主とキスするまで出られない部屋 タケミカヅチver
※名前変換ありません
タケミカヅチという男はわかりやすい男だった。
どんな人物、どんな現象に対しても真面目で、言葉は額面通りに受け取る。ちょっとした冗談でも真面目に受け答えする。その姿勢は真摯で、まさに誠実が服を着て歩いているような男だった。
特に態度はわかりやすい。もともと嘘がつけない性格ではある。タケミカヅチを見かけてはねっとりじっとりとしつこく絡んでくるフツヌシには、言葉にこそしないものの、顔にはわかりやすく「うざい」と書いてある。八傑やネコマタを見かけてはさわやかな微笑を浮かべる。そして、彼らの主である独神の前では一層顕著に態度となって現れる。
主を見かけては必ず声をかけ、主と言葉を交わすたびに表情が明るくなる。主に戦いの報告をする際もどことなく上機嫌で、主が彼の功績をねぎらうと、ぱっと顔を輝かせるのだ。
「あれで本人は自覚ないんだから、ほんと鈍いよね」
「まあまあ」
「ウシワカさんだってそう思うでしょ。僕には、主さんの前にいるタケミカヅチさんにはあるはずのない尻尾が見えるよ」
「確かに、それは否定しませんが」
主の前で報告を行っているタケミカヅチを尻目に、神代八傑が一人・モモタロウとウシワカマルがうわさした。モモタロウの冷めた目には呆れ、ウシワカマルの整いつくされた美貌には苦笑いが上っている。
本殿の主の部屋の近く。主の部屋には戦勝の報告をするタケミカヅチと、それを黙って聞いている独神の姿が見える。それを、主の部屋から少し離れた縁側に腰かけながら眺めているのがモモタロウとウシワカマルだ。もともと空いた時間を持て余した人間の二人が縁側で世間話をしていただけだったが、そこへタケミカヅチが帰ってきたのだ。主の部屋へ向かう足取りが、悪霊との戦いを経たものとは考えられないほど軽い。独神との様子に興味を引かれた二人は、そのまま暇に任せてタケミカヅチと主を観察しているというわけだ。ちなみにタケミカヅチを補佐している八咫烏のカァ君の姿はない。ひょっとすると気を利かせて席を外したのかもしれない。
「主さんも気づいてるんだか気づいてないんだか」
「主様は……どうでしょう。僕たちの予想を軽々と超える御方だから」
「まあでも、見てるとこっちがじれったくなるよね。あんなに主さんのことがわかりやすく好きなら、主さんとどうにかなりたいと思わないのかな」
「……ふむ」
モモタロウの疑問に、ウシワカマルが柳眉を寄せた。じっと本殿の二人の様子を見ると、小さく首を振った。
「あの様子では、今は使命感のほうが強いでしょうね。この八百万界を救おうと、主様の手足となるために戦わなくては……という。結果的に主様のそばにいられる今が満たされているのでは」
「ふうん?」
「あのように二人きりになっても、まるで触れようとしない。我らの気配があるから……とも考えられますが、主様に抱いている好意がどのようなものなのかも、彼の中ではっきりと区別がついていないのではないでしょうか」
ウシワカマルの推察に、モモタロウが鼻を鳴らした。八傑の中では常識人に分類されるモモタロウだが、気の短さと発想の過激さには定評がある。手を出す甲斐性以前に、好きと愛の区別が付いていないタケミカヅチに焦れているのだ。
「ならさ、あの人をそうせざるを得ない状況に置いたらどうなるんだろうね」
「そうせざるを得ない状況?」
「僕、もういい加減見てるとイライラするんだよね」
モモタロウは縁側から飛び降りると、ウシワカマルを振り返った。その小作りな顔には、底意地の悪い笑みが浮かんでいる。ウシワカマルがはて、と嫌な予感に身を引いたが、あとの祭りだった。
タケミカヅチが目を覚ますと、そこは見覚えのない部屋だった。
四方を白い壁が囲み、窓一つない。およそ六畳一間ぐらいの広さで、扉と思わしき取っ手と切れ込みが入った壁がある。あたりを見渡して、タケミカヅチは目を見開いた。
