なんでもない非日常


※お題箱より「日常を垣間見るような短編小話」


 ある日のカルデア、正午過ぎ。
 キャスターのギルガメッシュは、小休止を入れようと食堂へ向かっていた。特に食事の必要がないサーヴァントであるが、一息入れたい時はやはりティータイムに限る。この後もまだまだ仕事がある。適度な休憩を挟んで効率を上げるのも仕事のうちだ。

(まあ、我は休みなしでも効率は特に落ちんが)

 生前の経験──過労死するまで休まなくても特に効率は落ちなかったという証拠もある。一難去ってまた百難くらいの逼迫した状況で、単に休んでいる暇もなかったのだが。
 しかし、もう過労死はごめんである。まだまだ働けると思っていても、意識的に休憩を取るように心がけている。今手伝っているのは、終局特異点突入の影響で破壊されたカルデアの再建である。目標の納期はあるものの、またいつ特異点が発生するかわからないので、安全を踏まえつつも急ピッチで作業が進められている。王とは建築学も修めるもの。ギルガメッシュの万能すぎる能力がいかんなく発揮されている現場であった。
 とはいえ、そのしわ寄せはあるもので。マスターである少女と、最近ゆっくりできていない。顔を合わせるのは少女がマイルームにいる時間帯──すなわち朝と夜ぐらいである。ギルガメッシュが携わっている場所と、マスターが普段行き来している場所が違うため、昼間はめったに顔を合わせることがない。
 それについて、少女はなにも言わない。素直で偽ることがない性格だが、ことギルガメッシュに関しては素直とは言い難い。ギルガメッシュを煩わせたくないのか、わがままを言わないようにしているのが丸わかりだ。意地っ張りがたまに素直にデレるのが、可愛いといえばそうなのだが。

(雑種の性格からして、素直に我に甘えろといっても効果はなさそうだが)

 それで簡単に言うことを聞くような可愛げのある女ではない。というと少女が怒りだしそうだが、そんな度し難いところもなかなか憎らしいと思っているのだ。惚れた欲目というやつだ。
 などと考えながら食堂に入る。中には数人のサーヴァントの姿が見える。厨房のほうには赤い外套をまとったサーヴァントがいる。ちょうどいい、奴に茶でも入れさせるとしよう。
 そう思い、足を踏み出した時だった。後方から体に軽い衝撃が走った。自分の胴に白い袖を通した腕が巻きついている。その右手には令呪。マスターがギルガメッシュの背中に抱きついているのだ。

「雑種、なんのつもりだ?」

 背中に少女の吐息と柔らかい感触を感じながら声をかける。行動を咎めているわけではない。日中、しかもこんな公衆の面前で、恋人のような行動をすることはほとんどない。ギルガメッシュのほうは特に時間や場所など関係なく彼女に触れるが、彼女はそうではない。それを踏まえての問いだった。

「王様……」
「なんだ、またなにか瑣末なことで頭を悩ませているのか? 我に背後から不意打ちをするとは不敬であるぞ」

 背中から細い声が聞こえてきた。弱っているわけではなさそうだが、普段の様子とは明らかに違う。とにかく顔を見なければ。腹に巻きついている手をぽんぽんとたたくと、大人しく離れていった。
 振り返って少女の顔を見ると、ギルガメッシュの目をまっすぐに見返してきた。ただ、その様子は先ほど感じた通り、普段のそれではない。瞳はなんだかうるうるしているし、頬がほんのりと紅潮している。じっと見下ろすと、もじもじと恥ずかしそうに手を揉んで、しかしギルガメッシュからは目を逸らさない。
 ──なんだこの可愛い生き物は。
 普段は普段で可愛いが、まるで恋する乙女のようになってしまった少女は一層可愛かった。思わず手を伸ばして抱きしめてしまいそうになる。それをすると、恥ずかしがった少女から小言をもらうのでやらないが。
 と思っていると、少女のほうからギルガメッシュに抱きついてきた。

