太公望、昔も今もやきもきする

※外伝こぼれ話の後の話。結局バカップル。

 と太公望が西岐に身を置いていた頃、がまだ天化と付き合う前の話である。

(さ、寒い……)

 季節は冬。夜になると、布団にくるまっていても耐え難い寒さがを襲っていた。日中は動き回っていたり日が差す分ましだが、日が沈むと一気に冷える。この時代に暖房器具などない。布団の中で丸まっていても、手足が冷え切ってなかなか寝つきにくい日が続いていた。
 今夜は特に寒かった。手足を擦り合わせて温めて、なんとかうとうとし始めた。あたりは静まり返っている。西岐城に仕える人々ももうとっくに仕事を終えて、起きているのは警備の兵士くらいなものだ。
 このまま、何事もなく今日は眠ることだろう。夢の入り口までやってきただったが、突然めくられた布団から入ってきた寒気に目を開けた。

「……?」
「う〜寒いのう……」
「ん……望ちゃん……?」

 一瞬の寒気の後にぬくもりに包まれた。聞こえてきたのは太公望の声だった。が完全に覚醒するまでのわずかな時間で、太公望はの体に腕を回し、しっかりと抱きこんだ。

「んん、望ちゃん、どうしたの……?」
「今夜は寒くてかなわん。暖を取らせておくれ」
「はい?」
「うう、寒い寒い」

 と言うと、の背中を撫でさすってきた。つまり、旅をしていた時のように寒さをしのぐためにふたりで寝よう、ということか。それはわかる。太公望が来たことで、の布団の中もひとりの時より暖かい……ような気がするし。けれど、それよりも寝つくところを邪魔されたことにムッときた。

「んもう、もうちょっとで寝るとこだったのに」
「む、ということはおぬしもさっきまで起きておったということではないか。冷え性のおぬしのことだ、手足が冷えて寝られんかったのであろう」
「う……まあ、そうだけど……」
「あったかくなれば寝つきやすくなるのだから、細かいことを言うでない。ほれ、貸してみよ」

 背中から太公望の手が離れ、代わりにの手を握ってきた。擦り合わせて温まっていたと思っていたが、太公望の体温からするとまだまだ冷たいようで、彼の手があったかく感じられた。

「つめた! おぬしの冷え性は変わらんのう」
「そりゃまあ、体質だし」
「もっと温まるものを食べて栄養を取らんといかんぞ。行き遅れの歳とはいえ女子には変わりないのだから」
「けなすか気遣うかどっちかにしてくれない? あと言われなくても旅してた頃よりは食べてるから」

 西岐城に入り、食べ物の心配をしなくなってから、太公望に合わせて粗食となっていた反動からかよく食べるようになった。いつも食事をともにしている太公望が気づかないはずがないので、の体を気遣っての発言だ。が、行き遅れは完全に余計だ。十代半ばで嫁ぐことが当たり前のこの世界からすれば、確かには行き遅れには違いないが。
 間髪入れずに言い返してきたに太公望が苦い顔をした。

「おぬし、器量は悪くないのに独身なのは、そういう可愛くない反応をするからでは……」

 それは自分でも思わないでもない。しかし、指摘されたところで今更可愛い反応ができるわけでもない。

「う……今はそんなこと考えてる場合じゃないし……今は、頑張って望ちゃんについていかないといけないんだから」
「……そうであったな」

 太公望は低くつぶやくと、もうすっかり温かくなったの手を離した。代わりに、再びに抱きついてきた。

「ん、望ちゃん」
「ニョホホ、あったまるのう。ぬくいし柔らかいし、やはりおぬしは抱き心地抜群だ」
「もう、道士のくせにエロじじいみたいなこと言って」
「安心せい、これぐらいでは反応せん。観念してわしの湯たんぽ兼抱き枕になるのだ」
「……んもう」

 あけすけな発言に反応することを諦めたは、力を抜いて目を閉じた。恋人どうしで眠るような体勢だが、そこに恋愛感情は存在しない。あるのは家族間のような安心感だけ。太公望の言は嘘ではなく彼の体になんの変化もないし、も特に抵抗はない。
 太公望の温もりで、すぐに眠気が降りてきた。今度は邪魔されることなく、は眠りに落ちた。



