優しく痛くして


※名前変換ありません


 今日もオノゴロジマは平和だ。ひとたび島の外に出れば悪霊が闊歩する世界だが、タケミカヅチは本日休みを主からもらっていた。休みであっても鍛錬は欠かさないが、その鍛錬も午前で終えた。昼下がりの今は、役目をひと段落させた独神と共に過ごしている。
 独神とは主従の関係である。どちらともなく想いを寄せ合って、恋人どうしになったのはそう昔のことではない。
 目の前にある細いうなじを見ていると、眩暈のような欲情を覚えた。気が付けば、その白い肌に触れていた。触れるというよりも、ほとんど歯を立てるような勢いだった。抱きとめていた背中が一瞬震え、すぐに非難めいた視線が飛んでくる。

「いっ……タケミカヅチ」
「ん……すまない、主君」
「すまないって思ってないでしょ」
「え? い、いや、そんなことは」
「だっていつもそう」

 弁解しようとした口を封じられる。いつもそう、というのは主に閨でのことを言っている。主の肌を見ていると、気が付けば噛みついている。ちょうど今のように、目もくらむような欲を掻き立てられて。噛みつくといっても肌に傷をつけるような強さではないが、痛いものは痛いのだろう。
 主である独神は性別がない。ひとりがみ、という男でも女でもない存在だ。タケミカヅチと思いを交わすようになって、初めて性別のある体になったのだという。相手の望む、または自分の望む形を無意識であっても作ることができるのは、原初の神たる力なのだろうか。不思議なことだ。
 タケミカヅチが口ごもっていると、彼から視線を外した主が小さくため息をついた。

「絶対噛みつくなって言ってるわけじゃないけど、痛くしないでほしい」
「すまない、今のは痛かったか」
「うーん……いつも通りっていう感じだったけど、もう少し優しくしてほしいというか……タケミカヅチはいつも優しすぎるくらいに優しいけど、噛みつく時だけ別人みたい」
「え?」
「なんていうか、獣みたい」

 遠慮がちに言葉を選んだような主の声には、少しだけ確かに呆れも混じっている。嫌われたのだろうかと、血の気が引いていく。

「すまない、嫌だったなら噛みつくのは自制する。だから嫌わないでくれ、主君」
「自制……できるの?」

 痛いところを突かれた。確かに、噛みつくという行動は衝動に駆られた故のものだ。自制すると言って簡単にできれば主は困っていないのだ。

「う……断言できないが、それでも主君が嫌なら、俺は自制してみせる。だから……」

 じっと主の目を見て言うと、主は困ったように視線を泳がせた。タケミカヅチの噛み癖に困っているのであれば、この言葉には色よい反応を見せると思ったのだが。なにかほかに、言い出しづらいことでもあるのだろうか。タケミカヅチが主の言葉を待っていると、やはり言葉を選ぶように歯切れ悪く口を開く。

「完全に嫌で、直してほしいと思っているならとっくにそう言ってるし、今のタケミカヅチの言葉にもそうだねって言えたんだろうけど、その……嫌じゃないから困っているというか……」
「嫌じゃないのか?」
「そう。痛いから少し優しくしてくれると嬉しいんだけど、別に今のままでも嫌じゃないから……なんか、恥ずかしい……」
「主君」

 自分の性嗜好をさらけ出しているような気分になったのか、背中から抱きしめているタケミカヅチから視線を外して俯いた主。その耳元が赤く染まっているのを見て、タケミカヅチはまた、眩暈を覚えた。思わず赤い耳元に歯を立てたい衝動が体を駆け巡ったが、行動に移す前になんとかぐっとこらえた。それでも胸の内を支配する愛おしいという感情があふれ、かわりに主の体を強く抱きしめた。

「俺は嬉しいよ、主君」

 抱きしめた腕の力が強すぎたのか、主が苦しそうに息を詰まらせた。噛みつかなくても、かわりにこれなのかと呆れたような吐息が漏れるのを耳にしたが、力を緩めることはしなかった。こうしている間にも主への想いがあふれ出てくるのだから、しなかったというよりできなかった。

「んもう……いつか、加減を覚えてね」
「ああ、努力しよう」
「ほんとかなあ……」
「……そうだ、いいことを思いついたぞ」
「いいこと?」

 ようやくタケミカヅチのほうを振り返った主ににっこりと笑いかける。主はその表情を見て、なんだか微妙な表情を返した。期待半分、不安半分というような。

「ああ。君が俺に教えてくれ、その加減を」
「はい?」
「思えば俺は軍神だから、こういうことには疎くて当然なんだ。だから、君がいいと思う噛み加減を教えてくれないか」

 思わず主が「疎いわりにすごいこと言いだすな」とつぶやいたが、それは主の口の中で響くだけで、タケミカヅチには届かなかった。

「お、教えるですか」
「そうだな……言葉では言いにくいだろうから、君が俺を噛んで教えてくれ」
「ちょっと待って今度こそ本当になに言ってるの?」
「今のままだと、少なからず痛いんだろう。俺は君に気持ちいいと思ってもらいたいんだ。いつでも」
「うーーーーーん」

 主が頭を抱えた。こうと思い込んだら貫き通すタケミカヅチをどうやって説得するか、八百万界の未来を背負っている独神は頭をフル回転させて考えている。そんな主の苦悩を知らないタケミカヅチは、なおも爆弾を落とす。

「情事の最中は痛がりつつも気持ちよさそうにはしているから、てっきりいいものだと思っていたのだが、君が優しく、というのならば、そうしよう」
「あれ、実は怒ってる? それとも酔ってる?」
「まさか、怒ってもいないし酔ってもいない」

 逃げ腰になる主をしっかりと抱き直したタケミカヅチ。そのまま主を抱えて立ち上がると、本殿の主の部屋へと歩き出した。

「ちょっと待って! どこ行くの!?」
「君の部屋だ。こうして触れていると、君を抱きたくなってきた」
「は」
「じっくりと教えてくれ、君のちょうどいい加減を」

 今の気持ちを包み隠さず伝えると、腕の中の主は絶句した。絶句しつつ、顔を真っ赤に染め上げる可愛い姿に、タケミカヅチは再度腕に力をこめたのだった。


inserted by FC2 system