「王様……好き……」
「──」

 あまりのことに、ギルガメッシュは硬直した。
 なんだこれは。マスターの皮をかぶった違う生き物か。いや、触れた体から伝わってくる魔力は間違いなくマスターのもの。しかし、今朝マスターの部屋で別れた時とは態度がまるで違う。この半日の間になにがあったのか。
 ギルガメッシュに抱きついている少女を見下ろす。まるで犬のようだ。ご主人様を前にした犬。もし尻尾が付いていたら大回転していたことだろう。それくらい嬉しそうだ。ギルガメッシュの胸部にすりすりと頬ずりをしている。
 思わずぎゅっと抱きしめた。

(くっ……愛いやつ……)

 こんなところをアーチャーの自分が見かけたら、間違いなく「色ボケ」と言うに違いない。いい、色ボケでなにが悪い。だって惚れた女がこんなにも可愛いのだ。ぎゅっとせずしてなんとする。

「ああ、やっぱりここにいたんだね」

 食堂の入口から声をかけられた。視線だけを上げると、天才画家がギルガメッシュとマスターのほうに近寄ってくるのが目に入った。

「やはりとは、雑種がこの状態の原因は貴様か?」
「私ではないよ。私は彼女がこうなった原因の目撃者といったところだ」

 ギルガメッシュの鋭い視線を受けてなお、ひょうひょうと肩をすくめるダヴィンチ。人目もはばからずに恋人に抱きついている少女を、好奇心を隠そうともせずに観察している。

「ふん、よい。疾く話せ」
「では説明しよう。マスターである彼女は、午後からパラケルススのラボの掃除を手伝っていたんだ。そして」
「怪しげな薬の実験台にされたということか」
「端的に言えばそういうことだ。現在パラケルススに解毒薬を作らせているけど、彼が言うには放っておいても 一日、長ければ二日ほどで薬の効果は切れるそうだ。試作品らしいからね」
「ふん……で、肝心の薬の効力は」
「自分の思ったこと、感じたことに対して素直になる薬、だそうだよ」

 それはつまり。

「ちなみに、彼女は薬を飲んだ直後に突然走り出して今に至る」

 つまり、少女は自分の思ったことをすぐに実行したということ。ということは、ギルガメッシュに会いたいと思っていたということで──
 いまだに胸に抱きついて離れない少女を、再びぎゅっと抱きしめた。



 その後、ギルガメッシュから離れないマスターを連れてマイルームに戻ってきた。あまりの光景に見ていられなくなったのか、厨房から出てきた赤い弓兵に「そういうことは部屋でやってほしいのだが」と言われてしまったのだ。衆目もはばからずにいちゃつくこともそうだろうが、エミヤはおそらく、マスターの名誉を守りたかったのだろう。確かに、元の少女の性格で言えば、人前で堂々といちゃついたなどと知ったら壁に頭を打ち付けかねない。
 ベッドに隣り合って座る。少女はまたすぐにギルガメッシュに抱きつく。その様子に、さすがに面映ゆくなってくる。少女がギルガメッシュに対して素直に好意を示すのも、理性が焼き切れる情事の際を除くとふたりきりの時、それもとびきり甘い雰囲気の時だけだ。新宿で再会した時から多少は言葉に出すようになったものの、いつもはやはり恥ずかしさが勝ってしまうようで、もの言いたげな視線を投げてきては口を閉ざしているのだ。
 そんな状態で一緒にいる時間が減っては、心淋しくなるのも当然だろう。少女を落ち着けるように頭をよしよしと撫でると、嬉しそうに破顔した。

「王様、お仕事はいいの?」
「なに、半日ぐらい我がいなくても支障はないだろう。我は単なるブーストにすぎん。元は我なしでも進行できるように予定が組んであるのだ、心配はいらん」
「それじゃあ……もう今日はずっと一緒にいられる……かな……?」
「いられるとも」
「やったぁ……! 嬉しい……えへへ……」

 と、ころころと笑って、また抱きついてくる。

(ぐっ……)