「……変わってない。なにも変わっておらんぞ……」

 寝息を立て始めたのすぐそばで、太公望が口の中でぼやいた。
 仮にも男の腕の中で、こんなに早く寝付くとは。太公望が男として意識されてないことは承知の上だったし、そういう関係性を前提にして部屋を訪れたのだが。

(部屋に錠もされておらんかったし、いくらなんでも不用心、無防備すぎる……)

 こんなに寒くてはが震えているのではないか。そう思った太公望は、つい心配になっての部屋にやってきたのだ。
 しかし二人旅をしていた時ならいざ知らず、城にはほかの人間も多数いるのでいくらなんでも扉に閂ぐらいしているだろう。そう期待せずにの部屋の扉を押してみたら、あっさり開いた。太公望が隣の部屋とはいえ、この娘には危機感が足りない。太公望はそう強く思った。

(わしが城を空けている間に天化と仲良くなっているようだし……いや、あれはもうに惚れておるな。だというのにこの娘は……)

 の様子だとまだ天化の気づいてないのか、気づかないふりをしているのか。それはわからないが、ともかく今すぐどうにかなるような距離感ではないし、天化にしてもいきなり夜這いをするような男ではない。差し迫って貞操の危険があるわけではないが、この城には天化の他にも男はたくさんいる。いつなにがあるかわからないと戸締まりをしっかりしておくに越したことはない。
 そう、太公望は思うのだが。には太公望の心配はまったく伝わってない。

(普段はよく気を回すのに、なんで肝心なところで鈍いのだ)

 心配が通じてないムカムカと呆れが混じった目線を送ってみても、の寝息が乱れることはなかった。

(……ま、いっか。わしがのそばについていればいいことだし……)

 太公望の腕の中で安心しきった様子の寝顔を見ていると、真面目に心配しているのもあほらしくなってきた。が太公望のそばを離れることなど、元の世界に帰るまでたぶんないだろうし。それまで守ってやればいいだけだ。

(思った以上に目が離せん子だのう、おぬし)

 でも、それが嫌だとかそういうわけではなく。呆れもあるが、どことなくくすぐったいような感じで――
 これが娘を持つ父親の気持ちなのかもしれない。太公望はのおでこにかかった前髪にくちびるを落とすと、の頭を抱え込むように腕を動かした。心地よい温かさの中で、太公望も目を閉じた。

***

 ――ということがあったのを思い出した。

(懐かしいなあ……あんな感じでくっつきあって一緒に寝ても、私も望ちゃんも全然意識しなかったのに)

 封神計画を終えてから恋人になったと太公望。太公望がたまに、に意識してもらえずにやきもきした、というような発言をしている。しかし、自身はそんな彼の様子に気が付かなかった。

(蓬莱島に行くときに避けられてたけど、まさかあれも……?)

 とすると、少なくとも旅を終える前から太公望に気持ちを向けられていたということになる。気づいてないだけで、もっと前からかもしれない。
 今いるのは今晩お世話になる宿の部屋だ。ひと休みしてから街を見て回ろうと、部屋の中に備わっていた卓と椅子で一服中のと太公望。四不象は外で食事中だ。
 向かいの席でお茶をすすっている太公望には目を向ける。今の力の抜けた表情からは、なにも伺い知ることができない。

「ん?」

 の視線に気が付いた太公望が首をかしげた。

「望ちゃんて、いつから私のこと……その、女として見てたの?」
「ぶっ!」

 思い切って本人に聞いてみると、太公望は飲み込んでいる途中のお茶を吹き出した。気管に入ったようで、苦しい咳を繰り返している。新しいお茶と布巾を差し出してやると、太公望はお茶を飲んで落ち着いてから汚してしまったところを拭いた。顔が真っ赤なのは、むせたせいか、それともの質問のせいか。

「い、いきなりなんということを聞くのだ!」
「え、だめだった?」
「飲み物を含んでいる時にいきなり聞くでない……」
「ご、ごめん」
「……そんなことを聞いてどうするのだ、おぬし。大体、どうして急にそんなことが気になった?」
「いや、単なる好奇心だからどうもしないけど……」

