある。私が目覚めさせた刀剣の中で一番多かったのは粟田口という刀派で、中でも粟田口吉光という刀匠の作った刀剣が多かった。その刀剣は短刀が主で、藤四郎と名のつく刀剣男士はみんなこの吉光の作だ。そしてその吉光が唯一作った太刀が、一期一振だった。
 彼は藤四郎兄弟の長兄だったが、藤四郎たちの中では一番遅く本丸へ迎えられた。常々、藤四郎の名のつく刀剣男士たちが「いち兄」と呼び慕っていたので、私は一体どんなひとなんだろうと、本丸へ迎える日を心待ちにしていたものだ。
「私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀でございます」
 淡い水色の髪と、黒いマントに粟田口の兄弟たちと似た軍服を着た彼。前評判に違わず、優しそうな青年だと思った。私の抱いた印象は違っておらず、弟たちにとっては少し厳しいところがあるけれど優しい兄。他の刀剣男士たちにとっては穏やかな外見と中身とは裏腹に戦いにおいては頼りになる戦力だったようだ。私にとっては、生真面目なところがあるけれど窮屈ではなくて、私を気遣ってくれる優しい声と気配りが癒しの存在となっていた。



 その彼と一気に距離が縮まったのは、彼が本丸へ来て最初の夏のことだ。短刀たちが花火をしたいというので花火セットを購入し、短刀たちに与えた。短刀だけではなく、大太刀の蛍丸や太刀の獅子王なども加わって、たいそうにぎやかになっていた。私は、一期とともに保護者としてその様子を見守っていた。その夜はよく晴れていて月も星も明るかった。
 取り留めもない話を一期と交わしながら色とりどりの火を見ていた。途中、一期が弟たちに引っ張られていった。初めての花火を恐る恐る持ちながらも、眩しい火花に一期の目が輝いている。そういうところは、彼も男の子なのだなぁと思った。
 手持ちの花火が終わってしまった一期が私の所へ戻ってきた。私のことなど気にせず、まだ花火を楽しんでいてもいいのに、と思った。しかし、花火の量が残り少なくなっているので、彼は残りを弟たちに譲ったようだ。
「主は花火をされんのですか」
「うーん……チャンスがあればと思ってたんだけど、なんか輪に入りそびれちゃったな。残りも少ないみたいだから、また今度かな」
 と言うと、一期は手に持っていたものを私の前に差し出した。細く小さな紐のようなもの。線香花火だ。
「くすねて参りました。よければ、主も一緒にどうですか?」
 と、いたずらっぽく笑う彼の気遣いに、じんわりと胸があたたかくなった。一も二もなく頷いた私は、一期の手にある線香花火を一本もらうと、持っていたマッチで火をつけた。彼の花火にもつけ、小さいながらも華々しく散る火花を一緒に眺めた。
「私が小さい頃家族と一緒にした花火はね、いつも最後が線香花火だったんだ。だから線香花火を見ると、子供ながらに花火の時間が終わっちゃうことを察して、淋しくなったりしたな」
「そうなんですか」
「うん。ほら、見てて。線香花火って綺麗だけど、最後は淋しいんだよ」
 向かい合って花火どうしを近づけていた二人の花火。私の方が先に火をつけたから、先に終わった。ぽとりと落ちた火の玉を見て、彼が目を見開いた。続いて、彼の線香花火の玉も落ちる。後には火薬の匂いが漂うだけだった。
「これでおしまい。なんだか懐かしくなっちゃった」
 火を見ていたせいで、暗闇に慣れない目には彼の表情を読み取ることができなかった。私が笑ってそう言うと、一期がつぶやくように言った。
「……淋しいならば、私が主のおそばに……」
「……え?」
 私が聞き返すと、彼ははっとしたように口元を覆った。聞き間違いでなければ、そばにいる、と言ったような。目線で彼を問い詰めると、少し逡巡した後、一期は意を決したように口を開いた。
「線香花火は確かに綺麗でした。けれど私は……その小さな火に照らされた貴女の方が、ずっと綺麗だと……」
「いち兄、主君! 花火、終わりましたよ!」
「おーい、このバケツとか終わった後のやつとかどうすんだ?」
 一期の言葉は、花火が終わったという声にさえぎられてしまった。私は彼の言葉の続きが聞きたかったけど、水中に花火の残骸が入ったバケツを持った獅子王が近づいてきたので、一期は口を閉ざしてしまった。けれど、顔を私から背けてしまった彼の耳元が赤く染まっているのを見て、私はまた胸があたたかくなった。いや、今度はあたたかくなったというよりも、もっと。
(私も、顔赤い、かも……)



