次郎から見た主と太郎の関係



 次郎太刀が新しい主人となる審神者の下に呼び出されたのは、二週間前のことだ。新しい主人のはいたって普通の女性で、呼び出された当初はこんな普通の女の子に自分が扱えるのかとあやしく思ったものだ。それは今も完全になくなった考えではないが、二週間をともに過ごすにつれ、主として頼もしく感じる場面を通して薄まりつつあった。ただの一人の人間としても、面白い子だと思っている。
 次郎が呼び出された時には、兄の太郎太刀がすでに近侍として主人のそばに長く仕えていた。現世にさして関心がなかった兄が、今度の主人には心酔とまではいかないものの、絶対の信頼を置いていた。そのことでに対する興味が生まれたといってもいい。
 その太郎と同じ部屋を割り当てられ、過ごすうちに不可解なことがあった。太郎は近侍として朝は主人を起こすことから始まり、夜は皆の夕食が終わった後、入浴が始まる頃に報告を済ませて仕事を終える。朝は早く、夜は特に所用がなければ早々と床につく。次郎は、夜は酒を飲んでいるので遅くなることが多い。つまり、兄弟で生活態度がまったく違うのだ。その太郎が、週に何度か次郎に付き合って酒を飲むことがある。とはいっても、特に量を飲むわけではない。本当に次郎に付き合って、酔っ払った次郎を部屋まで連れて行くためにその場にいるかのような。そして一番不可解なことが、酔っ払った次郎を布団に放り出すと、太郎も一旦寝る準備をして床に入りつつも、しばらくして次郎が寝た頃を見計らって、部屋を出てどこかにいくのだ。帰ってくるのは明け方、気配を消して部屋へと戻ってくる。それから何事もなかったように朝を迎え、主人を起こす時間になると起きる。
 まさかこの兄に夜な夜な忍んでいく相手がいるのだろうか。だがここは男所帯で、女気は唯一主人のだけだ。一体、夜中に何をしているのだろうかと疑問が膨れ上がる毎日を次郎は過ごしていた。
(その主ちゃんに手を出してるなんてことは……まさかねぇ。あの兄貴に限って)
 だが、今のところその可能性が一番高い。堅物の兄が、戦場に行く時以外はずっとのそばを離れずにいる。二人で何の話をしているのだろうかと様子を伺えば、何を話しているということもない。だが、雰囲気がどことなく柔らかい。主人を見つめる太郎の目は見たこともないような優しいものだった。
 次郎が首をひねっていると、主人であるが顔を出した。次郎が戦場から帰ってきたので、顔を見に来たらしい。
「次郎さん、おかえりなさい」
「主ちゃんじゃん。どうしたんだい」
「次郎さんが怪我をしたって太郎さんから聞いて……怪我の具合、見せてください」
「心配性だねぇ。怪我っていってもかすり傷だよ。アタシはこの通り、ぴんぴんしてるから」
「うーん……かすり傷でも、油断は禁物ですよ。いいから本体見せてください」
「んもう、わかったよ。はい、気をつけなよ」
 こういうときばかり押しが強い主人に、一言注意してから本体の大太刀を渡す。両手で持っていれば落としたりするようなものではないが、一応次郎なりに主人を気遣っているのである。
 鞘から抜いて刀身を確認したは、一応手入れを施すといって、鞘に戻した大太刀を手に手入れ場へ歩き出した。主人の手入れ風景に興味を持った次郎は、から本体を奪うと彼女についていくことにした。
「自分の本体くらい持つよ。アンタってそういうこと、ホント言わないねぇ」
「あ、すみません」
「別に非難してるわけじゃないよ」
 むしろ褒めたつもりだ。主人としての威厳はともかくとして、好感が持てる人物だと思う。変に威張った人間は好きではないからかもしれないが、仲間たちがを慕っていることからしても、皆同じように思っていることだろう。
 手入れ場に行くまで、自分の本体を持ちながら主人の後ろをついていく。しかし、思わぬものを主人の後姿から発見した。髪の間から覗いたうなじに見えたもの。それは次郎が日々膨らませている疑問の答えに近かった。
「ふーん……アンタも隅に置けないねぇ」
「はい?」
「随分濃くつけられたもんだね。兄貴ってば、実はすんごくヤキモチ焼きなんだ」
「え!? な、なんの話ですか……!?」
「ここ、痕つけられてるよ。気付いてなかったんだ?」
 次郎がうなじのその部分をつん、とつつくと、は顔を真っ赤にして首を手で覆った。今更手で隠したところで遅い。そして、次郎の言葉を否定せずに真っ先に隠す行動を取ったことからも、相手は太郎ということもほぼ確定だ。
