タダのプレゼント



(うーん……どうしよう……)
 頭の中でぐるぐると、どうしようという言葉が回っている。恋人への誕生日プレゼントをどうするか悩み続けて、早一ヶ月が経とうとしている。恋人といっても、世間一般の彼氏という枠に当てはまるような人物ではない。何から何まで規格外というか、枠を片っ端からぶち破っていく男というか。そんな男、八神庵と恋人同士になれたのは奇跡か何かだと自分でも思うが、それはまた別の話としよう。今は、彼の誕生日プレゼントについて早急に考えなければならない。
(まさか当日になっても決められないなんて……本当に何を贈ったらいいかわからない……)
 一般的な彼氏だったら財布やら時計やらが思い浮かぶが、そういったものは自分のこだわりがあるものだ。庵も嗜好品の類は自分で選んでいる。が勝手に選んで買ってきたものを、そのまま使ってくれるとは考えにくい。
 わからないのなら最終手段として直接欲しいものを訊く、という手がある。だが、これは先日使ってしまった。しかも「そんなものはいらん」とにべもない返答が返ってきただけだった。考えに考えてわからず、わらにもすがる思いで勇気を出して本人に訊いたのに、ばっさりと切り捨てられてしまった。
 結局、当日になってもこれといっていいものが思いつかず、自宅に帰らなければならない時間になってしまった。
(あああ……もうすぐ庵さんが帰ってくるよー……とりあえず肉料理は用意したけど……)
 今日の待ち合わせはのマンションの部屋だ。普段は庵の部屋にが行くことが多いが、今日はの部屋に庵が来る。というのも、庵の部屋には調理器具と呼べるものがほとんど置かれておらず、調理できるような環境ではないからだ。今日は庵の誕生日ということで、バンドでバースデーライブがある。その帰りを待っているというわけだ。調理もあらかた終わってしまい、後は庵が帰ってくるだけだ。
 庵本人がプレゼントなどいらない、と言っていることだし、にはプレゼントに何を選べばよいか思いつかないのだから、諦めてどんと構えていればいいのかもしれない。だが、やはり恋人の誕生日はプレゼントをもってして祝いたいのだ。の自己満足かもしれないが、普段恋人らしいことをあまりしないので、今日くらいは世間一般の通例にのっとってみたかったのだ。
 が頭を抱えていると、ピンポンとインターホンが鳴った。庵だ。急いで玄関を開けると、ベースを引っさげた庵が立っていた。「いらっしゃい、どうぞ」と招き入れると、かすかに頷いて部屋へ上がってきた。
 時刻は夜の十時を少し過ぎた頃。ライブ後にしては早いお出ましだ。
「庵さん、今日は早いんだね。ライブはどうだった?」
「ライブなどいつもと変わらん。ただ、どこかの誰かが腕によりをかけて俺の好物を作ると言っていたのを思い出しただけだ」
「でも、出待ちとかすごかったんじゃないの?」
「ふん、あんな有象無象ども、多少数が多くなったところでさして変わらん」
(ということは、いつもより出待ち多かったんだな……)
 なるほど、が待っているので早く切り上げて帰ってきてくれたらしい。今日はバースデーライブだし、ファンもこぞって庵の出待ちをすると思っていたので、もしかしたら今日のうちに帰ってくるのは難しいのではないかと、早い帰宅はあまり期待していなかった。だが、ちゃんとの言ったことを覚えていて早く帰ってきてくれるあたり、なんだかんだ言って優しいというかなんというか。本人に言うとなぜか機嫌を損ねるので、口には出さない。
 料理を温めなおしてテーブルに並べると、庵は静かに食べ始めた。食事時、本人は気を遣っているつもりはないのだろうが、音を立てずに行儀よく食べる。知れず染み付いた良家育ちが、こういうときにものを言うのかもしれない。
 出された料理をすべて平らげ、満足そうに食後のお茶を飲んでいる庵の前に座る。気まずそうに瞬きしていると、庵が眉を寄せた。
「なんだ」
「……あのね、庵さんへのプレゼント、やっぱりいいのが思いつかなくて」
「ふん、だからどうした。俺は最初からいらんと言っていただろう」
「でも、料理だけじゃいつもと変わらない気がして、私の気がすまないというか……」
 スカートの裾を手でもじもじといじりながら声を小さくして言うと、庵が片眉をピクリと上げた。ため息にも似た長い息を吐き、お茶をすする。その間がなんとも言えずいたたまれなくて、は肩を縮こまらせた。庵が湯飲みをテーブルに置くと、口を開いた。