 それからしばらく日が経ち、一期を近侍にしていたときのこと。ある夜、外からかすかに、何かに苦しんでいるような低いうめき声が聞こえてきた。私は床を抜け出して、そっと部屋を出て外をうかがった。私の部屋は離れになっていて、その離れと母屋を結ぶ廊下に、暗闇に慣れた目が何かの影を捉えた。廊下の床に丸い影。よくよく目を凝らしてみると、それは人がうずくまっている影なのだとわかった。
(誰……? 私の部屋の前で、どうしたんだろう……)
 夜目が利くようになってからもう少し目を凝らすと、淡い水色の髪が目に入った。この本丸で、その髪の色をしているのは一人だけだった。一期一振が、部屋の前で何かに耐えるようにうずくまってうめいていたのだ。
 一体どうしたのか。私は彼の元へ行こうと足を踏み出しかけた。すると、一期は気配に気がついたらしく顔を上げ、私と目が合った。次の瞬間、弾かれたように身を起こし、あっという間に走り去ってしまった。自分を抱きしめるようにしてうずくまっていた彼の表情は苦悶に満ちていたように見えた。
 翌朝、近侍として私の部屋へ来た一期は、ぎこちない笑みを浮かべていた。
「おはようございます、主。……その、昨夜のこと、覚えておられるでしょうか」
 彼のほうから聞きたかった話題を振られたので、私は素直に頷いた。一期はぎこちない笑みをさらに歪めて、頬をかいた。ごまかそうと何かを言い出しかけてはやめ、しばらく口をパクパクさせていた。私がじっと見つめていると、やがて言い訳することを諦めたのか、うなだれるように頭を下げた。
「主、どうか……どうか昨夜のことはお忘れください。何も聞かず、ただ、私のことはお捨て置きください」
 本当は、どうしてあんな時間にあんなところにいたのか、どうして苦しんでいたのか、訊きたかった。あれはどう見ても私の部屋に行こうとしていたとしか考えられない。ならば、彼が苦しんでいたのは私が原因なのだ。気にならないはずがない。
 けれど、こんな風に頭を下げて請う彼の姿を見て、何も言えなくなった。こんな彼の姿を見ていられなくて、私は彼の言葉にうん、と返事をするだけだった。
 それからというもの、私と一期の関係はどこかよそよそしいものになった。私も彼も、互いの距離を測りかねていたのだ。近づこうとすれば、あの夜のことが必ず頭に浮かぶ。それに触れまいと、忘れようとすると、彼の距離が離れる。私はどうしたらいいのだろうと考えることが多くなった。それは一期も同じようだった。主もその近侍もぼうっとしているものだから、周りからすればなにをやっているのかと苛々したに違いない。
 とうとう一期は私の近侍を辞してしまった。役目を第一に考える長谷部くんが苦言を呈していた。彼の弟たちも、心配していた。その数々の言葉を受けて、彼は身を引いたようだった。新しい近侍は、不満の募っていた長谷部くんにお願いすることになった。
(あれから、一期と話す機会がない、そもそも顔もあんまり合わせない。二人きりとか絶対無理だ……)
 訊くなと言われたけれど、このことを片付けないと一期とはもう元の関係には戻れないだろう。嫌われるかもしれないが、一期が苦しんでいる原因が私だというなら、どうしても知りたいのだ。しかし、肝心の接触の機会がない。おそらく、一期は私を避けている。
 どう一期と二人きりになるか、布団の中であれこれと考えをめぐらせていると、月が空高く昇ってしまっていた。深夜を回ってしまい、母屋のほうも物音一つしない。
 もういい加減考え事をやめないと、寝不足になる時間だ。そう思ってまぶたを閉じる。
 カタン、と物音がしたような気がする。風でも吹いたのだろう、と気に留めなかった。次の瞬間、腰の辺りに重みがのしかかってきた。
「……!? なに、だれ……!?」
「一期一振です、主……」
「……一期?」
 腰に抱きついている人影を見ると、確かに一期だった。先ほどの物音は、彼が部屋の戸を開閉する音だったのだ。私の腰から顔を上げた彼は、苦悶の表情だった。あの夜と同じ表情だと思った。ただ、その目はぎらぎらと獣のように光っていた。
「突然の無礼をお許しください、主……私はもう、貴女の刀としての役目も、兄としての自分も何もかも捨てるつもりで来ました。この思いを遂げることができるなら、もう消えてしまっても構わんのです」
「え……? ま、待って、一期……!」
「聞けません」
 一期は布団を剥ぐと、私の上に覆いかぶさってきつく抱きしめてきた。その力の強さと燃えるような熱さに息が詰まった。何も言えずにいる私のくちびるを口でふさぐと、私の寝間着を脱がそうとする。
「ああ、主……貴女のこのくちびるも、髪も、肌も、においも、声も、身体も、すべてが愛おしい。この思いで焦がれ死んでしまいそうです」
