やきもちとちゅー



 某日、が恋人である草薙京の来訪を自宅で待っていると、携帯電話が鳴り出した。誰だろうと思いつつ携帯を手に取る。京は待ち合わせなどに遅れる時でも、連絡をよこしたりしない。というか、携帯にメールなどの連絡自体あまりしない。よっぽど自分にとって差し迫った用件でもない限りに連絡することがないので、現在の携帯に連絡してきた人物は京以外だと思ってまず間違いない。
 あまり期待しないで携帯の表示を見ると、案の定京ではなかった。だが、思いのほか珍しい名前が目に入ったので、はメールをすぐに開いた。メールはKOF常連出場者であるケンスウからだった。普段頻繁にメールをやりとりするような間柄でもないし、京に用事なのだろうか。京に連絡してもつかまらないということは多々あるので、ありえない話ではない。
 だがケンスウのメールはそういった用件ではなかった。普段ケンスウが話している関西弁で文章が打ってある上に、興奮状態だからか文章が支離滅裂で読みづらかった。だがなんとか文章を解読すると、ケンスウが京の浮気現場を目撃したらしい。なんでも、アテナと二人で仲良く買い物していたとか。
(京が浮気……まさか、ねえ……)
 しかし、二人が高級食材を扱うスーパーに並んで入っていくのを、ケンスウはこの目で見たという。確かに、目撃しなければこんなメールを寄越さないだろうし、京がいつもの部屋へ来る時間より遅くなっているのも事実だ。京が遅刻するのはよくあることだが、それにしても遅い。
(まさか、それで遅いんじゃないよね? ……いかんいかん落ち着け、浮気と決まったわけじゃない……でも、二人で出かけたのは本当なんだよね……)
 まさかとは思いつつも、京がいつもより遅いことがケンスウの目撃証言の裏づけになっているようで、徐々にの機嫌が降下していく。二人で出かけたことが本当ならば、京から一言ぐらい連絡があってもよさそうなのに、それがないのだ。いくら京があまり連絡してこない男だとしても、さすがに他の女と二人で出かけるとなれば、何も連絡しないのはまずいことだと承知していそうなものだが。
 それからは、京が部屋へ来るまでの間、不安と嫉妬からもやもやとした気分を抱えながら過ごした。一人でいると、どんどん後ろ向きに考えがめぐってしまう。そういうわけで、いつもどおりの態度の京が部屋へ来た時も、笑顔で迎えられなかったのである。
 部屋に入ってきた京がの隣に座っても、は京のほうを向かずに膝を抱えている。その膨れた頬を見て、京は目を瞬かせた。
「なんだよ、機嫌悪そうだな。せっかく俺が来てんのに」
「…………今日さ、いつもより来るの遅かったね」
「あ? そうだっけか?」
「そうだよ。なんで遅かったの?」
「それは……まあいいじゃねえか、いつものことだろ」
 理由を尋ねてもお茶を濁す京に、ますます嫌な想像が膨らむ。京の性格上、何もなければはっきりと言うはずなのに。曖昧にごまかすということは、何かやましいことがあるからではないか、と思ってしまう。不安と嫉妬でもやもやが爆発しそうだ。
 膨れっ面が直らないを京も怪訝に思ったのか、の顔を覗き込みながら尋ねてくる。
「なんだよ、なんかあったのか?」
「…………京が、アテナちゃんと二人で買い物してたって、ケンスウくんからメール来た」
「げ……あいつ、見てたのかよ……」
「げ、って……うそ、本当なんだ!?」
 京の口から出た、アテナと出かけたことを認める言葉。そんなことは信じたくないという気持ちを裏切られたような気分になり、は思わず大きな声で食って掛かった。
「なんで? アテナちゃんと二人で出かけるなんて聞いてない!」
「それは……まあ、事情があってだな」
「どんな事情?」
 と訊いても、京は言葉を詰まらせてもごもごしているだけで、何も弁解しない。恋人である自分にもいえない理由で他の女と出かけたのかと、の心に怒りよりも悲しみが広がった。
(なんで言えないの……もしかして……)
「私のこと、嫌いになっちゃったの?」
