主とキスするまで出られない部屋 ウシワカマルver



※名前変換ありません



 ウシワカマルが目を覚ますと、そこはなにもない空間だった。
 窓一つない壁に扉が付いている。その扉を開けようと力を入れてみても、びくともしない。鍵がかかっているのかと思ったが、扉の取っ手さえ微動だにしないので、物理的な力ではどうにもできないような術かなにかが施されているのだろう。もともと腕力にそれほど覚えがあるわけでもないので、それ以上力に頼ろうとも思わなかった。

 部屋の中を見回すと、彼の主である独神が臥せっていた。近寄って様子をうかがうと、どうやらただ寝ているだけのようで、規則正しい寝息が聞こえてきた。主にはなんの術も危害も加えられていないことを確認して、胸をなでおろした。自分自身にもなんの異常もない。部屋に閉じ込められただけのようだ。
 主のそばに一枚の紙が置かれていた。なにか書いてある。

「主とキスしないと出られません」

 キス、とは確か、口吸いと同じ意味だったと記憶している。この書き置きを信じるならば、主と口吸いをしなければこの部屋からは出られないということだ。

(完全に信用するのもどうかと思うが、しかし手掛かりがこれだけだ……さて)

 ともあれ、主に起きてもらわねば。話はそれからだ。

「主様、主様」

 そう呼びかけて軽く揺さぶると、主はすぐに眉根を寄せた。

「……う……? ウシワカマル……?」

 主はぼんやりとした目でウシワカマルをとらえ、おぼつかない口どりでなぜここに、と問うた。

「さあ、僕もここがどこで、なぜここにいるのか……」

 ざっくりと状況を説明し、先ほど見つけた紙片を渡す。寝起きでまだぼんやりとしていた主は、その紙片を見てぎょっと目を見開いた。

「えっ……なに!? ウシワカマルとキスしないとここから出られないってこと?」
「どうやらそのようだ。扉にはなにか術のようなものがかかっている」

 主が立ち上がって扉のほうへ向かった。取っ手に触れてなにやらぶつぶつ言っていたが、やがてあきらめたように肩を落とした。ウシワカマルのほうへと戻ってくる。

「だめだ……私にも扉にかけられた術がどんなものかわからない。というか、キスしないと出られないって……そんなふうに仕掛けることなんてできるのかな」

 と、なにやら術について考察を始めた主。ウシワカマルは苦笑いをこぼすと、主の肩にそっと触れた。

「な、なに?」
「なに、ではなく……主、こういう時は目を閉じるものだ」

 肩を抱き寄せて主に顔を近づけると、主は再び目を見開いて後ずさった。しかしウシワカマルがしっかりと肩を抱いているので、距離は大して変わっていない。

「ちょっ……! なに!?」
「主様、そのように暴れては歯が当たってしまう」
「えっ、本気なの? 本気でキスするの!?」
「本気もなにも、僕は主様に対して嘘をついたことはない。これまでも、これからも……」
「いやそれはわかるけど、そうじゃなくて!」
「主様、もしや初めてですか?」

 ウシワカマルが静かに問うと、首をぶんぶんと振って拒絶していた主の動きが止まった。みるみるうちに顔が赤くなっていく。図星のようだ。その様子が、神や妖を束ねている独神と同じものとは思えず可愛らしく、ウシワカマルはつい笑い声をあげてしまった。すると、恨みがましくにらんでくる。

「からかわないでよね! 仕方ないでしょう、私たちには性別の区別もあってないようなものだし……」
「まさか、からかってなどいない。むしろそれを聞いて少し安心しました」
「え?」
「僕があなたの初めての相手になれるということだろう。あなたを想う身としては、願ってもないことだ」

 じっと主のくちびるに視線を落とすと、主の頬が先ほどとは違う意味で紅潮した。肩を抱く腕に力をこめ、もう片方の手でゆっくりと主の頬をなぞる。

 主を思う気持ち。今はこの八百万界のことを第一に考えなくてはいけない。主のもとに集った自分たちもそうだが、その上に立つ独神はなおのことだ。つねに主の言動の先には八百万界のことがある。そんな主に対して、この主従を超えた感情は重荷以外の何物でもないと、ウシワカマルは自負していた。だから巧妙に隠してきた。主を慕う気持ちを隠れ蓑にしてきた。時折、正直に主を慕っているタケミカヅチなどに軽い嫉妬を抱きながら。

「こんな状況に乗じるのは僕としては不本意極まりないが、主様……あなたを慕っているこの気持ちは、嘘ではない。今だけは僕を信じて、力を抜いて……」
「ウシワカマル……」

 主のくちびるが戸惑ったように小さく震える。それを見逃さず、ウシワカマルはそれにくちびるを重ねた。主の体が硬くなったが、逃がすまいと腕に力をこめる。
 柔らかいくちびるに思わず押し付けてしまいそうになる。それを理性でこらえ、一旦くちびるを離した。すると、主の口から吐息が漏れた。どうやら呼吸を我慢していたらしい。それがたまらなくいじらしくて、艶っぽく感じられた。気が付けば、再び主のくちびるを食んでいた。

「んっ、ウシワカマル、まって……」

 可愛らしい懇願がくちびるの奥から聞こえてきた。その願いを聞いてもいいが、こんな機会はめったにない。もう少しこの感触を味わっていたいと思ってしまうのは、人間の身の浅ましさゆえか。



 いつ扉が開いていたのか記憶にない。もしかしたら最初に口づけをしたときにはもう開いていたのかもしれないが、ウシワカマルは気が付かなかった。いつの間にか少しだけ開いた扉の隙間から光が差していることに気が付いた主が、深い口づけを施すウシワカマルを突き飛ばして部屋から出ていった。それだけ主とのキスに夢中になってしまっていたということに、自分自身でも驚き、自嘲した。こんなことになるまで、理性的で物わかりのいい存在を演じていたのに、あっさりと化けの皮をはがされてしまうとは。

 去り際に垣間見た主の表情は、やはり顔が赤くて、それでいて少女のように瞳がうるんでいた。

(この路は、これからどうなっていくのだろうか……決して日の目を見ないと思っていたこの、僕の恋路は)

 主の表情を思い返して、期待してしまいそうになる正直な心を、胸をたたいて戒める。もうこの部屋には、誰もいないのだ。思慕を抑えきれなかった男も、それに戸惑いつつも拒まなかった男の主も。



inserted by FC2 system