「一期……」
 一心不乱に私のくちびるを吸っている一期。やはりあの夜、一期は私の部屋に行こうとしていたのだ。主従の関係と信頼を壊すことに迷い苦しみ、あのようにうずくまって耐えていたのだ。そして、狂ってしまった。ここに至るまで、さぞつらかっただろう。どんなに苦しかっただろうと思うと、私の胸も張り裂けそうだった。
 彼の背に腕を回すと、一期が動きを止めて私を見た。一期が少し身を離したところで、私は自分の寝間着を脱いだ。一期は呆然とその様子を見ている。何も言わずに再び彼に抱きつくと、先ほどと同じような強い力で抱きしめられた。
 それからしばらくは、私の上げる喜悦の声と、肌を打ち付ける音と、体液が立てる水音が部屋の中を支配した。
「ああ、ずっとこうしたかった……貴女をこんな風にしたかった!」
「一期、一期……!」
「ああ、たまらない……!」
 激しく攻め立てられ、それが幾度となく続くうちに、私は気を失っていた。気がつけば、朝日で部屋が明るかった。寝間着も床も整えられていて、昨夜のことは夢だったのかと思うほどだ。けれど、疲労感と肌に散った赤い鬱血がそれを否定していた。
 それからというもの、一期は毎夜のように私の部屋へ通ってきた。一心不乱に私の身体をむさぼり、痴態の限りをつくす。情を交わして以来、彼の表情はつき物が取れたようにさっぱりしたが、それと同時に瞳の光は暗くなっていった。堕ちるということはこういうことだろうかと、私は彼の瞳を見つめながら思った。おそらく、私も同じような目をしていたんだろう。



 最初に気がついたのは、石切丸だった。高い霊力を持つ彼は、私と一期が情を通じた最初の夜には、異変を感じ取っていたんだろう。私は処女ではなくなったのだから、審神者としての霊力も落ちていた。もの言いたげな視線を送られるたびに、私は内心冷や汗をかいていた。私の相手が一期だということも、早々に気がついていた。私の中には、彼の気の名残があるのだから。
 その次に気がついたのは、近侍をしていた長谷部くんだった。当初は明らかな寝不足の私を気遣うだけだったが、やがて、朝に私の部屋へたずねるごとに、何か変だと思っていたようだ。情事の独特のにおいというか空気が、部屋に充満していたのだ。これは、いくらきれいに後始末をしようが、完全に拭い去ることができなかった。
 そしてついに、一期が私の部屋へ忍んできたある夜。長谷部くんがその場に乗り込んできたのである。
 私にのしかかっていた一期を蹴り飛ばし、長谷部くんは本体の打刀を抜刀した。
「一期一振! 貴様、主になんという無体を!」
「ま、待って、長谷部くん待って! お願いだから斬らないで!」
 今にも一期を斬らんとする長谷部くんにすがり、なんとか動きを止めさせる。だが長谷部くんの目は本気だった。私が言えば斬らずにはいるだろうが、一期を許すようなことはないように思えた。
 この騒ぎを聞きつけてきた石切丸や薬研、山姥切国広などが部屋の中を覗き込んできた。石切丸はすべてを察したように、私の元へと近寄ってきた。
「やはり、君と一期一振は通じていたんだね……二人とも、こんなに霊力が失われて……」
 心底残念だというような声で、私の目をまっすぐに見つめてきた。私はその視線に耐えられずに、顔を下に向けた。その間に、長谷部くんと山姥切くんが一期を組み伏せていた。薬研は、わらわらと集まってきたほかの刀剣男士たちを追い払っていた。彼も、主と兄の間に何が起こっていたのかを察したのだ。
「石切丸、一期は……一期をどうするの?」
「残念だが、このことは政府に報告させてもらうよ。そうなれば、一期一振は刀解はまず免れない。君の処分についてはわからない」
「や……そ、んな……」
 刀解、一期を刀解してしまうなんて。冷静に考えればそれは当然の判断だが、私は冷静ではいられなかった。対する一期は、何もかもを諦めたかのように大人しくしていた。瞳にはもう、光を感じられない。
「私が思うに、君への処分は、もう……」
「……なに?」
「……いや」
 石切丸はそれきり口をつぐんでしまった。私は怪訝に思ったが、それよりも一期のことだと石切丸のことを頭の隅へ追いやった。
 翌朝、私はまんじりともせずに朝日を拝んだ。迎えに来た長谷部くんが、まずは朝食を、と私のほうへ運んできた膳を差し出した。いつもは広間でみんなと一緒に朝食をとっているが、さすがに今日は皆にあわせる顔がない。かといって、食欲があるわけでもなかった。長谷部くんは私に部屋を出ないように言いつけると、部屋を出て行った。これから皆に、昨夜あった出来事を説明するのだろう。