「やっぱりそうだったんだ。アンタと兄貴が、ねぇ」
「ち、ちが……!」
「今更否定しても遅い遅い。そーかそーか、あの堅物だった兄貴が夜な夜などこに行ってるのかと思えば、まさか主人に夜這いとはねぇ。しかも、こんな濃いのを見えるところにつけるなんて、よっぽどアンタにゾッコンなんだね」
「……! ……!」
 は恥ずかしさでもはや言葉にならず、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせているだけだ。その様子がおかしくて、もっとからかってやろうかと次郎が口を開きかけるが、後ろから静かに響いた声に言葉を引っ込めた。
「次郎、主をからかうのはやめなさい」
「おお、兄貴。戦後の処理してるんじゃなかったのかい?」
「いくら手入れのためとは言え、主を他の男と二人きりにさせられません」
「話聞いてたんだ」
「お前の声が大きすぎるんです」
 はあ、とため息をついて次郎を睨む太郎に、ますます楽しくなって次郎は口の端を上げた。
「男って、こんなナリしてるアタシにまでそんなこと言っちゃう?」
「お前は男でしょう。誰であろうと、主に近づく男は許しません」
「おおう、怖い怖い……」
 そんなことを言い出したら、本丸にいる刀剣男士全員が太郎の敵だ。無邪気に慕っているものが多いだろうが、中にはそれを越えている男もいるだろう。日々のそばにいて目を光らせてはいるが、気苦労が耐えないことだと思われる。次郎相手だが、太郎の目は本気だ。
「だからって、見えるところにこんなのつけてたらさすがに主ちゃんがかわいそうだね。色っぽくて、余計に他の男を煽っちゃうっての」
「ふむ……確かに、そうですね。では、主が私に痕をつけてください。今度からこうしましょう」
「え、ええ!? なんでそうなるんですか!?」
「主が私のものだとおおっぴらにできない以上、私が主のものだと主張するしかないでしょう」
「理解できない……!」
 太郎の独自理論を、が首を振って拒否する。これにはさすがの次郎も閉口してしまった。どれだけ独占欲が強いのか。こんな調子だと、うなじのものと同じ濃さの鬱血が体中にあるに違いない。
「ちょっと、自分で何言ってんのかわかってる? さすがに無茶苦茶だよ、兄貴」
「そうですよぉ……もう勘弁してください。こんな関係になってるってばれたらただじゃ済まないんですから」
 万が一政府の人間に、審神者であると刀剣男士である太郎が男女関係であると知れたら、咎を受けるのは間違いない。そうなれば、重い処置が下されるのは太郎のほうだ。最悪の場合太郎は処分されてしまうかもしれないのだ。
「そう、ですね……すみません、自分を見失うところでした」
「ま、地道に目を光らせるしかないんじゃない?」
「まあ、戦いが終わるまではそうするしかないでしょうね」
「戦いが終わったら、兄貴はどうするの?」
「そのときは主についていくだけです。一生主にお仕えすると決めていますから」
「はあ? じゃあ神宮にはもう戻らないってこと?」
「ええ。参拝客は次郎一人で受け持ってください」
 きっぱりと言い切った兄に、開いた口がふさがらない。正直ここまで惚れこんでいるとは思ってなかったのだ。現世に対する関心が薄く、何が起こっても動じない太郎の印象ががらりと変わってしまった。太郎にここまで言わせるほどだとは、次郎がいない期間に主人と兄の間で何が起こったのか、否応なしに知りたくなってくる。
「ちょっとぉ、アンタどうやって兄貴をたらしこんだのさ? こんなの、アタシの知ってる兄貴じゃないよ」
「た、たらし……!?」
「手入れ場でじっくり聞かせて頂戴。ほらほら、そうと決まれば早く行こう!」
「あっ、次郎さん引っ張らないで……!」
「次郎、その手を離しなさい!」
 次郎がの手を取って手入れ場へと走り出すと、が慌てて足を走らせる。その後ろから目を吊り上げた太郎が追いかけてくる。太郎のそんな表情を見るのは何百年ぶりだろうかと、次郎は思わず昔を思い出す。感情のままに表情を変えることなど、前の主を失って奉納されてからはぱったりと見なくなった。今の主の下でそんな太郎が戻ってきたこと、それが果たして良いことなのか悪いことなのか次郎にはわからなかったが、そんな兄の姿を見ることが自分は嬉しいと思っていることだけは確かだった。


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