 その体を片腕を回して受け止めながら、もう片方の手で顔を覆った。惚れた欲目だと十分承知しているが、可愛すぎないか。

「最近ね、王様も忙しそうだし私もなんだかんだやることがあって、ちょっと淋しいなって思ってたから……今日だけでも一緒にいられるの、嬉しいんだ。夜にえっちするのも……その、好き……だけど……こうやって触れあってるのも、大好きだから……」
「淋しいなら淋しいと言えばよかろう。言ったはずだ、貴様の感情は我のもの、我にぶつければよいと」
「だ、だって……カルデアのどこもかしこも人手不足で忙しいのはわかってるし、私だけわがまま言っちゃいけないって思って……」
「雑種、貴様──」
「それに……」

 その先を言うのは薬を飲んでいても恥ずかしいのか、ギルガメッシュから身を離してもじもじとスカートの裾をいじっている。黙って先を促すと、視線をあちこちに泳がせながら口を開いた。

「ウルクでも思ってた、んだけど……忙しそうに働いてる王様が……やっぱり、すごくかっこいいなって……だから、うまく、言えなくて……」

 これである。
 尻すぼみになっていく声と反比例して、少女の顔はどんどん赤くなっていく。最後にはとうとう両手で顔を隠してしまった。

(ぐぅっ……! 愛い、愛いぞ我の雑種……!)
「王様? く、苦しいよ王様……」

 気が付けば、ぎゅぅぅっと強く少女を抱きしめていた。もちろん、無意識下にあっても少女に対しては力の加減をしているのだが。
 抱きしめられたことについては嬉しそうにしながらも、全体的には困ったような少女の声を聞いて、腕の拘束を解いた。文字で表すとん゛う゛ん゛といったような重い咳払いをして、ギルガメッシュは平静を保った。

「まあ、我がなにをしていても美しく洗練されているのは我も知っている。我の威厳に満ちた労働の姿が好みというなら仕方ない。だが、貴様にはひとつ教えておいてやろう」
「王様……?」
「恋人のわがままをかなえてやるのも、男冥利に尽きるのだぞ」

 ギルガメッシュの言葉に、少女が目をぱちくりとさせた。

「で、でも……私だけそんなわがまま……」
「ほかでもない我が許すのだ、なにをためらう必要がある。大体、貴様は人理修復を成し遂げたのだぞ。恋人と過ごしたいというわがままくらい、いくらでも許されよう。少なくとも、貴様とともに一年間尽力してきた輩はそう思っているだろうよ」

 現に、こんな事態になって今日はもう休ませてほしいと伝えると、皆二つ返事で了承したとダヴィンチが言っていた。少女の自己評価の低さも考え物である。

「まあ、いくら許すといってもわがまま放題になるのはごめんだが」
「そ、そんなことしないよ」

 途端に膨らんだ少女の頬をつつく。ふにゃりとした弾力が心地よくて、つんつんと何度もつついていると、むっとした表情が解けていった。くすぐったそうにしているが、ギルガメッシュの指から逃げたりはしない。

「王様……」
「ん?」
「キス、してもいい……?」
「──よい、許す」

 顔を真っ赤にした少女がギルガメッシュの肩に手を乗せ、そっとくちびるにキスをした。舌は入れない、ついばむようなキスを繰り返すうちに、ふたりしてベッドに倒れこんでいた。寝転がってからも、ちゅっというリップ音は絶えない。

「王様、大好き」

 キスの合間に、少しはにかみながらも、とろけるような笑みを見せた少女。少女を再び強く腕の中に閉じ込める。痛い、という抗議の声は聞き流した。
 もう少し色気がある方がギルガメッシュの好みではあるが、子供の遊びのような触れあいも、この少女となら悪くはないとそう思える王であった。
 翌日、薬の効果が無事に切れ、少女の振る舞いも元に戻った。すべてのことを記憶している少女は、羞恥にベッドの上を転がったという。



inserted by FC2 system