 その後に政府へと連絡したようで、私の元に政府から電話がかかってきた。一期一振と通じていたのは本当か、それは無理矢理ではなく自分の意思なのか、それはいつからなのか、など、根掘り葉掘り訊かれた。私は嘘をつこうかとも思ったが、ここで嘘をついても何もならないと思いなおした。それに、そんな気力もなかった。
 不祥事は早めに摘み取りたいのか、こういう対応は早いもので、その日の午後には沙汰が下された。
「一期一振は今日のうちに審神者自らが刀解すること。その後、審神者には一ヶ月の謹慎を課す」
 審神者と刀剣男士の恋愛はご法度だ。だから、この沙汰は当然といえば当然なのだ。しかしこのときの私は納得するはずもない。好きなひとを自らの手で消してしまうなんて。
 しかし、それを聞いていた一期はゆっくりと笑ったのだ。
「主、私は貴女の手で消されるなら本望です。もとより、刀解は覚悟の上でしたので。言ったでしょう、消えてしまっても構わないと」
「一期……で、でも、でも……!」
「貴女を残していくのは心残りですが、どうか、あなたの手で私を刀解して下さい。そして、いつかまた貴女の元へ顕現したなら、どうか私を貴女のそばへとおいてください。顕現しなかったときは、いつの日か私が貴女を迎えに参ります。私が黄泉路へと導きましょう」
 そう言って、一期は目を閉じた。何もかも受け入れて、諦めてしまっているような穏やかな顔。もう私が何を言っても聞き入れてくれなかった。
「主、つかの間の別れです。愛しています、主……」
 そうして私は、とうとう自分の手で恋しいひとを消してしまったのだ。



 そうするしかなかったというのは言い訳なのかもしれない。けれど彼はもう、私の刀解を待ち望んでいて、それ以外のことは頑として受け入れなかった。それと、私が気になることは石切丸があの夜に言い淀んだことだ。
「君はもう、霊力の低下を抑えられない」
 私の予想では、そういいたかったのだろうと思う。私が審神者であるうちに、一期の最後の願いを聞き入れてあげたかったのだ。現に、一期を刀解してから一歩も出ていないが、母屋から聞こえる刀剣男士の声が減ったように思える。私の力が低下したせいで、刀剣男士の肉体を保てなくなったのかもしれない。
 そしてその予想は当たっていたようで、私の謹慎が解かれる一ヵ月後には、刀剣男士は私が一番最初に目覚めさせた山姥切国広しか残っていなかったのだ。
「あんたはこのままいくと、審神者でいられなくなる。もう二度と霊力が戻ることはない。だが、それでいい。俺はこのまま消え、あんたは元の生活に戻って、早く忘れろ」
「山姥切くん……」
「……俺は幸運なほうだ。あんたと最後に話せたんだからな」
 と言うと、山姥切くんは花が散るように霧散した。後には、誰もいない、広い本丸だけが残った。
 私が選んだ道は誤りだったのだろうか。あの時、一期を受け入れて関係をもたなければ、最後まで拒絶し続けていたらどうなっていたのだろう。自らの手で一期を消して、みんなに謝ることも、みんなの顔すら見ることも出来ずに消してしまった。私だけが残った。広間を見渡しても誰もいない。耳を済ませても、誰の声もしない。泣いても、誰も帰ってきてくれなかった。うわごとのようにごめんなさい、と謝り続けても、もう誰も聞き入れるひとはいない。
 審神者ではなくなった私は、早々に迎えに来た政府関係者へ連れられ、本丸を後にした。こうなることは政府も想定内だったということかと、私は力なく笑った。



 夏の盛りを迎えた。あれから何年、何十年たっただろうか。私は老いて、審神者だった頃のことは、すでに思い出せることも少なくなってきている。けれど、それでも一期のことだけは、一日たりとも忘れていない。忘れられなかった。
 生まれてからこれまでで一番楽しかった期間というと、紛れもなく一期と過ごし、一期を愛し、愛されたあの短い日々だった。何十年間の中で、一日だって思い出さない日はなかった。それほど、あの期間は満ち足りていた。例え二人で堕ちていようとも。
 夏の夜、空は晴れていて月も星もよく光っている。一期と花火をして、初めて恋をしたのも、こんな夜だった。一期が迎えにくるならこんな夜がいいと、一期を消したあの日からずっと思っている。
 のた打ち回るような痛みは長い年月の中で薄れていったけれど、それでもまだ残っている。そしてこの痛みは、一期を忘れないかぎり消えないのだろう。今までの人生の中では本当に短い期間だったけれど、私は心から一期一振を愛していたのだ。


inserted by FC2 system