「っ、はあ?」
「だって、事情があって出かけた理由を私に言えなくても、出かけること自体伏せられてたなんて、それも話せなかったなんて、もう私に気持ちがないってことじゃ」
「そんなんじゃねえよ!」
 私に気持ちがないのではないか、といいかけて、京が強い口調でそれをさえぎった。が驚いて京の顔を見ると、京は怖いくらいに真剣な表情をしていた。心外なことを言われて不本意とでも言うような。京は大声を出したことについて一言わびると、の両肩をつかんだ。
「違う。アテナと二人で出かけたのは、お前にもう気持ちがないとかそんなんじゃない」
「京……」
「頼まれてアテナの用事に付き合っただけなんだ。に話せなかったのは、アテナ側に事情があったからなんだが、信じてくれ……っていっても、これだけじゃ、やっぱり説明不足になるよな」
 京がはっきりとの推測を否定したことで、は少し気持ちを落ち着かせることができた。だが、彼も言っている通り、その説明だけでは完全に不安を拭い去ることはできていない。が小さく頷くと、京は何かをためらうように視線をそらした。しばし何かを迷っていたようだが、やがて心を決めたようにの目をまっすぐと見つめた。
「わかった、全部話す」
 アテナの用事とは、ケンスウのために手作りの料理を作るので、京に何を作ればいいのかを相談しながら材料を購入することだった。結局、メニューはケンスウの大好物の肉まんに決まったようだが、肉まんに決まるまで色々と迷っていたという。ケンスウと同世代の男子ということで京が相談役になったというわけだったのだ。
「別に、話せないこともねえけど、こういうことは本人には隠しておいたほうがいいだろ? へたにお前に話して、万が一ケンスウに伝わらないとも限らねえし、説明がややこしいから黙ったままだったんだよ」
「そ、そうだったんだ……ごめん、疑ったりして」
 事情を知ったが謝ると、京は困ったように眉を寄せて、の頭を撫でた。そのままの頭を抱き寄せた。
「気にしてねえよ。大体、お前をそんな気持ちにさせたのは俺だしな」
「京……」
「けど、一つ言っとくぜ」
 と言うと、京はの顎を手で上向かせると、そっとくちびるを重ねた。は話の途中でのキスに戸惑い、目を瞬かせた。
「こういうことしようって思う相手は、お前だけだ。それだけは、何があっても絶対に信じろ。いいな?」
「……うん、わかった、信じる。もう、疑ったりしない」
「ああ」
 そこで京が笑顔になると、つられても微笑んだ。今度は自分から顎を上げて、くちびるを京の方へ少し突き出す。
「なんだよ?」
「ん、仲直りのちゅー」
「あ? ちゅーならさっきしただろ、恥ずかしいやつだな」
「いいでしょ別に! 減るもんじゃないし」
「ったく、しょうがねえな……」
 口で嫌がる割にあっさりと折れた京は、の頬に手を当て、もう一方の手で肩を抱き寄せると、先ほどと同じように優しくくちびるを重ねた。リップ音を立てて口を離し、またすぐにあわせる。今度のキスは、くちびるが深く合わさり、舌を絡めあうものになった。が呼吸の合間に小さく声を漏らすと、その声に覆いかぶさるように京のくちびるが重なる。幾度となくそれを繰り返して、の頬がすっかり紅潮した頃にくちびるが離れた。
「……これは、なんのちゅー?」
「……お前が好きだのちゅー」
「なにそれずるい。それなら私も、今のは京が好きのちゅーだし」
「何で張り合ってんだよ。どっちでもいいだろ」
「……なら、ラブラブのちゅーで」
「はあ……ったく、恥ずかしいやつ。もういいからちょっと静かにしてろ」
 と言うと、の声を奪うように再び口をふさいだ。「ラブラブのちゅー」の後にそんなことを言うのは照れ隠しにしか見えないということを、京は知っているのだろうか。
(自分だって恥ずかしいこと言ったくせに……)
 口がふさがれているので、心の中で反論しながら、は静かに目を閉じた。


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