 質問のきっかけとなった西岐城での出来事を話すと、太公望もそんなこともあったなと懐かしそうな顔になった。

「まあ、確かにあの頃は同衾しても平気だったが……自覚してなかっただけかもしれんし……」
「え、なんて?」

 後半がよく聞き取れなかったが、太公望は咳払いをして答えてくれなかった。

「……いつからおぬしを好きだったか教えるのはやぶさかではないが、タダではな」
「……はい?」
「おぬしがいつからわしを恋人として受け入れられるようになったのか、それを言えば教えてやる」
「こ、交換条件てこと?」
「当たり前だ。人の秘密を知りたいなら、まずは自分からだぞ」

 いつからが太公望を男として受け入れたか。そんなの、を口説き落とした本人が一番わかっていそうなものだが。
 交換条件を思いついた途端に余裕を取り戻した太公望の表情を見て、は確信した。

(私に恥ずかしいこと言わせたいだけだ、このエロじじい……!)

 なにせ太公望はの恥ずかしがる顔が大好物。ことあるごとに恥ずかしいことをさせたり言わせたがる。今回もその類だろうと、は太公望を睨む。
 すると、太公望は少しだけ淋しそうな色を滲ませた。

「おぬしがこの世界で初めて惚れた男は天化、初めて大好きと言った男は楊ゼン」
「え」
「……わしだっておぬしの特別なのだと思える言葉が欲しくなっても、当然だと思わぬか」
「望ちゃん……もしかして」
「〜〜気が多いのだ、おぬしは! 嫉妬するのも当然だろう!」

 再び顔を赤くした太公望が、の言葉を遮った。
 気が多い。確かに、太公望一筋とは言えないである。ただそれは、今太公望と相思相愛になったからそう感じるだけなのではないかと思わないでもない。天化との関係だって、その時は天化のことしか見ていなかった。楊ゼンにしても特に彼に対して特別な感情は抱いてないし、大好き発言も太公望がしっかりと覚えているだけで、は正直記憶のかなたである。

(うーん……でも、天化もやきもきさせてたし、本当に気が多いのかも……)

 そこは反省するべきかもしれない。今は太公望と四不象と旅をしているから、気を向ける相手もいないのだが。

「……望ちゃんだってビーナスさんを誘惑してたくせに」
「……そのことは忘れよ。というか、わしのそれは作戦のうちだ! おぬしのとは毛色が違うわい」

 苦い顔になったのは一瞬だけで、すぐにまた口を尖らせる太公望。今の発言は余計だった。今は、へそを曲げてしまった恋人の機嫌を取ることが最優先だ。
 しかし、あの太公望がの『初めて』に対して嫉妬するとは。男は女の最初の男になりたがるという俗っぽい説もあるが、そういうものなのだろうか。
 その点で言えば、太公望はとっくにの『初めて』の男なのに。

「……望ちゃんは、私の一番最初の、大事な『初めて』を取ってるのに」
「なに?」

 この世界に来てから一番最初に手を差し伸べてくれたのは太公望だ。彼が保護してくれて、はこの世界に来てから初めて安心したのだ。この世界のことを教えてくれたり、守ってくれたり。西岐城での出来事のように、自分がそうしたかっただけと言いつつを気遣って行動してくれたり。
 本当の仲間のように、本当の家族のようにそばにいて見守ってくれた。そんな彼がそばにいてくれたから、つらいだけの旅にならなかった。誰とも比べられないくらいに大切な存在。
 そんなひとは、文字通り、の人生で『初めて』で、『たったひとり』だ。

「どういうことだ、わしがおぬしの一番……?」

 肝心なところを濁したので、太公望が身を乗り出して詰め寄ってくる。ここで素直に教えてもいいが、日ごろ色々な目に遭っているは、ちょっとだけ仕返ししたくなった。

「一番最初に私を娘にしてくれたもんね?」
「……それも忘れよ。というか、そんないつの間にか忘れていたことを持ちだすとは、おぬし可愛くないぞ」
「可愛くなくていいです。可愛くないから、もうしゃべりません。秘密です」
「なっ……!」
「望ちゃんが私のこといつから好きだったか、先に教えてくれたら私も素直に言うかもよ」
「ぬ、ぬう……!」