「主君……!?」
なぜか、彼の主である独神が同じ部屋にいた。おかしい、自分は確か戦勝の報告をした後自室に戻って休んでいたはず。主君とは部屋も別だ。休む前に、愛刀であるフツノミタマを手入れした記憶もある。そこから何がどうなって、この見覚えのない部屋に来て、主君と一緒にいるのだろうか。
混乱する頭を整理していると、タケミカヅチの声で独神が目を覚ました。
数分前のタケミカヅチと同じように部屋の中を見渡す主に、ざっと状況を説明する。といっても、わかっていることは少ない。窓がないので、今が朝なのか昼なのかもわからない。
とりあえず、扉と思わしき取っ手を回して引いたり押したりしてみるが、うんともすんとも言わない。力任せに蹴ってみるがびくともしない。なにか術でもほどこされているのかもしれないが、あいにくタケミカヅチには術のことは専門外だった。
と、よく見ると、取っ手のついた箇所のすぐ上に紙が貼ってあった。壁と同化してよく見えていなかった。ここから出る手掛かりか。その紙にはこう記してあった。
「主とキスするまで出られません……? 主君、キスとは一体なんのことだ?」
タケミカヅチは背後の主に意味を問う。主と、ということは、なにか共同作業だろうか。自分と主にできることならばよいが……と思っていると、主が若干視線を泳がせた。
「えっ……と、キスっていうのは、接吻とか口吸いって意味なんだけど……」
「せっ……!? ということは、ここから出るには君とせ、接吻をしないといけないということか!?」
たぶん……という自信なさげな声が返ってくる。タケミカヅチも神ではあるが、キスしなければ出られない部屋など聞いたことがない。主の様子から察するに、主も同じだろう。だが、現にこの部屋から出る手段が、今のところないのだ。この紙に書いてあること以外なんの手がかりもない。
(だっだからといって、主君と……そんなことできるわけが……!)
キス、接吻、口吸い。想いを交わし合ったものどうしがする行為だ。断じて主にする行為ではない。いくらここから出る方法が、今はそれしかなさそうだとしても、やすやすとできるわけがない。
「…………えっと、じゃあ、する?」
「なっ……! む、無理だ! 主君にそんな、」
「うーん……でも、しないと出られなさそうじゃない? あ、私とじゃ無理ってこと? 今だけ、文字通り目をつぶってもらうことはできないかな」
「ち、違う! そういう意味じゃ……! ちょっと待ってくれ、一から説明させてくれ!」
主がタケミカヅチの意図しない方向へと解釈を進めてしまうのを、大声を出して止める。違うのだ、そういうことではないのだ。
主とキスする。それにはいくつかの重要な問題があるのだ。
そもそも、キスとは恋人間の行為。タケミカヅチと主は恋人ではないし、そのような感情を交わした覚えもない。やむを得ない事情があるとしても、恋人でもないタケミカヅチとキスをして主は大丈夫なのか。そして自分は。
(俺は、主とキスをすることを、主君をどう思っているのだろう)
主君は尊敬し守るべきただひとりの存在。八百万界のために、その力を自分たちに惜しみなく分け与え、平等に心を砕いてくれる主君。その心に報いねばと、その笑顔を守らねばと、ずっと思ってここまできた。どんなに悪霊と戦って疲れようと、主君の言葉と笑顔さえあれば疲れなど感じなかった。だがそれは自分だけではない。神代八傑や一血卍傑で加わった仲間たちも皆そうだ。皆、平等にあの声と笑顔を向けられているのだ。決して、主はタケミカヅチのものにはならない。
だからこそ、無我夢中でここまで戦ってきた。たったひとりの存在に抱く想いが変わっていくのを自覚しないように。変化した想いが打ちひしがれないように、ただの忠臣としてふるまってきた。
(こんな……こんな想いを抱えたまま、主君のくちびるに触れてしまったら、俺は)