「……気が済まんのなら、貴様のものを一つよこせ」
「え?」
「貴様の持っているものをよこせと言ったんだ」
 ぽかんと庵を見返すをよそに、庵は部屋を見渡す。部屋を遠慮なく見られ、きれいに片付けたはずなのに恥ずかしくなってくる。庵に引かれるようなものは置いてないと思いたい。
(って、違う違う! 私のものが欲しいって、どういうことなんだろう)
 庵が部屋を見ている視線の先をも追うが、特に庵が欲しがるようなものはない。があまりにもプレゼントのことを気にするから、気を紛らわせるために言い出したのだろうか。果たして、庵がそんなことを気にするだろうか。変なところで優しさを見せる男だから、何を考えて言い出したことなのか、見当がつかなかった。
 と、そのとき、庵があるもので視線を留めた。なんだろうとも視線をたどってみると、棚の上においてある部屋のキーケースを彼は見ていた。
「あれをよこせ」
「えっ、あれって……キーケース?」
 革製のキーケースで、数年前に自分への誕生日プレゼントとして買ってきたものだ。の持ち物の中で唯一と言っていいほどの値が張るもので、気に入っていた品だ。が立ち上がって、鍵をつけたままのキーケースを庵の元へ持っていく。そして、彼の前でキーケースから鍵を外し、キーケースのほうを差し出そうとすると、その手をつかまれた。
「庵さん?」
「違う。こっちだ」
 庵が指すのは、鍵のほうだった。つまり、庵はの部屋の鍵が欲しいといっているということである。
「え……」
「どうした、嫌か」
「い、嫌っていうか……え、本当にこんなのでいいの?」
 が信じられないような気持ちで問うと、庵がじろりとを睨んだ。蛇に睨まれたような感覚になって、は体を震わせた。
「俺がいいと言ってるんだ。早くよこせ」
「え、でも誕生日プレゼントだよ? こんなタダ同然のものでいいの?」
「タダ同然だと?」
 庵が眉間に皺を寄せて、今度こそを本格的に睨む。久しく見ていなかった目つきに、は肩を強張らせる。なにか、怒らせるようなことでも言ってしまっただろうか。声も出せずに庵を見つめていると、庵がため息混じりに声を吐き出した。
「貴様は鍵を男に渡すという意味を分っているのか? 身も心も俺に許したということだぞ。それをタダというのか、貴様は」
「……庵、さん」
 鍵を渡す、つまり合鍵を庵に渡すということ。いつでもの部屋に来てもいいということ。つまり、の身も心も、完全に庵に許したということ。それは、確かに庵にとってはタダではないかもしれない。でも、にとってはそうではない。もうとっくに身も心も庵のものだと思っていた、そのつもりでいた。
「とっくに庵さんのものだと思ってたよ、私」
「……ふん」
「こんなのでよければ、どうぞ」
「……後で返せといっても、聞かんぞ」
「言わないよ。庵さんこそ、返却不可だからね」
「見くびるな。自分から欲しがったものを今更返すか」
「……うん」
 返さないと言い切った庵の口調がきっぱりとしていて、そのことがどうしようもなく嬉しくて愛おしくなった。嬉しさのあまり、目頭が熱くなってきて、庵の誕生日なのに嬉し泣きしてしまいそうだった。それを隠すように庵の胸に頭を擦り付けると、庵がの後ろ頭に手を回してきて抱き寄せられた。いつも庵がつけている香水のにおいと、ライブ後で汗のにおいが混じっていた。いつもはライブが終わったら楽屋でシャワーを浴びてから帰ってくるのに、そのことからも急いで帰ってきてくれたことがわかって、一層胸を締め付けられた。それを口に出すとやはり機嫌を損ねるだろうから、言うのは我慢して目頭にこみ上げる涙に上乗せした。
 庵の胸に顔を埋めて涙を流すが、やはりどうしても隠せないもので、庵に「何を泣いている」と指摘されてしまった。
「……嬉しくて」
「このぐらいで泣くな。ガキか」
 といって庵は呆れたように息を吐いた。だが、抱き寄せている腕の力をこめられ、後頭部に回っていた手がの髪をすくように上下したことからすると、本当に呆れてはいないらしい。なんだかんだ言いつつやはり優しいのだと思ったが、それも口に出さずに心の中にとどめておいた。


inserted by FC2 system