 普段はをいいように言いくるめている太公望が、今はに優位を取られて歯噛みしている。彼のこんな表情を見るのも珍しい。後が怖いが、楽しい。

「ぬう〜素直に教えぬか、!」

 太公望が椅子から立ち上がった。を捕まえようと手を伸ばしてくるが、も立ち上がって椅子を盾にして距離を取った。

「こら、逃げるでない!」
「やだ。捕まえてどうするの望ちゃん」
「口を割らせる」
「どうやって」
「それは、のう?」

 含み笑いをしながらちらっと寝台のほうを見た。これは捕まったら寝技に持ち込まれてしまう。そうなったら最後だ。褥の中で太公望にかなうわけがない。

「降参するなら今のうちだぞ。時間をかければかけるほど後がひどいぞ?」
「やだ、こんな真昼間からなにするつもりなの、このエロじじい!」
「ニョホホホホホ、椅子を盾にしたことで背後は壁! もはやおぬしに逃げ場はなーい!」
「ひゃあっ!」

 フェイントをかけられて避けたところで捕まってしまった。そのままひょいっと抱き上げられ、寝台に押し倒された。が抵抗する間もない。目を回しているうちの出来事だった。

「望ちゃん、は、ん……」

 太公望の顔が近づいて、の口にくちびるが覆いかぶさってきた。ちゅっと短く吸い付いては離れて、また短く音を立ててくちびるを吸ってくる。舌は使ってこない。真昼間だから、本気にならないようにしているのかもしれない。

「望ちゃん……」
「言う気になったか?」
「……なんでそんなに知りたいの?」
「なんでって、知りたいに決まっとる。わしだって……」

 言葉を探すような間を置いてから、太公望が口を開いた。

「わしだって、おぬしに愛されていると自惚れていたいのだ」

 苦々しい声と赤い顔。の過去にやきもちを焼いてしまうから、愛されていると自惚れたいという。
 そんな彼を見て、胸が苦しくなった。

「……私には、望ちゃんしかいないのに」
「――!」
「……あの、さっきみたいなちゅう、もっとしてくれるなら、素直に言う、から……」
「〜〜〜おぬし、本気にならないように抑えておるというのに……!」

 太公望がぼやいた次の瞬間には、またくちびるを奪われていた。さっきみたいなちゅう、ではなく、舌を入れられた。の口の中を思いのまま舐めて、時折短くくちびるを吸って、また舌を使う。

「おぬしに関しては堪え性がないのだから、あまり可愛いことを言うでない」
「……さっきは可愛くないって言ってたのに」
「……可愛いよ、おぬしは。本当に」
「う……望ちゃん……」

 男の顔で真っ向からそんなことを言われて照れないはずがない。視線の逃げ場もないので、目をぎゅっと閉じる。そんな仕草でさえも、太公望からすると煽っているように見えるのだが。

「だぁーもーめんどくせーー! わしとおぬしは夫婦! 真昼間から事に及んでもなにもおかしくない! さあさあおとなしくするのだ!」
「ぎゃああなにするのこのエロじじい! ばかばかなに本当に盛ってるの!」
「うるさーい! 煽るほうが悪いのだぁーー!」

 理性がブチ切れた太公望がの服を剥ぎ取ろうとしてきた。そんな大声で襲い掛かられては宿の中の人間にも丸聞こえだろう。一晩世話になるところだというのに、こんな真昼間から盛る夫婦だと思われるのは気まずすぎる。

「た、助けてスープー!」
「無駄だ、あやつは今食事中! 助けなぞ来んわ! わははははは!」
「やーだー!!」

 当初の話題をすっかり忘れてじゃれ合うふたり。四不象が食事後の昼寝から戻った際には、ふたりはやけに疲れた様子だったという。
 結局、お互い聞きたかったことを聞けたのかどうかは、疲労しつつも幸せそうなふたりの表情から推して知るべしである。



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