七夕の願いごと



 七月に入ってもまだ梅雨が明けきらず、雨が降ったり曇っていたりする日が続いている。はそんな中でも審神者の仕事に日々追われていた。時間遡行軍という敵がいることで、決まった休みというものが存在しない役目なので仕方のないことだが、先の見えない戦況と消化しては追加される任務に気が重くなることがある。何を言っても聞き入れられることはないので、親しいものに愚痴るしかできないが。
 ふと、今日送付されてきた書類の日付を見ると、今日は七月六日であった。
「あ、明日は七夕か……」
 前日になるまで気がつかなかった。曜日の感覚もあやふやになるほど仕事漬けだったようだ。の口から漏れたつぶやきに、近侍の太郎が顔を上げた。
「主、どうかしましたか?」
「あ、ううんなんでもないです。明日は七夕だなって思っただけなんだ」
「七夕ですか。今でも願いごとを祈ったりするのでしょうか」
「はい。七日に笹に願いごとを書いた短冊を括りつけて、星空にお祈りするんだっだかな? 私も子どもの頃によく書いたなぁ」
「今は書かないのですか?」
「そうですね……今というか、十代前半くらいまでかな。織姫と彦星の逸話を思い出して、七日は晴れてるといいなぁって思うくらいですかね」
 織姫と彦星という単語に、太郎が首をかしげた。
「あ、ええと、牽牛と織女というんでしたっけ」
「ああ……怠けていたせいで一年に一度しか会えなくなった男女の話ですね」
「う、うん……」
 確かに牽牛と織女の話をかいつまんで言うとそうなのだが、身も蓋もない太郎の口ぶりに思わず苦笑が漏れた。
「まあ、自業自得と言えばそうなんだけど。まったく会えないって状況から一年に一度会えるようになったらそりゃあ頑張って働くよね……私もそうだと思うし」
「主……はそうなる前に、真面目に役目をこなしていると思いますよ」
「あ、ありがとう……でも、もし太郎さんと一年に一回しか会えなくなったら……」
 毎日顔を合わせて話も出来て触れ合える環境にあるので、太郎と会えるのは一年に一度だけという状況は中々想像がつかない。だが、少し思い浮かべてみただけでも切なくなってきた。実際にそんな状況になってしまったら、淋しさでどうにかなってしまいそうだ。
「太郎さんは、私と会えるのが一年に一回になったらどうしますか?」
「そうですね……もし、貴女に会いに行けるのであれば、どんなことをしてでも会いに行きます。それが出来ないのであれば、貴女のことを想って毎日過ごします」
「た、太郎さん……」
 間をおかずに返ってきた答えに、は思わず赤面する。さらりと答えているが、太郎の目は思いのほか真剣だった。
「貴女のそばにいられる今があまりにも幸福なので、もしそうなってしまったらなんとしてでも会いに行こうとするでしょうね。それこそ発狂しているかもしれません」
「うん……私も、何か方法がないか探すかも。どうしても太郎さんに会いたいから、大人しく待ってるだけなんてできないな」
 いつの間にか近くに来ていた太郎に抱き寄せられる。も太郎の背に腕を回し、胸に顔を預けて触れ合える幸福に浸る。
「明日の夜はみんなで短冊でも書きましょうか」
「そうですね。裏山にちょうどいい笹がないか探してきましょう」
「え、いいんですか?」
「ええ。次郎もどうせ暇でしょうから、手伝わせます」
 太郎が何気なく次郎も手伝うことにしている。勝手に笹採りにかり出される予定になってしまった次郎のことを思って、は今から心の中で謝った。
 翌日、夕食後に本丸のみんなで短冊に願いごとを書いた。このためには昼間、せっせと短冊を作っておいた。そして太郎は、文句を垂れる次郎を引っ張って手ごろな笹を採りに行っていた。あとで次郎にはご機嫌取りの酒でも渡しておくことにする。
「うーん……なに書こうかな」
 いざ願いごとを書くという状況になると、めぼしいものが中々出てこなかった。参考に他の刀剣男士たちの書いたものを見せてもらおうと、は書き終わって短冊を笹に括りつけている太郎と次郎に近寄った。
「太郎さんと次郎さんはなにを書いたんですか?」
 と訊ねると、次郎が渋面でひらひらと手を振った。
「どうもこうもないよ、主ちゃん。兄貴の見てみな」
「え?」
 つけ終わった太郎の短冊を次郎が解いてに見せた。そこには、「主と末永くともにいられますように」と書かれていた。あまりにも直球の願いごとに、は顔を赤くした。
「た、太郎さん……これ、みんなも見れるんですよ?」
「ええ、構いませんよ。私の願いはこれだけですから」
「もう……私も本当は太郎さんとずっと一緒にいられますようにって書きたいけど、みんなに見られちゃうから……」
「皆が見れないような高い場所に、私がつけますよ。それなら問題ないでしょう」
「……うん」
 本丸の刀剣男士たちの中でも特に背が高い太郎が括りつけるとなると、中々見づらいところになるだろう。目立たないように字を小さく書けば、滅多なことでは見られないかもしれない。そう思ったは、先ほど口にした願いを短冊に書き付けた。二人の横で会話を聞いていた次郎は、問題大有りだろうと閉口していた。
「今日は晴れてるから、牽牛と織女も今頃会ってますね」
「ええ」
 どの短冊よりも高いところに括りつけた二人の短冊は、実は他のものよりも目立っていたが、なにを書いてあるかまではよく見えないのでよしとすることにした。そんな二人を見て呆れたようにため息をついた次郎だったが、二人を見守る目は柔らかかった。
(あれ……?)
 仲間のみんなが短冊を笹に括りつける様子を眺めていたは、みんなの輪から外れて縁側に腰掛けている山姥切の姿が目に入った。彼はじっと短冊を見つめていたが、やがてなにかをゆっくりと書き付けた。気になったは、山姥切のもとへ歩み寄った。
「山姥切くん、書き終わった?」
 と声をかけると、彼はの顔をじっと見つめた後、書いた短冊をくしゃくしゃに丸めてしまった。
「あれ、いいの?」
「ああ、書き損じたからな。すまん、もう一枚もらえるか」
「う、うん」
 彼の言うとおりに新しい短冊を渡すと、今度はすらすらと書き終わった。「戦いが早く終わるように」と几帳面な字で書かれていた。
「山姥切くん、他にはないの?」
「別に……俺にはわざわざかなえてもらうような願いなんてない」
「そうなんだ」
 山姥切らしい斜に構えた返答だな、と思わず笑うと、じろりとひと睨みされた。
「俺はもう部屋に戻る」
「あ、うん。おやすみ」
 がそう言い終わると、山姥切は足早に部屋へと戻っていった。彼は元々大人数で楽しく、という場が好きではないようなので、早々に部屋に戻ってしまうのも頷けることだった。短冊を書いてもらえただけでも御の字だろう。は彼の後姿を見送って、手渡された彼の短冊を括りつけようと、笹がある庭先に出た。



(俺の分は、あんたがかなえてもらえばいいさ)
 部屋に戻った山姥切は、手の中にある丸めた短冊をもう一度広げた。書いた願いごとを見て、首を小さく横に振った。再びくしゃくしゃに丸められた短冊は、部屋の隅に置かれたごみ箱へと放られた。
 その短冊に「あんたの幸せがずっと続きますように」と書かれていたことは、山姥切以外誰も知らない。


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