きっと、抑えきれない。かの人はこの先もずっと皆の主なのに。自分だけの存在にはならないのに。その瞳がうつす男は一人でいいと願ってしまいそうになる。
「タケミカヅチ」
主の呼ぶ声に、まとまらない思考を中断して顔を上げる。すぐそばまで主が来ていたことに気が付かなかった。すぐに、触れられる距離まで。
「今から起こることは、夢だよ。私とタケミカヅチだけの」
「──!」
突然、主の両手がタケミカヅチの頬を包んだかと思うと、視界が主の顔で埋まった。くちびるにはあたたかくて柔らかい感触。
くちびるどうしが触れあっている。キスしている、主君と。
なにをするんだ、とか、こんなことは許されない、だとか、様々なことが頭の中を駆け巡る。しかしそのどれもが、タケミカヅチの体を動かすには至らなかった。
(──もう、どうなっても知らないからな)
そう思った瞬間、タケミカヅチの両腕は主の体を抱き寄せていた。ぐっと体をくっつけ合うと、顔の角度を変えてくちびるをより深く合わせる。主の体が震えた気がするが、今は黙殺した。
「ん……、っん」
深く口づけて、主が呼吸のために薄く口を開いた。小さく漏れた声は常より甘く上ずっている。その声も呼吸も、なにもかもが愛おしくて、欲しい。覆いかぶさるようにくちびるを奪うと、切なげな声が口内に響いた。
「っ、主君……!」
主の声を耳にした途端、カッと体が熱くなった。くちびるを合わせてからずっと熱かったが、一瞬で血液が沸騰したかのような感覚だった。
ぐっと力を入れて体を強く抱き寄せると、むき出しの白い首筋に噛みついた。滑らかな肌を舌で吸い上げると、また甘い声が耳をくすぐった。
「あっ……! タケミカヅチ、っ……」
ガチャ。
という音が響くと同時に、目の前の扉が開いた。思わず我に返って扉のほうを見ると、モモタロウとウシワカマルの姿があった。
「き、君たち、どうしてここへ」
「あーもう、いくら自分で仕組んだこととはいえ、ここまでするとは、予想外だった……」
「ふふ、僕はこうなるんじゃないかと思ってましたよ」
「……? どういうこと?」
呆気にとられる独神とタケミカヅチを置いて話しているモモタロウとウシワカマル。モモタロウは小さく息をつくと、ごめん、と頭を下げた。
二人の説明によると、ここへタケミカヅチと独神を閉じ込めたのは二人の仕業らしい。タケミカヅチの思いを汲んで、ちょっと背中を押すつもりだったらしいのだが……
「背中を押すどころか、思い切り蹴り飛ばしたといったほうがいいですかね。モモタロウ様もまだまだですね」
「はあ、なんかむかつく……まあ、結果的には、いいのかな」
「き、君たち……!」
「だから、ごめんてば」
「さてさて、用事を思い出したので僕はこれで失礼するとしようか」
「あっ、こら……!」
足早に逃げていくモモタロウとウシワカマル。タケミカヅチはその二人を追おうとしたが、ふと、先ほどからなにも言わない主のことが気になって足を止めた。主は苦笑いしていた。いつもの、主の顔で。
「主君……あの、なんというか……今回の件は」
もごもごと言葉を詰まらせていると、主はタケミカヅチの横を通り過ぎていった。呆然とその後姿を見送る。
──夢だよ。私とタケミカヅチだけの。
(一体、どういう意味なんだ、主君……)
くちびるを合わせる前に主が言った言葉に想いを馳せる。しかし、考えても意味がよく理解できなかった。このくちびるに残っている感触は、温度は夢ではないのに。抱き寄せた体も、肌の滑らかさもすべて覚えている。
思い出すとまた体が熱くなりそうで、慌てて首を振って思考を打ち切った。ともあれ、部屋から出られたことであるし、一旦自室へと戻ることにしよう。
主君の言う意味は、いずれまた考えるとしよう。深く考えては、また望んでしまうかもしれないのだ。その体を抱きしめたいと、くちびるが欲しいと。